11/28/2014

『バブル世代』はぶっちぎる


私は何気に2チャンネラー。ひきこもりのオタクは猫を『ぬこ』と呼び、その画像に超萌えする。私も多分にそんな一人であり『痛いニュース』と『哲学ニュース』は暇つぶしに覗いている。もちろん『閲覧』のみだけれど、海外生活が長く浦島太郎感覚の私でも今現在の日本の若者がどう世間を見て何を感じているのかが良く解るようで目が離せない。




そんな中、ある衝撃的な画像を発見してしまった。



「はれ? ここに私がいるよ?、その下は周りにいる誰かさんにそっくりだよ?」




なんでも、『LEON』創刊主要メンバーが作る、50〜60代の新しいシニア富裕層に向けたライフスタイル男性誌『MADURO(マデュロ)』の公式ブログに載せられたターゲットの人間相関図らしい。そして、『やんジー』はターゲットの総称『やんちゃなジジイ』の意味らしいけれど、この会社名も『yanG』ときたから大笑いしてしまった。




雑誌LEONの専属モデル、ジャン・フランコ・シモーネ氏が、あいかわらずこのMADUROでも活躍しているようだけれど、ウチの姪に言わせれば彼は私の夫にそっくりなのだそうだ。まぁ、確かに10〜20年前の夫は17歳年下の女房連れて『やんジー』そのものだったと思う。この相関図から言えば、当時私は『姫ーナ』だったのだな。大笑い。

この『魔ダム』を見た瞬間に、自身の姿そのものを見た気がした。ファッション、髪型、立ち方。いや〜、あっぱれですな。その説明なんて「★昔は確かにキレイだった。それは認める。が、時の流れにさらされて残ったものはしたたかさと図々しさ…無念。でもしょうがない」なに?この最後の『でもしょうがない』は?? 笑える。

この相関図は『やんジー』を中心としているからだろうけれど、私はこの『魔ダム』の横に『情夫』という線をつけて若い男を付けて欲しかった。絶対いるって、魔ダムには。そしてそこにどんな青年の図があるのか、とても興味深いところなのだ。

年に一度、なんとなく『やんちゃ』な仲間が集まるBBQがあって、そこでしか顔を見ることがない不良日本人と私が思っている男たちは、実は『チャラジー』なのだと解った。まぁ、カジュアルなカリフォルニアだから、やんジーファッションはいないのだよ。




前回のBBQでは『チャラジー』のやっさんがひたすら肉を焼いていたけれど、ゴージャス姐御を中心とした女史が集まるので、私も身体の線がぴったりと出るロングドレスを着用して行き「お〜、バカンスファッションだねぇ」と賞賛を浴びた。そこで久々に会った30代の女子が全くとして見覚えがないような気がしたので「?」と思ったら、産後一か月だということでかなり姿が違っていた。とはいっても、ちょっと太いかなと思うくらいのノリなのだけれど、そこで『人生極めてショッキングなこと』を周りの人々に訴えていた。その話とはこうだ。

産後すぐに体型を戻す為に、スポーツクラブでピラテスのパーソナルレッスンを取り、3週間後やっとグループレッスンを取れるくらいの体型に戻った。それで、新しいぴったりしたジムウエアを購入、スタイルの良い美しい美意識の強い女性に囲まれて士気を高め早く綺麗になってやるぞとドアを開けたら、そこに居たのは肉のかたまりどころか、まるででろでろの「パジャマですか?」と思えるようなスエット上下の醜い女が沢山いて、ストレートパンチをくらったようなショックを受けたというのだ。

「だって、私の周りにいる女性ってみんなお洒落でスタイルよくってこんな感じでしょう?だから、これが『普通』だと思っていた… でも、それを本気でショックに思って旦那に訴えたけれど、そう言いながら私ってなんて『ビッチな女』なんだろうと気づいたのよ」

「あんたね〜、本当に世間知らず。私の周りにいる女友達は、私が『選んだ』美意識の高い特別な女性たちなのよ!」

そう、お局系のエロ姐御が喝を入れる。

「あ〜、そうなんだ〜。私たちは姐御に『選ばれてる』んだ〜。そりゃ光栄に思わなければね〜www」

そう、ちゃちゃを入れて笑った私だけれど「しかしまぁ、このカリフォルニアに住んでいて、なんて狭い世界で生きているの、あなたったら!」と、その新ママには驚ろかされた。閑静な海辺の街で親子ほど歳の離れている旦那に可愛がってもらってのんびり生活させてもらっている彼女こそ『姫ーナ』なのだろうけれど、どこか遠い日の自分と一緒なのかもしれない。

その日もせっせと新生児の面倒を見るのは旦那で、これまた赤ちゃんも嘘のように静かだったけれど「楽勝〜♪」と笑っていた彼女はこの冬どうしていることだろう。




日本の若者は金を使わない。デートでもクルマを使わないし、割り勘だし、ブランドものには興味がないし、ユニクロで充分だと言う。へたしたらガールフレンドでさえいらないとも思っているようだ。そら『姫ーナ』が増えたとしてもしかたがないだろうなぁ。

そういう若い世代の彼らの言葉を見聞きしながら、私は「自分を新しい時代の意識に持って行かないとやばいぞ」という気にさせられていた。倹約を学び、堅実に生きることを意識しないと、と。90年の頭にバブルが崩壊してすぐ、ここカリフォルニアはシリコンバレーに引っ越して来てすぐにITバブル。しけた社会を知らない。ブログを通じて知り合い先日お会いした方は「この辺の人みんな馬鹿みたいに金もってるけど、幸せそうにみえない。お金じゃない」と言っていたのが印象的だった。


『確かにいまの若者たち、元気がない、ですよね。でもね、ワタクシそれが正しい姿だと思うのですよ。というのは、我々がおかしかったのですよ。想い返してください、ワタクシとて社会人になった頃といえば、タク券を束にして持ち、交際費は使い放題、会社は絶対潰れない、給料・ボーナスは毎年確実に上がっていく、残業代は青天井。それを前提に、年収の倍もするクルマもローンで買えてしまったつまりは「バブル世代」なのですよ』

これはMADURO編集長の岸田氏のインタビューの言葉だけれど、そう『我々がおかしい』。ずっと自分頭おかしいんじゃないかと思っていたけれど、結局のところ 『バブル世代のなれの果て』なのだ。

で、そんな世代にどうしろと? 彼は言う。『金は残すな、自分で使え』だって。若者聞いたら怒るよねぇ? でもどこかで誰かがお金使わないと日本経済回らないし。

おぼろげに残りの時間が見えて来たいまだからこそ、バブル世代はこのままぶっちぎれという訳らしい。本当にそれでよいのかどうかは疑問だけれど。この雑誌は果たして存続できるのかしら?




ちなみに、去年の今頃『バブル時代のなれの果て』という記事をシリーズで書いていた。

随分昔のことのように思えるけれど、あれって去年の今頃だったの? さすがにもうゲイクラブに出かける元気はない。先日おかま君とラスベガスに行った時、彼にゲイクラブに行こうと誘われたけれど、ふかふかベッドが心地よくて「一人でいっておいでよ〜」と尻の重い私だった。それで「あ、私、終ったな」と一人思ったのだわ。



『バブル時代のなれの果て 1』
『バブル時代のなれの果て 2』
『バブル時代のなれの果て 3』
『バブル時代のなれの果て 4』




11/22/2014

『枯れ』の実感


サンフランシスコベイエリアの今年の夏は例年になく暑い日々が続いていた。なので、ハワイから帰って来ても全くとしてあそこの気候を羨むこともなかったけれど、さすがに最近は朝晩の冷え込みが強くなり、いつしか家にセントラルヒーティングが自動的に入り、シリアスな水不足を懸念していたのが久々に雨を見る冬を迎えていた。

急に寒くなると虫のように動きが悪くなる私は、猫を起こしたくないという言い訳をしてぬくぬくベッドを出られないでいる昨今だ。先日やむない用事で市内にでかけたときに、ユニオンスクエアの周りがもう既にクリスマスの装飾に変わっていたので驚かされた。徐々に、という感じではなく、すこんと季節が変わる。




この秋、私はまた新しいステージに立っているのを意識した。明らかに今までの私とは違う存在。静かでそしてどこか諦めにも似たそんな心境をじっと受けとめている。

枯渇した』というのが一番近い感覚だと思う。




『私はこの3年で一気に老けた。同じ歳の女友達も50歳のときにはみんな「まだまだイケる」といった強気な感じだったけれど、53歳の現在誰もそんなことを口にする人はいない』

自分より少し年上のとある女性がブログ上で正直にそう綴っていたことを思い出す。彼女は3年前の自身の写真をアップして、その『失われたもの』に対する気持ちを書いていた。その間にあったのは『閉経』。私は『閉経後の身体の変化』をとても敏感に感じているし、当時その彼女のブログを読んでピンとこなかったそれを今なら理解する。それは本当に初めての体験でもある。長女姉が長い間抱えていた『気分』も充分に理解する思いだ。そんなとき私は彼女の言葉に対してただただ諭していたけれど、長女姉が聞きたかったのはそんな言葉ではないのだ。それを今私は身にしみて経験している。




雅ランティエと言ったら赤裸裸な『エロテロリスト』が強いキャラであったし、それがゲテモノ仲間にとってのエンターテイメントにもなっていたけれど、そんな私が「すっかり枯れた。もうセックスもしたいと思わないし、一人エッチさえもう随分してないしやる気もしない」と口に出して、ちょっと年下の熟女たちを驚かせている。ほんの数年年下の彼女達はまだまだ現役で、そんな私の言葉を聞いて自分もまもなくそうなるのかと疑っているようだ。もっとも、私は去年の冬以来ずっと人生一番お痩せさんレベルの体型だけど、そんな彼女達は『豊潤』という言葉が似合うような体型だしエストロゲンも豊富だろうから、これから先ももっと続くのかもしれない。

10月に慢性の膀胱炎にかかり、以前に膀胱炎を甘く見て腎盂炎、挙げ句には敗血症にまで悪化させた経験が人一倍私をナーバスにさせて医者通いが続いた。『更年期障害』の中にはそういった膀胱炎も含まれる。エストロゲンの分泌量が低下することによって、膀胱内が弱酸性からアルカリ性に傾き細菌が繁殖しやすいし、膣同様尿道の粘膜も薄くなり以前よりも感染しやすくなるのだそうだ。そんなことがあると、性的な行為ももう安心して楽しめない。ここ数年次第に落ちてくる性欲は意識していたけれど、それでも自らその機会があればありがたく頂くようにと努めてきた。それがこの秋思いもかけない膀胱炎で「もういらん」というところまで行き着いた感がある。

「雅ちゃん、冬だからじゃない? 春になったらまたうずうずしてくるわよ」

そうまともに聞かない女友達もいるけれど、それがそうだとしたらほっとする自分なのかな。今までは本当に性欲のために男が必用だったけれど、これからは彼が大好きでその人だから性欲が蘇るという形に入って行くのかもしれない。それはそれで一番理想的ではあるけれど。




思えば私は、ずっとホルモンに翻弄されてきた。こんなにもしたいのに夫とはできない。その身体の中を駆け巡る衝動をどう押さえていいかも解らなかった。

「ホルモンでぐるぐるしてるんだ。気持ちは解るよ。僕も高校生くらいの時にはどうしようもなくて苦しかったもんなぁ」

そう一緒に遊んでくれた若い青年が言ってくれたときは救われた感じがした。誰かがそれを理解してくれているというだけでほっとするような感じがしたものだ。

「もう強い性欲に翻弄されて苦しいのです。どうしていいか解りません」

そう、女性の主治医に真面目に相談したときもある。

「マスターベーションをしなさい」

そう、主治医はまともに返して来た。何か性欲を抑える薬でもあるかな、とか思って相談したことだったので、ちょっとがっかりした。確か、私の好きなキャサリン・ゼタジョーンズの旦那さんのマイケルダグラスがセックス依存症とかで入院したとかいうニュースを聞いたことがあるけれど、そういう施設で一体どういう治療をするというのだろう?

気の置けない姐御やおかま君とのゲテモノナイトで「結婚してるのにセックスできないなんてもうしんどい。耐えられない」と半泣きでこぼしたこともあった。そのくらい、このあり余る性欲に翻弄されていた。30代の鬱が完治してリビドーが戻って来て以来の、この十数年の『ぴかぴかしたオトコノコ』にワクワクドキドキしながらクーガーまるだし、SATCで言えばサマンサ役そのものの私が、ホットフラッシュでひいひい言った挙げ句に辿り着いた『枯渇感』。ここで手放したら、おばさんまっしぐらになる、という恐怖からしがみついていた何かが消滅した、という感覚がある




と、ここまでくれば「セックスいらん」から「男いらん」になり、「はて、私は何で離婚するんだっけ?」という首を傾げてしまう状況にいる。そういう微妙な心境をきちんと一緒に穏やかに生活している夫には告げているのだけれど、彼は今仕事で凄く忙しくてそれどころではないという感じだ。それで多分に私は『押し出し』で離婚を成立させてしまうのだろう、と割と他人事のような気持ちでもいる。秒読みに入ると、mariage blue如く『divorce blue』というのはこういうものだろうという気持ちも観察できるが、サレンダーでいる以上、展開をただ見守るというスタンスしかとれない。




一日のある時にふっとエッチな妄想が頭をもたげ、それに反応した子宮がきゅうううううっん!と反応して痙攣を起こし「イタタタタタ!」となったあの時や、「アタシ、平気で一日5回イケる」とへろりと告げて女友達を驚愕させたり、子犬君が「もうこれ以上無理」というまでねだったこともあった。それも今となっては懐かしい『過去の私』にすぎない。

サプリメントが実に良く効果を現しているのか、ここのところ『更年期症状』に苦しめられることもなくなった。あれほどしんどかったホットフラッシュもほてりから来る不眠も治まり、身体の節々の痛みも消えて健やかな感じだ。そして、どこかしら『しん』とした感じがある。『エロテロがなくなった雅』は一体どんなキャラになってゆくのだろう。






なんでこんな記事をいきなり書いたかというと、偶然にこんな動画を見つけたから。
マリエさんという存在を今まで知らなかったけれど、これ見て大好きになってしまったわ♪



11/06/2014

あなたは『尊厳死』を選択するか


前回の記事でお知らせした29歳の末期癌患者Britney Mayardsさんが、予告通りの11月1日の夜に自ら安楽死出来る薬物を摂り、愛する家族の腕の中でお亡くなりになった。

11月1日という予告をした後に一度「11月2日を過ぎてまだ生きていたとしてもそれもよし」という短いメッセージを発信したにもかかわらず、やはり体調の変化を意識し実行に移した。「まだ元気に生きられるような気もしたけれど、やはり毎週確実に病状は悪化していたし、一日に2度発作を起こしたこと、ある日目の前の夫の名前が解らないでいた自分がいた一瞬を意識して、やはりこの日に実行することにした」と彼女は語ってる。

彼女の死を伝えるニュースで、カリフォルニア州の彼女が実はサンフランシスコベイエリアの住人だったことを改めて知った。それでファンドを作って世界に知らしめた彼女の行為がどこか腑に落ちる気がしたのも事実だった。このリベラルな街に住んでいたからこその発想かもしれないということ。こういう『非常識な選択』は保守的な街の住民だったらまさしく考えられないことかもしれず、やはり住む環境で思想というのは大きく変わると思う。

ニュースを聞き「死ぬのは勝手だけれど、黙ってやれよ。かまってちゃんになるなよ」という不快感を表す日本語の書き込みを目にしたけれど、彼女が世に広めた影響は大きい。賛否両論の嵐の中から社会は進化していく。日本でもいつかそれを認めるべきという声も上がっている。彼女が独断の決心でひっそりと亡くなっていたら、人々は『考える機会』を失っていただろう




前回の記事で私はあまり深く考えずに『安楽死』と書いたが、後ほど多くの『尊厳死』の文字を見ることになり、この安楽死と尊厳死の違いを調べてみた。そして、その言葉の使い方と状況にアメリカと日本に若干違いがあることも知った。

米国で議論になっている『尊厳死(death with dignity)』は医師による自殺を意味し、日本ではこれを『安楽死』と意味している。では日本で言われる『尊厳死』とは何かというと『必用以上の延命行為なしで死を迎えること』であり、それは米国で『自然死』と呼ばれるものであり、殆どの州で法律で許容されているということだ。

この辺の違いについて説明している記事を見つけたので、参考にしていただきたい。そして、ブリタニーさんの選択が決して安易なものではなかったことも良く説明されている。





「もし、自分が植物人間になってしまったとしたら?」という状態になることを考えてみたことはあるだろうか。 自分の意思を伝えられない状態になっているときに、機械に繋がれて永遠と生かされ続けて生きたいのだろうか

現代医療の発達は回復する見込みがない状態になっている人でも生命維持装置によって命を保つことが可能であり、でも患者にとっては延命治療はとても大きな苦痛とストレスになる可能性がある。それを伝えられない状況でいるときにも、家族は散財してまでもあなたを生かしておこうとするだろう。




欧米では認知症と自己決定権の問題が深刻であり、リビングウィルを持つことを重要視している。夫はかねてからそれを意識していたので、彼のものと同様に私にもそれを確認しリビングウィルを残してきた。もちろん『延命拒否』でありそれを確認し合っている私たちがお互いの生命維持装置をはずす決定権を持っているということをウィルに記述してある。私が敗血症で入院した際には、病院から夫にそれを持参するようにとの要請もあった。

ところが離婚によって、それを失うことになった私たちだ。夫の決定権は彼の妹に委ねるらしいが、米国に肉親のいない私は誰の名も書けない。しぶしぶ夫が自分の名を挙げておいてもいいとは言ってくれたが「デートしてる男にでもしたらどうだ」とかありえない嫌味を言ったので、とりあえずそうしないことにした。

そして、考えた末に私の身に信用出来る少し年上の女友達がいたことに気づいた。彼女には離婚の決意を一番最初に話していたし、誰よりも心強いエモーショナルサポートも沢山もらっていた。それでそのお願いをしたところ、彼女が大切な役割に自分を考えてくれてとても光栄だと快く引き受けてくれた。これで、英語が解らない私の家族だけれど、彼女によって私の死を知るだろうし、後は彼女の手伝いでどうにかなると安心出来る訳だ。もちろん彼女に何かあった場合には、私がその計らいをする。




今回のことでその友人から、アメリカの主治医が年寄りには『POLST(Physicians Orders for Life Sustaining Treatment)』とか『Advance directive』という書類を書かせたりする、ということを初めて聞かされた。調べてみたら、なるほど便利なフォームがあって、そこにチェックしておけば延命処置や内臓ドナーなどについての希望が主治医によって保管されることになる便利なものだ。

日本では現在『終活ノート』というのがあるということも知った。さすが老齢化社会『どのように死ぬかを考える』は社会の大きなパートにもなりつつあるのだろう。なんといろんな会社が終活ノートを発行していて、個人がそれを選んで残しておくことを勧めている。


現在日本に帰国している彼女に「私も欲しいな」とメールで伝えてみたら、なんと偶然にも既に私のお土産として購入済みだとのこと。さすが私の友だけある、と感心した。