9/16/2014

恋はハワイの風に乗って 11


スマートフォンの登場によって、私たちの旅は大きく変わった。Google mapのお陰で道に迷うという無駄な時間はなくなるし、自分が探しているもの、それも不特定多数の評価に基づいた良質なものを確実にゲットするのにさほどの労力もいらなくなった。それでも、事前にマップ上でイメージしたものと、その場に到着して肌で感じた『現実感』というのは、結構な差があるものだ。

島巡りの翌日は、ホノルルの住宅街の探索にでかけることにした。今まではカハラの端っこ、モールとビーチの間を歩いただけだったけれど、今日はカハラ、カイムキ、カパフル住宅地の雰囲気を感じるために軽くクルマで流してみようと思った。

情報誌に『カイムキを歩いてみよう!』なんてあったので、ベイエリアの閑静な郊外のダウンタウンあたりを想像してでかけてみたら、あまりにもしけていたので唖然とした。

『レストランやブティックが近くにあって、とても便利なところ。一度この地域に住んだら、もう他に住めないくらいです』

部屋を探しているときに、そういう紹介文を書いていた人がいたけれど、その『便利さ』というのはこの程度のレベルなのだ、と気づいた次第。中心地にある小さなパーキングは出る人待ちの混雑だったし、店の数は圧倒的に少なく選択の余地がない小さなカフェは30分待ちだった。多分に中心地であるその通りには、シャッターの降りている訳の分らない店もあり、何故にしてこんなに閑散としているのか不思議なくらい。観光客が流れている今、もっとこの場でビジネスをしようという人がいてもおかしくないとは思うのだけれど。

しかたがないので角にある小さな店で『アサイボウル』とやらを食べてみる。フルーツの盛り合わせかと思ったら、まるでシャーベット状のものにグラノラやフルーツのトッピングがしてあるもので、ランチ代わりになるものではなかった。勝手に思い込んでいた『お洒落な住宅地の繁華街をぶらぶらしてみる』という計画は全くとして裏切られた思いで、途方にくれた。

その後、カパフルを流してみたけれど、ところどころで数少ない『スポット』に群れている日本人観光客などをちらりとみた。




ランドロードのテスとその友人のモーはマウイ島にも住んだことがあるけれど、「あまりにも退屈で参った」とオアフに戻って来たと言う。確かに去年の11月にレイキマスターを霊授するためにHanaにステイした経験はあるけれど、余りにもの『何もなさ』に唖然とした。そこにいるのは、蚊とロコサーファーと牛だけ。レストランさえない。海岸沿いに並ぶ何億ドルとする家に住んでいる人々は、一体どうやって生活をしているのだろうと思ったけど、隠居の年代ともなるとお金と暖かい気候と美しい風景があれば、家に閉じこもっているからそれで最高なのかもしれない。

不動産の値と家の外観、土地の雰囲気や便利さが見合わないことがだんだんストレスに感じられてくる。そして、それと同時に今現在自分が住んでいるSFベイエリアの環境がどれだけ便利で素晴らしい場所かを再度改めて認識できるのだった。

「アッパーマキキがいいわよ。シングルが多く住んでいるエリアよ」

そうモーが言ったので、そのエリアにある不動産を適当に選び出しそこを目指したところで早々に疲れてしまった。汗ばんだ身体が不快だった。私が考えていた住宅環境というのは、この島にはないのかもしれない、とやっと悟った感じだった。

チャーからチャットが入る。軽く状況を説明する。

「もう、部屋に戻って昼寝でもしよかと思ってるところ。それとも…」
「それとも?」
「あなたのところでお風呂でも入らせてもらおうかしら」
「そっちの方が良い選択だと思うよ」




ホテル使用の肉厚な白いバスローブに身を包み、やっぱりダメなのだという確信を得、私は少し憂鬱な気分で上質な皮のソファに身を沈める。インターコースにトライするも、私は辛いだけで彼とのセックスは楽しめなかった。

「君は暫くそういう機会がなかったのだから、仕方のないこと。今後ゆっくり少しずつ練習したら、君は僕を全部受け入れられるさ」

そう、チャーは楽天的に慰めてくれるけれど、生殖器の相性の悪さって凄く重要なことだと思う。

「私のせいだわ…」
「何言ってるの。君のせいの訳ないじゃないか」
「私がちゃんと自分のテイクケアをしなかったから、こういう目にあったのよ。まさか、このハワイの旅でこんな機会が訪れるとは思っていなかったら、侮っていたのよね」

そう言いながら、確かに私は『お告げ』が降りていたことを思い出していた。バスルームの引き出しを開ける度に目にしていた『それ』に私は『気づいて』いた。そこにあるそれが見えていたにもかかわらず、自分のエゴがそれを打ち消して無視していた。まさかこの旅の間に誰かとセックスをする自分がいるとも思わなかったし、そんなことがあってもならない。自粛の意味も兼ねて、あえて『準備オッケー』にはしていなかったのもある

「君が何を言っているのか、俺にはよく解らない」

そう言う彼に、私は更年期の女性の生殖器の現実を説明し始めた。熟年でありながらもパートナーとの性生活が活発でないかぎり、男にとって多分にこういうことを知る機会はそうないのではないかと思う。そして、女性の身体の辛さとセックスの拒否が、男性側の『人格の拒否の誤解』を招き、必用以上に関係がギクシャクすることは多くのカップルに起こっている現実なのではないだろうか。




公共のブログで顔出しのくせに『性的な話題』を平気でアップする私に『エロテロリスト』と名づけた誰かがいた。それが自然に定着して、ゲテモノ系友人の中では『雅=エロテロ』となり、いつしか私は性的な話題をさらりと提供するエンターテイメント的存在になった。数日前の記事で『陰毛剃り』をシェアしたことで、おかま君から「さすがのアタシでも引いたわよ。そんなこと書くヲンナいる?」と言われたけれど、リベラルな街のサンフランシスコで暮らして来た私には、日常で起きていることのそれが『隠すべきこと』とも思えなくなっているのも事実。私にもモラルはある。それがただ『マイノリティー』というだけであって。

「どうして、みんな生理的な話題をそんなに隠したがるのかしら。誰もが持ってるもので、誰もがそれなりに考え望んでるものなのに」

そう、私があっけらかんと言ってしまったら、大御所に「隠すから楽しいのよ」とばっさり斬られて納得した。それを隠す社会だから、あえてそれを見せる、見ることにあれだけのビジネスがからんでくるのも事実。

過去使っていたアメーバブログは禁止用語の検閲が厳し過ぎて、記事を一方的に削除されたり、下書きからアップロードしようとしても『不適切なワードがあるから』という理由でアップできないことが何度もあった。そのワードが一体どれだかも解らないからそれは凄いフラストレーションになる。いくら性的な描写があったとしても、一般的な『アダルト』というカテゴリーに入れてしまうねっちり陰湿なものとは違う。女性だって性と向き合い、それを語り、それと上手につきあう必用があると思う。男達が勃起する『エロ対象』だけじゃないはず。




去年の夏、私の身に起きたことを女友達に説したけれど、みな「そんなことってあるの??」と、目を丸くしていた。もし、私に自分よりもっと年上で性的な話ができる間柄の人がいたら、同じ体験をシェアできたのかもしれないし、私は悩まずに安心できたかもしれない。普通はそんな話題に触れる機会はないだろうし、だからこそ、私は自分の体験を女友達に平気な顔をして話す。そして、もしかしたらどこかで更年期の症状で悩む女性のヘルプになるのだったら、と思うと、あえてそれを書いてみても良いのではないかと思えるのだ。

という訳で、次回は久々の『エロテロリスト』記事になる。というか、きっとそれは『保健体育』の時間なのだと思うけれど。





アサイボウル。 小さいのにしてもやっとのことで完食

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