9/28/2014

恋はハワイの風に乗って 16


その夜『はんこ』が差し入れを持ってホテルに現れた。日本から到着した家族との外食の帰り道にTo Goにしたものを私たちに持って来てくれたのだ。彼女とは初日に会って以来だった。あの時とは服装も違うし雰囲気がカジュアルに変わっていて、おかま君を含めたLINEでずっとアホな会話を交していたそのイメージだった。

「あ〜、おまこちゃん!やっと会えた〜。なんか顔が違うよ?とっても元気そう!」

初日に暗いイメージを残してしまった私なので、元気に一人でちゃんとやってるのを知らせるのもあり、ダイヤモンドヘッドからの写真やそれからのアクティビティの経過を知らせ続けていた。

中身がないアホな語呂合わせのエロ会話がぽんぽこ続き、その中でどうにかまじめな結婚式の情報をやっと聞き出した感じだった。おかま君に尋ねても「わからないわ」「あんたが考えてよ」「させこ、知らない」「どうにかなるわよ」の言葉が続くだけで、おかま君と計画を立てるというのは、というか会話を成立させるのは至難の業なのだった。

私はあまり酒が飲めない。そう伝えるとみな一様に「え?」という反応を示す。酒豪のような印象があるらしい。

「飲まないのよ。いつもシラフでさせこと遊んでるのよ」

そう告げると、みな驚愕の表情を見せ、私を心から尊敬するのだった。

夜中近くになって早々にお開きにすることにした。翌日はカハラのお屋敷での身内の宗教儀式の結婚式がある。はんこはタクシーで帰るつもりでいたのだけれど、私がSmartでカハラハウスに帰るので送って行くことにした。




クルマに乗って私たちの会話が始まった時点で、はんこの口調が変わった。

「あぁ、おまこちゃんが楽しそうにしていてよかった。前回会ったあの時、本当にごめんなさいね。私も凄く落ちてたの」

そう彼女が言い訳をした。あの日、結婚式の打ち合わせにアラモアナに出かけ、一度ミーティングを中断して私に会いに来て、それから再度ミーティングに戻ったということだった。それを聞いた私も再度申し訳ない気持ちになった。

「心の準備が出来ていないのに、式のことだけがどんどん進んでしまって、もう落ちる一方なの。一週間前から本当に耐えられなくなって、彼と一緒に眠ることもできなくなってしまったの。止めようかどうしようか彼と喧嘩ばかりしていて、やっとどうにか仲直りしたのが昨日のことなのよ…」

彼女と花婿は2年前に出会い、この半年程前から男の家に一緒に住むようになった。それ以前の彼女は毎月ハワイと日本を行き来するスーパービジネスウーマンだったという。しかし、あまりにも忙しくデートの時間をとるのもままならなかったので、男の望みで仕事を辞めることになった。小柄でとても若く見える37歳。子供を産むことなどを考えたら、そろそろ年貢の収め時というところか。

おかま君に紹介され、私がまだサンフランシスコにいた頃からそんな内容をぽつぽつとLINEで語っていた彼女だった。この結婚に踏み切るのには人生の節目の相当な覚悟があったのだと思う。それが結婚式を間近にして「本当にそれでいいのか」という疑問に襲われて苦しくなったのだろう。

自分の家系に離婚をする人が多いこと、自分でビジネスをして人生をコントロールしていたのが、専業主婦になることでそれを失うこと、国際結婚の難しさ、医者という男のエゴに対立する自分、変化の不安から逃れることができない。

「彼を愛しているからこそ、今のうちに止めておいたほうが良いのかも。きっと、私たちはお互いを傷つけ合ってしまうわ」

そう言って彼女が泣き出した。私はバッグからティッシュを取り出し彼女に渡す。そして、どうにか慰めの言葉を探し出そうとするのだが「だって、おまこちゃんだって離婚してるじゃない!」と言われれば、なんの説得力もないところなのだ。結婚前夜にこんなにも不安になるものかと驚いたけれど、映画でバージンロードに出る前の花嫁がビビって泣くシーンをよく視るので、きっとこれが『マリッジブルー』というものなのだろうなと感心するくらいだった。やがてはんこは自分の思いを絞り出すように語り大きく泣き崩れた。クルマの中で思わず彼女を抱き寄せ深く抱きしめる。

「そう、じゃぁ、思い切って勇気を出してやめちゃおう。うん、そうしよう!」

何をいってもダメなので、私もヤケになってそう言い放てば、声を失い呆然と宙を見つめるはんこ。闇の中の沈黙が重い。そして彼女は力なく首を振る。

「ダメよ… ダメだわ… そんなことできない」
「じゃぁ、もう進むっきゃないんでしょう。後はハンドルの仕方次第よ。思いっきりビッチな嫁にでもなることね。『結婚してしまえばこっちのもんよ、Hah!』くらい言ってのけて喧嘩し続ければいいんだわ」

少しはんこが笑った。

「ねぇ、これからはんこちゃんは、はんこちゃん夫婦の間に何が起ころうと『いいわね、羨ましいわ、よく仕留めたわね』っていう羨望と嫉妬を人から受けて生きて行くことになるわ。でも、このお屋敷があなたにとって『城』になるのか、それとも『牢獄』になるのかは、はんこちゃんの考え方、世界の見方ひとつなのよ

カハラの高級住宅地の屋敷を眺めて私がそう語る。どこか自身の過去を重ねている自分がいた。

「人生は一瞬一瞬が選択の連続で、その決断は誰に強いられるものではないのよ。どれだけ家族親戚の手前を理由にして結婚式を続行させるにしても、それを選んだのははんこちゃんなの。自分よりも周りの人の気持ちを優先させたいと選択する『あなたの決断』なのよ。わかるでしょ?そして、人生には『展開』があって、また次なる決断を下すチャンスは無数にあるの。これはひとつの通過地点に過ぎないのよ」

そこまで言ったら、彼女も少し気が楽になったみたいだった。




翌日、お洒落をしてシャネルのバッグぶらさげカハラの住宅地を歩いていたら、通りかかったクルマが横付けして運転手が話しかけてきた。近所に住んでいる人らしいけれど、沢山のクルマが路駐されているので何が起こっているのか知りたがっていた。

はんこの家に着いたら玄関口に無数の靴やサンダルが散らばっていた。そして、そこでちょうどおかま君と日本から到着した『やりこ』と『薔薇』さんに再会した。やりこの5歳の息子とは初対面だから、もう6年以上会っていなかったことになる。屋敷の中は宗教儀式の為に派手に飾られていて、何人かの僧侶も床に座っていた。はんこは美しくも意外とシンプルな花嫁衣装を身に着けていた。古い友人と再会するその笑顔は、夕べの陰の微塵もない。花婿は思ったよりも若々しいハンサムな男だった。キッチンアイランドには沢山のごちそうが盛られ、その先の部屋には身内の招待客が所狭しと床に座り食事をしていた。私たちも皿に料理を取りリビングのコーナーの空間に身を収めた。

やりこは10年以上も前にサンフランシスコで粋なヘアスタイリストだったけれど、今ではすっかり大阪のお母さんに進化していた。やりこは自他共に認める『さげまん』で、昔から彼女の男の問題を何度か相談されていたけれど、去年おかま君からとうとう離婚したのだと聞いた時には驚いた。彼女の離婚の決心が私に少なからずの影響を与えたのもあると思う。彼女の息子はまったくシャイじゃない愛らしい少年で、私は一瞬にして彼の虜になった。どんなに辛いことがあろうと、こんなスィートな息子がいたなら、母は強く逞しく生きて行けるだろう。




招待客がランチを済ませたところで、いよいよ結婚式が始まった。僧侶たちの読経のリズムは心地よく、合間の儀式の運びはとても興味深かった。やがて、更にこみ入った伝統的な部分になると戸惑いがあり、ババアたちがしゃしゃりでてきて大騒ぎになる。日本の葬儀や祭りのシーンが被る。そういうのを目にするのは微笑ましかった。日本からはんこの家族と友人たちがやって来てはいたけれど、ほとんどは花婿側の親戚連中らだ。地元オアフで生まれ育った花婿と家族、親戚はみなホノルル在住らしい。はんこはこれからこの人々の一員として干渉を受けて生きて行くことになる。あれだけビビったとしても不思議ではない。

結婚の儀式もとどこおりなく過ぎ、ババアたちのキッチンの片付けの合間にデザートを盗み食いしていたら、おげげの『ぬりこ』が大騒ぎしてやってきた。サンフランシスコからホノルル空港に着き、タクシーを飛ばしてまっすぐやってきた割には、みごとに式を逃しているダサさだ。それでもスーツを着込み、グッチのボストンバッグで旅行する社会人らしい出で立ちが粋だけれど。

「あんまり腹減ったから空港で食べてたら遅刻しちゃったわ。でもまだ食べられるわ」

そういって、残りの料理を凄い勢いで食べていた。はんこはぬりこに会えた喜びで異常に興奮している。本当に仲良しのようだった。




おかま君は友人のひとりひとりに即興であだ名をつける。彼自身を『させこ』と呼び、私は『おまこ』そして『やりこ』に『ぬりこ』。酷いところでは『フェラこ』とか『あそこ』とか命名された女子たちもいる。おかま君の中学生の時の同級生の超真面目で言葉少ない超地味な男は『薔薇』と呼ばれていた。私は薔薇さんに2年前に会っている。彼が離婚の傷心旅行でサンフランシスコにやってきたときに紹介されたのだ。好きな女がいるというので、おかま君に頼まれて行動を促す説教部屋を薔薇に施したけれど、結局は何も実行しない彼のままだった。

ホテルにどうやって戻ろうと彼らが騒いでるので、私が近所にワイキキ行きのバス停があるから案内すると先頭を切って歩き出した。カハラの閑静な住宅街を、幼児を含めたゲテモノ集団がなにやら騒ぎながら歩いている。それが何だかくすぐったいくらいに可笑しかった。

薔薇さんの力で何故か部屋がアシュトンワイキキサンセットのペントハウスにアップグレードされたようだ。

「今晩はバチェラレットパーティよ!おまこ、8時に来るのよ!」

おかま君がそう叫んで、バス停の横でバンのタクシーを見事に拾い、友人達が姿を消して行った。突然のシャワーが襲う中、私ひとり濡れてカハラハウスに戻った。




6 件のコメント:

  1. ディオゲネス(♂)といいます、以前、コメントした者です、あれっサンフラ住んでないんですか
    「あらがわない」そうですよね
     おまこちゃん、おもしろい名前
    状況がわかりませんが幸せそうですね、よかったよかった!

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    1. 私も状況がよく解りませんが、気の置けない友達と幸せにやっています。
      コメントありがとうございました!

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  2. ディオゲネスです
    千葉に住んでいますが雅さんのようにサンフラやハワイに住んでいるなんて
    日本に住む者にとって凄いことだと思います
     以前、アルゼンチンにも行かれてましたよね

    自分、格言、詩集を読むのが好きなんです
     ゲーテの詩集やいろいろ読みます
    例えば
     Es gibt mehr Leute, die kapitulieren, als solche, die scheitern.
    失敗する人よりあきらめる人の方が多い。(ヘンリー=フォード)
    An den Scheidewegen des Lebens stehen keine Wegweiser.
    人生の分かれ道に標識は立っていない。(チャップリン)
    Man reist ja nicht um anzukommen, sondern um zu reisen.
    人が旅するのは到着するためではなく、旅するためである。(ゲーテ)
    Der Anfang ist die Hälfte des Ganzen.
    始めれば半分終わったようなもの。(アリストテレス)

    Keine Rose ohne Dornen."(薔薇に棘あり)。

    薔薇に棘あり、何か怖いですよねw

    他いろんな格言見てます。
     ランティエさんは言うは易しの逆言ってるので凄いです。
    千葉から東京に通ってますが、皆恐ろしいほど保守的です
    出る杭は打たれるです、満員電車のオッサンたちで幸せな顔してる人
    みた事ありません。まるで何かに操られているロボットです。

    私もランティエさんみたいな生き方したかっったと後悔してます

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    1. 数々の素晴らしい格言をありがとうございます。『始めれば半分終ったようなもの』かぁ。本当にそうですよね。

      私は小、中学生のときに『出る杭は打たれる』で辛い思いをしたので、そのトラウマから日本社会を出ることが凄い執着になるくらいの夢でした。そして、満員電車のおっさんたちの顔を見てるのが辛くなってOLも辞めて海外に出てしまいました。多分海外の方が性にあってるんだと思います。

      ディオゲネスさん(どんな意味なのかな)がおいくつかは存じませんが、人生は短いです。今からでも生きたい生き方は選択可能だと思います。最初の一歩は怖いですけれどね。

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  3. ディオゲネス2014年10月1日 0:30

    ディオゲネスです、夜分、今晩は
    年は30代です

    今年の春頃、日本に帰国されていたんですね、
    渋谷のヘアードクター行かれたり、
    秋葉原(毎日通ります)メイドカフェに行ったり
    伊勢神宮いかれたり、
    7週間、いられたんですね

    それと、grumpy cat、こんな猫がいるんですね(笑
    大阪オフ会のお知らせ(4月19日)とかあったんですね(笑!

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    1. ディオゲネスさんはなるほど、哲学者なんですね。
      遡って記事を読んで頂いているようでありがたいかぎりです。

      まだ、30代なのに『そんな生き方したかったと後悔』なんて言うので笑ってしまいました。まだまだこれから沢山いろんなことにチャレンジできる時間と体力があるのに!

      でも、解りますよ。その時には後ろばかり見てしまって「〜すればよかった」って思ってしまうんですよね。でも、違うんです。まだ前に凄い時間と展開の機会があるのが見えないだけなんですよ。目を覚まそう!

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