9/06/2014

恋はハワイの風に乗って 2


正直ハワイに住みたいとなど人生思ったことはない。バブルを生きた私だから「ハワイ?あんな日本の植民地みたいなところ」と馬鹿にしていた。どこに行っても世界中日本人だらけの80年代は、とにかく日本人が足を踏み込まない僻地を求めてバックパックの放浪の旅をしたくらいの私だった。多分16カ国くらいは旅をしたことがある。それでも歳をとってみれば、日本の製品には事欠かないし温かいし冷え性の私には住みやすいところではないか、となんとなく思えるようになっていた。むしろ、今はもう日本食がゲットできない地域に住むことはできないかもと思う。この離婚劇で胃を壊した時、アメリカ食はまったく受け付けることができず、唯一喉を通ったのは日本食のみだった。それを思うと今後歳をとって行くに従って、その欲求はますます募るものだと想像する。

あれは2012年に日本帰国したときだった。同行人がハワイに住みたいということを言葉にしたとき、さほど思ってもいないくせ「いいですね〜、お金あったら住みたいですね〜」と同調して頷いた私がいた。「雅さん、お金あるじゃないですか?」との問いに「いや、自由になるお金がもっと欲しいですね〜」とほざいたのを覚えている。確かに夫と結婚している以上、それはあり得ないと思っていた軽い会話だった。そのときは夫と離婚して自由な時間とお金が手に入るなんてことこれっぽっちも思ってもいなかった。




サンフランシスコベイエリアの寒さで嫌がっていたらどうよ、って人からは笑われるけれど、去年の冬、日本食スーパーの広告を目にして「何?ハワイに支店があるの?それも二件も?そしたら、ここ以上の住み易さじゃない??」と思って急にオアフに目を向けたのがきっかけだったのかもしれない。去年の11月にレイキマスターを取得するためマウイ島には出かけていたけれど、オアフ滞在は皆無に近い。ハワイでひと冬過ごしてみて、自分のSAD(季節鬱)が思い込みなのかどうかを確認したいと思った。夫が私をひと冬ハワイに住まわせてくれる訳がないので無理だろうと思っていたけれど、いつのまにかの離婚になったらハワイに移動するしかないような気がした。それをカリフォルニアの友人たちに告げても、あまり良い反応が返って来なかったが「それを未確認のままにしておくことはできない」と言い切る私がいた。


離婚はどうなるか解らなくても、夏に2週間くらい様子を見に行きたいとぼんやり思っていたら、おかま君の友達が結婚式をあげるので、彼が8月にオアフに行くと告げて来た。向こうで一緒に遊べるなんて最高じゃないと、それに合わせて計画を立てることなった。それで夫に堂々とハワイにおかま君と友人の結婚式に参加しに行くのだとと一方的に告げた。あっちで合流できればいいなくらいのつもりでいたら、アメリカの習慣により、おかま君の『デート』という立場でその結婚式のレセプションに出席できることになった。その花嫁となるべく女性『はんこ』とLINEで繋がり、面識はなくともすぐに気の置けないチャットになった。ハワイの一番最初の知り合いになる。その彼女はまもなく医者と結婚する。


友達に「離婚してハワイに行く」と言いまくっていたら、先日ダンス仲間がホノルルに出かけて来て、向こうに住む為の人の不動産情報誌やクーポン雑誌などを持って帰って来てくれた。出雲大社のお守りがお土産だったのには驚いた。読んでるうちになんとなく地理的な感覚が解って来た。ワイキキのコンドに住む気はないけれど、ちょっと離れた郊外だったら今と似たような環境でうまくアジャストできるのではないかという気がしてきた。

ハワイの2週間滞在のフライトチケットを購入し、高級住宅街のカハラ地区にある家の部屋を早々に借りておいた。今取っているダンスのクラス情報も調べ始めた。5リズムにアルゼンチンタンゴのクラスを確認し、ダンカンダンスの代りにフラダンスも習えばバランスがとれるかもと期待した。フラは習ったことはないけれど、自然を仰ぐスピリチュアルなダンスのような気がする。ダンスのクラスを取り、レイキのサークルとかにも参加しているうちに、きっと自分に合う人脈と知り合えるのではないかという期待も沸き上がった。地元の友人と物理的には離れるけれど、今だってろくに会わずしてチャットしてるのだから、同じ感覚でいけるのではないかともくろんだ。




暗い部屋で汗ばんだ身体をベッドに放り出していたら、おかま君からLINEが入った。はんこがそんなことで人をジャッジして引くような女ではないと不審がりながら、私にどうしてるのかと訪ねて来た。

「オンラインで用意しておいた男の一人とこれからデートするわ」
「さすがね」

以前ベイエリアの中年男性二人ととても素敵なデートをしたけれど、中年男は追っかけて来てはくれないし私も追い掛けないから、結局は続きはなかった。誰かと出逢って夏の間遊べたらいいかなと思ったけれど、面倒臭くなったので子犬君を拾い、結局やっぱり終わりなのだと言うことを自覚させられたシャスタ旅行になった。それでデートサイトのプロファイルの住所をホノルルに変えてみた。ハワイの男たちからアプローチされて、その彼らのファイルから職業や雰囲気などを感じつつ、住んでいる所などをGoogle mapや不動産サイトでリサーチしてみたら、少しずつオアフの地理と住宅状況が具体的に見え始めてきた。デートで夕食をして現地情報をゲットできればそれに越したことはないかな、くらいのノリでいた。

少なくとも、私のプロファイルで誘いをまだ受けられるのは事実だった。進化する自身を意識しながら撮りだめしたセルフィーからは、相手に充分な妄想を膨らませるだけのポジティブな女性を感じられる。その出来は夫に褒められたくらいだった。ハワイのおっさんたちとのデートというのはどんなものかな、と思いを巡らすのはそれなりに楽しかった。過去に出逢った地元のベイエリアシリコンバレーのIT青年たちは、まったく引き出しの少ない空いた箱のような印象の人との出逢いが多かった。かといって、SF市内のヒップスター達とはまったく接点のない私だった。恐ろしく年下の青年達は、頑張って姫のように扱ってくれたのでいい夢を見られたが、それも一人一人と指の間からこぼれ落ちていった。今回は自分に見合った年齢を選んだ。選んだ二人とも55歳の少し年上の白人。極めて現実的な相手で私には新開拓の年齢層だ。




『言霊』は『展開』を呼ぶ。言ってみるもんだな、行動してみるもんだな、ということはいっぱいある。そんな驚きの中でハワイ行きを楽しみにしていたのに、一週間前に友人が亡くなり、頭の中に靄がかかったような思いでつまずいた旅が始まったのだった。





2 件のコメント:

  1. 『2』を読んでようやく経緯がつかめました(^_^;)
    ハワイにいらしたんですね〜

    旅の始めのつまずきも
    後で考えると
    必要なアクシデントだったと
    思えますって

    …って
    楽観的過ぎますかね〜(笑)

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    1. Kudoちゃん

      そうなんです〜。なんだかインド並に濃い旅になっていて、悠長にブログアップしてる暇がありませんでした。

      友人が亡くなって気落ちもしてたしね。でも、癒されて帰ってきましたよ〜♪

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