12/31/2014

年末の恋バナ 2


「それって、遠距離じゃん…」
「やっぱ… そう思う?」

8月にハワイから帰って来た後もチャーとのチャットは続いていた。あのハワイでの毎日のように朝起きたら「おはよう、雅ちゃん!!」昼間に何気ない会話、そして「おやすみ、雅ちゃん!!」と。そして金曜日の朝には「ハッピーフライデー!!!!」ときっちり決まった挨拶が届いていた。サンセットの写真も飽きる程に送られ続けていた。

チャーは相変わらず仕事に復帰できないでいたけれど、生活は普通にできているようだった。チャットはkakao talkを使い、そのスタンプの可愛らしさにお互いが癒されていた。ときには6時間ぶっつづけて会話しあってたこともある。あまり電話で話すことはなかったけれど、たまに話すと声ががらがらに枯れていて凄く暗かったりする。それで、週二回は遠隔レイキを彼に送っていた。始まりと終りにそれを知らせていたので「君がいる人生って、なんてラッキーなんだろう!」ってよく言っていた。

私は今まで男性とチャットをし合うような仲になったことないし、ましてや遠距離もしたことない。お気に入りの相手からテキストが届けばそれなりに返事はする。そして今回それが習慣化し、みっちり毎日「I love you」を言われれば悪い気もしないし、その気になってしまった。チャーは私のことをハワイのデートの時から『ガールフレンド』と呼び、テキストでも『Sweety, Honey, Hon, Love』と呼びかける。まるで離れて暮らしている恋人のような存在になってしまっては、私がこっちのベイエリアでムーブオンできない。一体自分たちの関係は何なのだ?と少々の苛立も生まれ始めて来た。

「めずらしくやけにお気に入りじゃない?」

女友達にチャーのノロケを報告するのに使う言葉は限りなくあった。私は本当に彼のことをとても気に入っていた。ただし、彼の癌の後遺症の為に食事を一緒に楽しめないこと、彼のデカマラで閉じマンが切れマンの私の肉体的苦痛をどう乗り越えられるか?そして、ミリタリーでナースをする彼の移動の件は、将来を考える大きな問題でもあるかのように思えた。

「私たちは『チャット』を楽しんでいるのよ。スタンプも可愛いし、錯覚しているわ。この関係は現実的じゃないと思う」

「I love you!」を連発する彼にそう戒めたこともある。そして正直に「私は自分の気持ちがあなたに対する『愛情』なのか、それともボランティアをするような『慈悲』の気持ちなのかが良く解らないでいる」と告げたときもある。ナースである彼が患者に惚れられた経験があるから、それはちゃんと理解してくれたようだけれど。




今までになく温かい日々が続いたSFベイエリアに冬がなかなか訪れなかったので、ハワイを恋しく思う気持ちもなかった。

「飛行機に乗ればすぐさ。君に会いに旅行できるよう早く身体が回復すればいいな」

そう言った彼だったけれど、お互いに『会う』という行動に出る気配はしばらくなかった。

出会いからみっちり毎日3ヶ月のチャットが続いていたある日、私は彼にこう切り出してみた。

「このままじゃムーブオンできない。オアフは特に好きじゃなかったけれど、あなたとなら住める場所だと思う。私と実際暮らすことにトライしてみたいと思う? 一緒にヘルシーな料理を作って、レイキを受けて。私がヨガのコースを取ったら、家で私の生徒になって健康回復に専念すること、やってみたいと思う?それでうまくやっていけたら、春に私が日本に帰国するときに一緒に旅行するのもいいし」

そうチャーに確認を入れてみたら大乗り気だった。ちょうど良い3ヶ月ヨガティーチャーコースがあったので、全額前払いですぐに席を手に入れ、彼もレジスターできてよかったねと言っていた。




その後暫くして、風邪を引いて寝込んでいたときにチャーの「!!!!」と叫ぶテキストがウザいと感じてしまって、「叫ばないでよ」と告げてしまったことがあった。向こうは「良心でやってるのに」とくるから「良心ですることがいつも適切とは限らないでしょ」というやりとりをした。そのときに「ねぇ、聞きたいことがあるの」と切り出し、「前妻と4年付き合った後結婚し、結婚3ヶ月で離婚されたその理由で思い当たることがあれば教えて欲しい」と尋ねてしまったのだった。以前それについて「まったく解らない」とチャーは言い、何故解らないまま平気で離婚できるのかそれが謎だと私は思っていた。「多分これかな〜、あれかな〜」と何か話してくれれば、パーフェクトな男なんていないので納得出来るものの、今回もチャーは「解らない」の一点張りだった。翌日私は「気分が悪かったからビッチになってたわね、ごめんね」と誤り、それも許されてはいた。仲直りをしてその後三日程は普通にラブリーな会話が続いていた。

「12月の何時頃オアフ入りしようか」と考えていたある日いきなり長いテキストが届き、さんざん私の嫌な点をずらずらと書き綴った挙げ句「君は僕のリタイアメント後の人生の設計図にフィットしない。だから一緒の時間を過ごすのは時間の無駄であり、よって僕は君にここに来て欲しくない。お互いの道を歩くことにしよう」と結論づけて来た。

顎が落ちたわ。

血が引く思いでチャーに電話をしたけれど、取ってもらえなかった。「気持ちは理解するけれど、こんな別れ方は嫌。ちゃんと話そう。電話取って」とお姉さんぽくヴォイスメールを残して再度電話してもやっぱり取ってくれなかった。私もそれなりに言い訳のテキストを送ったけれど、それにも返事がなかったので、仕方がなくホ・オポノポノの言葉を送って終わりにした。kakao talkもチャーとだけの使用だったので直ぐにアプリを削除し、それで密度の濃い遠距離恋愛がぶっつり終った。朝昼晩毎日会話を交わしていたので、暫くはやっぱり寂しかった。

そんな話を友人達に告げながら、どこかほっとしている自分も感じていたのは事実だった。舌癌からのリカバリーで焦っているときに私の存在が癒しになって彼の健康回復が早まるかもと思ったら、私の方から彼に別れを告げることは決してできなかったと思う。でも、食事とセックスに関しては正直モンダイな感じがしてた。それでもめでたくも彼の次の任地に一緒についていく覚悟もしていた。何処の任地希望を提出するかという話も彼としていた。でもリタイアメントで何処に住むかを尋ねられた時には、彼の故郷に住む気はないと洩らしたものの「そんな話、まだ早いよ」ととりあえず成り行きで考えればいいと思っていた。ハワイに居た間の彼はとにかく気に入っていたのだ。ただ、7日間弱の付き合いで何を理解していたのかは疑問だったけれど。




「で、どうすんの?ハワイ?」
「ん、行くよ。ヨガのクラス全額払っちゃったし」
「でも、キャンセルできるんでしょ」
「多分ね。でも、いい。これも運命の導き」
「雅ちゃんらしいわ。笑」

そんな訳で、特に夢のオアフでもなく、ヨガの先生になる目標などなかったのに、ひょんなことからそんな流れになってしまった。SFベイエリアの居心地が良くなって家を出られずにいたので、何か大きなきっかけは必用だった。だから、痛い話だけれどどこか「そうきたか!」という感じもあった。

チャーがえらく『頼りになる男』だったので惚れてしまったのだけれど、そうされて自分の男を見る目を疑い反省した。彼に振られてから、住むとこ探さなあかんと部屋探しに翻弄したのは自立第一歩の良い機会だった。試行錯誤しながらも、運命はラッキーな手応えを感じさせてくれ展開していった。




「サンクスギビング、どうするの?」
「今年はホリデー無視。断捨離でそれどころじゃない」
「シングルが集まる会があるよ。ターキーじゃなくてローストした蟹を一人で丸ごと食べるんだけど」
「行きます」

そんな会話を婆友と交して、家を出ようとしたその時にLineの着信が鳴った。誰だろう?と思ってチェックしたらチャーからだった。

「…」

Lineを知らない男の為にkakao talkを使っていたのに、それを削除したらわざわざLineにアカウント作って追っかけてくるかい?

「Happy Thanksgiving, Miyabi-chan!!!!」

ターキーのスタンプと共に相変わらず叫んでいるチャーだった。まったく学んでいない。その前に言うことあるだろ?おい。

「返事しちゃだめよ」って言われて「しないよ」って応えたけれど、なんかな〜って思う。オアフに住んで、もしかしたらアラモアナあたりでばったり、ってこともあり得るかと思ったけれど、相手に嫌われている訳じゃないんだって解っただけ気が楽になったかな、って気はする。

「ファミリーイベントできっと寂しくなったのね」

婆友は言ったけれど、そうなのかな。

いきなり振られて弁解の余地も与えられないまま3週間が過ぎていた。それからは、うわぁぁああと翻弄していたし、時々はチャーのことも思い出していたけれど、このテキストで彼とヨリを戻そうという気持ちはまるで起こらず、すっかりムーブオンしている自分を発見した。もし、それが振られて一週間後のことだったら解らなかったけれど。




クリスマスの昼間にもチャーはスタンプと共に叫びのテキストを送って来た。今度はエクスクラメーションマークがひとつ増えて5個で叫んでいた。前にスルーされているのに再度やるとはよほど鈍感なのか。それともこれは嫌味でやっているのか。さすがにストーカーっぽく感じられて気持ちが悪くなったので、Lineとテキストメッセージをブロックした。

ばったりアラモアナあたりであったらどうしよう。



年末の恋バナ 1


断捨離の最中に中腰で手を伸ばしたら、軽いぎっくり腰をやった。「こんなときにぎっくり腰になってられないわん」と、さくっと鍼に出かけ、芯から温めようと久々にビクラムヨガに戻ったら、身体の調子が良くなったので年末を通いつめていた。


クラスをとれるのも最後の日になった昨日の夕方出かけてみたら、鏡の中最後列に見かけない男を発見した。胸筋ぷっくり肩もりっと良い裸体が光っていたので目をやったのだけれど、顔は「山男ですかい?」と思うくらいのもっさり髭面。


「…」


まさかね、とは思ったけれど、食い入るように見てしまった。いや、どうしても顔が重ならない。「人違いよ」と思い直したけれど、何気に両足首を見たら例のtattoo でやっぱり『ズッキュンの彼』だった。なんと丁度2年ぶりの偶然の出逢いになる。


当時を思い出すと大笑いなのだけれど、あの時超ロマンティックな『オーガニックな出逢い』を経験して、それは素敵なデートをしたので『ツインフレームに出逢った』とショックで涙にくれて大騒ぎしたことを覚えている読者の方もいらっしゃると思う。その後『ゲイ疑惑』が持ち上がり、気持ちにもムラがありそうで良く解らないままフェイドアウトした、あのズッキュンの彼がそこに居たのよ。


どうしようかと一瞬迷ったのだけれど、クラスが始まるまでまだ間もあったので思い切って彼のところまで行ってみた。彼は近づく私の顔を見てすぐに気づいてくれたけど。


ひさしぶりと挨拶をして、自然に裸の彼にハグをする。会えて嬉しいと告げているうちから、涙がぶわっと溢れて来て自分でも驚いたよ。


最近、あの当時のブログ記事を読み返して彼のことは思い出していた。あれから一年くらいはヨガのクラスに出るたび、どこかで彼を捜す自分がいたけれど、そのうちもう彼はこの近所には住んでいないのかもしれないと思うようにもなっていた。


「久しぶり。元気にやってる?」って聞かれて、ちょっと声が詰まる。「Yes」って言いながらも「あと数日でベイエリアを離れるの。離婚したの」と素直に事実を告げる自分がいた。伝えたいことが今言える、という機会に恵まれたことに感動していた。


「あのね、ずっと伝えたかったの。あの日のディナー、あの時の会話で私の人生変わったのよ。そのお礼が言いたかったの」


大げさではなく、それは本当だった。あのあっという間に過ぎたディナーの会話で、私は自分の昔の魂を呼び起こされた。あれ以降、忘れていた昔の自分を思い出すようにいろんなアドベンチャーに躊躇なくチャレンジする私がいた。そんなとき彼のエナジーを時々思い出していた。そして、究極の今の私に至ったのだった。


それを告げているうちにも、滝のように涙が流れ出ていた。そういえば、彼の顔をこれを書いている今は思い出せない。なんだろう、とにかく彼のエナジーは心地よい。そして、再度彼のエナジーに触れることができたことにとてつもなく感激していた。「神様はなんて憎いホリデープレゼントをくださったのだろう!」って。


「How sweet... Thank you!」ってズッキュンの彼は言って、両手の親指で私の頬の涙を拭き取ってくれた。もう感動の嵐。直ぐ隣には人がいたけれど、そんなことも気にならないくらいだった。


2年前に泣いていた彼に出会い、何も起こらずして2年後に泣いている私で終るなんて、なんてロマンチックなのかしら!


あっという間に90分が過ぎて、着替えて外に出る前に「もしかしたら彼が待ってるかも〜」と淡い期待をしたけれど「期待しないしない!」と思い返し、普段は入らない隣のスタバに入ってホットチョコレートを買ってクルマの中でじんわりと味わった。最高に幸せな年末の夜だった。





本当はそのままで終っても良い筈なんだけれど、ズッキュンの彼はその後私に「外で待ってたんだけれどすれ違ったのかな」とテキストしてくれて、それからなんだか会話が続いている。そして、こうやって会話をしていると「やっぱりストレートかな〜?」と思える感が強い。見た目はばりばり美意識強そうなゲイ男なんだけれどね。ま、正直彼がゲイでもストレートでも構わない。だって興味がセックスに繋がってないから。


彼は相変わらずビジネストリップで忙しくって、大晦日の朝シカゴに発つなんて言ってたけれど、これでまたフェイドアウトするだけだと思っているから私も何も考えてない。ただ、夕べからテキストのやり取りが続いてるな〜って。でもね、男の暇つぶしのテキストで燃え上がったりしないんだから。次にまた偶然に出逢ったら運命だと思うことにしよう。笑


この件はこちらの記事にて:


何もしない方が辛い

続:何もしない方が辛い
恋愛の駒の動かし方
既婚者の恋愛
デート前のマインドセット
久々にバシャール
パーフェクト過ぎるデート
涙の理由
Soul Mate Twin Flame
惚れた男に『ゲイ疑惑』
その後の展開
ドラマは続くよどこまでも 3

今読んでも、凄い盛り上がりだったな。





こう書いて、「あれ、私、もしかしてまだ枯れてない?」と思い直す。確かに一時期「男、イラネ。めんどくせ」という気がし始めていたのだけれど、そういえば、先日Nちゃんとランチに出かけたバークレーのお洒落ストリートで『イケてる親父レーダー』ががんがん作動していたことを意識した。一度はビーム!みたいな感じで目線ばっちり固定して、親父が嫌でも気づいて微笑み返してくれたくらいよ。


「男、イラネ。めんどくせ」には、実は理由があった。


「『恋はハワイの風に乗って』シリーズのチャーとの続きが気になります〜」と言ってた読者の方がいたけれど、なんとなく書く気になれなくって、もう話すのも面倒くせぇという気にさせられたのでスルーするつもりでいたチャーとのその後。この際年末出血サービス恥の上塗り恋バナを書いてみようと思う。




12/30/2014

離婚成立。元旦から新しい世界。


「後はジャッジのスタンプのみですから、これで事実上離婚が成立したと言えるでしょう。大変に穏やかに協力してくださって感謝しています」

いくつかの書類に最後のサインをした後、メディエイター である弁護士がそう告げた。

「お礼を言うのはこちらの方です。本当に驚くほど心地よくプロセスがふまえました。あなたのお人柄のお陰です。感謝しています」

「そう言って頂くと嬉しいです」

大人なのにどこか子供のような顔をしているにこやかな彼はまるで天使のようなエナジーを発していることに、私は毎回驚かされる。彼は夫の『弁護士という職業の人間に対する先入観』を完全にくつがえした。

「みなさん、そんなに目の前で喧嘩されます?」

「えぇ、そりゃ、もう。凄いものです。1Fの離婚弁護士は、そういうカップルをかき回してミリオンダラーとっちゃうんですよ。片方だけでその金額だから、相手も同様にそれだけ払ってるんだろうから相当の金持ちなんでしょうけれど、無駄なことです。弁護士だけが高笑いですよ」

そう言って目を丸くした彼だけれど、本当に私たちはミニマムの費用で離婚できたから、彼には大した儲けはない。欲がないというか、自分の信じるところで仕事をしている人なのだと思う。でもきっと彼の人生は別のところでとても素晴らしいことが回っていると信じたい。

アメリカで離婚なんてどこから始めていいか解らなかったし、大体にして熟年離婚なんて絶対できることじゃないと思っていたけれど、それでも同じ屋根の下の『最善の振る舞い』で離婚の過程を通って来たのは想像を越えた展開だった。この弁護士に決めたのも、本当に行き当たりばったりの直感だったけど、今回の離婚のプロセスには『運命に守られている』感が強かった。怒らず求めずして、与えられたものに感謝するだけにしてもありがたき優遇。こんな形の離婚をする人もそういないのではないかしら。そして怖がりながらもジャンプした自分を本当に誇りに思えるし、今は自分大好きの極致。笑。




「Thank you for your generosity!(あなたの寛容さに感謝します!)」

相手の自分に対する信頼と太っ腹さに感動して、思わず感謝を告げるラッキーな出来事が続いたとき「そういえば、私、誰かに言われたぞ?」とデジャブーのような感じがした。よく考えてみたら、フリーウエイの入り口に立ってたホームレスからだったことを思い出した。あの時財布を探ったら1ドル札がなくて、でも5ドル札があったからそれを差し出したところ同様なことを言われていた。

金額じゃないのだと思う。そこに差し出せるものがあって、それを純粋に差し出して感謝されたエネルギーが、別な機会で巡り戻って来ているという実感がじんじんする。状況の確率的なことを考えると、正にラッキーな出来事だし「あぁエネルギーは回ってるんだなぁ」と思える嬉しさだ。こうやって最近の人生のシーンは展開していく。




私の過去20年分の人生が片付いた。

やましたひでこさんに報告されている、大きな断捨離をした方々のそれに伴う『人生の変化』とはこのようなものなのだろう、という体験を私もしているようにも思えた。あれほどびくとも動かなかった大きな岩のような『私の人生』がゆっくりと動きだし、そしてそれに勢いがつく。モノへの執着を捨てることによって、恐ろしいくらいに『引き寄せの事象』の動きがでる。それは、ブロックが外れたかのように『たららっ』という勢いで流れ込んでくる。そう、それは経験した人だったら解る『シンクロニシティ』というものだ。

夫が使うことのないキッチンのがらくたを始め、自分に属するモノの8割方を処分し、更に大小2個のスーツケースに収まるだけのモノが今後半年間の私の全財産になる。しばし放浪の身となり、その後のことは、これからの半年の出来事で方向性が生まれて来るのだろう。私は今後の人生を誰のせいにすることもなく、お金の心配をすることもなく、自分が思うように好きなところで好きなことをして生きて行ける。そういう場所に辿りついた。




「そういえば、バシャールはどのように2015年を予告しているかしら?」

そう思い出してYouTubeで検索してみたら、2010年から2015年までの『変革のスパン』を語っている動画がいくつか見つかった。人々の意識はこのスパンで大きく変革され、特に2012年は大きなネックになると彼が語っている。ブログという記録があるので、過去ログで出来事を振り返ってみると、ランダムに起こっているようでも点と点が繋がっているのが再確認され『運命の流れ』の摩訶不思議さに唖然とする。10年くらい前の自分が人生を振り返ったときは安定の退屈さから、25歳から30歳までの人生の密度って凄かったと感心していたけれど、この5年の私のスピリチュアリティのイベントの密度とその変容も凄かった。そのフィナーレを今迎えているという感じかしら。

このスパンが変容の期間としたら断捨離はさなぎの殻をやぶっているような状態だと思う。さなぎから身体を出して羽が広がるまでにはまた暫くの時間がかかる。それが来年という感じで、実際飛べるようになるのが2016年くらいかな。

自分の人生が信じられる。何が出てくるか解らないけれど「でも大丈夫」と思える気持ちがある。私はまっすぐに立っている。バシャールの言う『パラレルワールドの電車の乗り換え』は出来たようだ。






バシャールの早口を理解するのはなかなか難しいと思い続けていたけれど、この暮れ初めて今までになく理解できてる感が強い。言葉ではなくセンスで理解できるという感じか。いろんな動画の中で、これがまるで悟りのように頭にがつんときて泣いてしまった。宇宙の波動というのは『愛』のそれなのだ。だからレイキであれ、祈りでさえ『奇跡』を目にすることができるのだろう。





12/27/2014

観音様が現れる


バシャールの言葉を日本語で伝えてくれるブログがある。毎日目を通す訳ではなくほんの時々何気に開け、必然なタイミングでメッセージを受け取っているくらいだけど、先日はそれを読んでいきなりわっと泣き出す自分がいて驚いた。


『物質世界で生活していると、自分の分身である貴方の”相方”詰まりは、ハイヤーマインドの存在を、すっかり忘れてしまいがちです。しかし、貴方には”目に見えない相方”が存在し、貴方は決して”独ぼっち”では無いという事を、絶対に覚えておいて下さいと、バシャールは話しています。 (中略) ”独ぼっち”では無く、貴方には”相棒”という助っ人が常にいてくれているという”事実”を認める事で、貴方の”恐れ”はリセットの方向へと、初めて向かう事が出来るようになるのだと、バシャールは話します』


 この文章を読んだ時に、 ふと少し前のある明け方のすっかり忘れていた出来事を思い出し、一瞬にして感動して涙があふれた。




顕在意識上では落ち着いているようでも、潜在意識ではやっぱり相当なストレスを感じているのだと思う。今年初めに目覚めの時にパニックアタックを経験していたり、最悪のときには神経性胃炎を起こしていた。その時ほどの症状ではないにせよ、ときどき目覚めの頃にそういう感覚を再度身体に感じたりすると「あ、精神的にきてるかな」とストレスコントロールに意識を向けたりしていた。

先日、目覚めの時に胃痛を覚えていた。半覚醒の状態で「あ、やばいな」と思う。今、神経性胃炎を起こしている場合ではない。朦朧とした頭でレイキを自分にかけようと、痛むところに手を当てレイキに繋がるよう意図する。その時に、私は身体の右側、ベッドの横に私に手当をする観音様を意識下に観た。とても美しい観音様だったけれど、人間的な3Dのそれではなく絵画的なイメージのそれだった。見ようとして想像したそれではなかったので、その突然の出現にちょっと驚きながらも、その存在の美しさ、エネルギーの美しさに感動した。そして胃痛は和らぎいつしか眠りに落ちたので、次に目覚めた時にはすっかりそのことも忘れていた。しかし今回、私はぼんやりとした意識の中で観音様の視線で私の身体に手をのばしているそこにいたことも思い出すことができた。




まるでスロークッカーのような離婚のプロセスで、当然そこには波があった。静かに穏やかなときもあれば、まるでスカイダイビングの飛行機の中でインストラクターから押し出されているような「あ、いや、ちょっと待って」みたいな気持ちや、10月にラスベガスで十何年ぶりかに乗ったローラーコースターの、カンカンカンという音と共に空に向かって登って行くときのあのドキドキ感、そして最後には、足場に隙間があいているような吊り橋を『泣きながら、それでも前進している』イメージを脳裏に見ていた。

むちゃくちゃ怖い。でも、それでも何故かしら背中を押してくれる存在がいるのには気づいていた。それがこの観音様であることに、バシャールのメッセージで認識できたという感じだった。




人は高尚なエネルギーを具象化する。私の顕在意識はエンジェルが好きだった。家の中には昔からコレクションしていたエンジェルの置物があったりするけれど、スピリチュアルな観点でエンジェルを信じていた訳ではない。そしていつしか私は理由なく観音様に惹かれるようになった。

2010年6月に自分の70歳は観音様のイメージなのだ、という気づきを得てそれを記事にしていた。レイキを始めてから一年後の2012年の10月に、とあるレイキマスターから「雅のレイキにKuan Yinから感じるのと同じ種類のエネルギーを覚えた」と告げられ、後ほど『Kuan Yin』が観音様のことだと知ってありがたくも驚愕したことを思い出した。仏教に関する知識はまったくないのだけれど、それから何となく観音様が身近に感じられるようになった。今年春に訪れた鞍馬山の霊宝殿の聖観音像の足元にひざまずき薄暗い部屋に浮かび上がるその美しいお姿を崇めたとき、昔の自分では感じられなかった泣きたくなるような静かな感動がそこにあった。この頃にはエネルギーをシンクロさせるということも普通にできるようになっていた。

どうやら私のハイアーセルフは観音様のイメージとその波動を持って存在しているらしい。そう理解すると、不思議に漫然とした未知の未来に対する恐怖感は薄れる。『心強い』というのはこういうことで、バシャールが言うように、私は決してひとりぼっちではない。それは『インスピレーション』という形で私にその存在を感じさせてくれる。最近のその『繋がっている感』は半端ないという感じだ。ある方向にドアが作られ、その向こうにある世界が既に半透明にかいま観られる。





12/24/2014

ホ・オポノポノで断捨離


捨てられなかった中学時代からの日記、放浪のジャーナルの全てのノートが詰まった重い箱を捨てることができた。モノと自分の関係はその個人にしか解らないことだけれど、とにかく出来なかったことがやましたひでこさんの動画で可能になったということは、本当に素晴らしくありがたい機会だった。それはまるで暗闇に持つフラッシュライトのような役目で、どんどん先を照らして見えなかったものを見せてくれる。展開が起こり人生のシーンが大きく変わる。

眺めているだけで幸せになるような美しい布の在庫も今まで現実逃避して近づけなかった。寄付としては受け付けてもらえず、多くのそれがゴミ行きになるのが残念で行為を渋っていた。でも、思い切ってゴミ袋に入れたときにふと「ごめんなさい使い切れなくて。許してね。私を楽しませてくれてありがとう。大好きよ!」って思いながら『ホ・オポノポノ』を唱えたら、嘘みたいにその行為が簡単にさくさくとはかどったので我ながら驚いた。

『ホ・オポノポノ』は、気持ちが絡んでいるモノを手放すときに驚くべき効果が見えるツールなることも発見した。捨てるときに発生する『罪悪感』を拭い取ってくれる。それで、断捨離が一気に加速した。




ジュエリーの引き出しを忘れていた。引き出しいっぱいに溢れている、それでもジャンクとは呼べないようなアクセサリーの数々を寄付し、運べるだけを残さなければならない。それは、未来の自分の姿をビジュアライズしてアクセサリーを厳選するモンダイとなって目の前に突き付けられる。根拠はなくとも訪れるであろう『機会』のシーンを想定してアクセサリーを選ぶということは、その時点で自分の未来を無意識に選択していることにもなる

残すモノは自分の未来像だから、それが相応しいと自分からギフトをあげるような気持ちでありたい。ここの意識の選択が『自分を大切にするとはどういうことか』が解るようにも思えた。『ホ・オポノポノ』の「許して下さい」の部分は自分に他の何ものも気にせず、自分の本心から好きなもの、やりたいことを選択することを自分に許可するということに繋がった。

気がつくと、マントラのように『ホ・オポノポノ』を唱えている。片付けては息抜きをし、淡々と用事をこなし、雨の日の渋滞でもまったくそれが気にならない。ただ人生が展開していく。

「落ち着いてるね」

そう私を観察した女友達が言う。あのおびただしい量の日記ジャーナルを捨てた後、不思議にも『見えない未来』に対する不安が激減した。漫然と抱えていた『恐怖』が消え去ったかのようにも感じられる。





12/17/2014

過去への『執着』に気づく


暫くの間『身辺整理』と言葉に出しながらも実際なかなか手がつかなかった。最近再度モノを捨て始めながらも途中でその手は止まり放心してしまう。思ったほどモノを捨てるのは容易くはない。決してモノに溢れている家ではなかったけれど、収納の中には使われない「多分にいつか必用になるかもしれないから」という理由でしまい込んでいたモノがきっちりと詰まっていた。収納スペースがあることに甘えきっていた。

多分に夫の性格に合わせていたこともあるだろう。彼は父親の古いゴルフセットを最悪の保管状態でガレージに置いておく。決して私に捨てさせることもしないし、災害があったときの為の『溜め込み』も凄い。もちろん、決してそれを馬鹿にするべきでもない。迷ったら両方買い、トイレットペーパーも日常食品も常に必用以上買込み『溜め込む』それが彼のスタイルだけど、それらに私は決して手をつけない。今回の断捨離は、家を離れることによる『私に属するモノ』または『私が溜め込んだモノ』だけに関する処理でしかない。




読者の方の勧めでやましたひでこ女史のセミナーに興味を持ち、サイトを覗きメルマガ登録をしてみた。余計なお世話かもと思いながらも、自身を「片付けられない女」とこぼしている長女姉の分も登録した。メルマガ登録をしたものの、後で読もうと溜める一方でろくに読まないままゴミ箱行きになることが習慣化していた私なので、少なくとも彼女にそれを勧めた手前もあるから、13日間のメルマガセミナーを溜め込まずに目を通すことを自身に課した。それでどうにか思い尻を持ち上げ自身の背中を押している。そして、13回シリーズの5日目の動画「収納上手な人の大問題」を観て、「その空間に不安を収めている」という言葉に目から鱗のような気になった。物事角度を変えて視るとはこういうことであったのか!という驚きさえ得たくらいだった。

『断捨離をしている』と文字にしているほど、私はこの意味の真髄を知ってはいなかった。やっぱり本を読んで理解したつもりでいるのと、彼女自身の顔と音声で伝わって来るのとでは雲泥の差があると思う。私はビジュアル派なので何事もYouTubeなどで動画を観て理解する方がてっとり早いということには気づいていたけれど、それにしても今回はタイムリーに素晴らしい気づきを得られたと思う。




動画を観ての衝撃と気づき、そして行動したいうずうずした気持ちを抑えながらどうにか最後まで観た。動画が終了するやいなや即立ち上がり、とうとう『悩みの箱』を持ち上げる。今しなければまた思いとどまる時が来てしまいそうなのが嫌だった。私が中学時代から書き続けていた日記帳、毎日の行動をちまちま書き綴ったスケジュール帳、旅の間に書き続けたジャーナル、思いの全てを落としたノート。捨てられずにその箱に保管したまま引っ越しの際にも自身に憑いて回った。ずっしりと重いそれを持ち上げ、箱の中から出て来た通知表や役に立たないサティフィケートの全ても中身を見ずにして大きなリサイクルビンの中に放り込んだ。そこに感じたのは『決別』だった。

映画だったらきっと、目の前に燃え盛る炎があって、そこに主人公がそれらの全てを放り込んでめらめらと燃えるそれを眺めているような心境なのだろうな、とそんなビジョンを思い浮かべてちょっと自嘲した。それくらいの『自分の過去』に対する決別感を得ていたのだった。

私はそこまでにして何に執着していたのだろう、と思う。それを捨てられないという行動の裏にあるものは何だったのだろう。

ダンボール箱の大きさと重さはそのまま私の心の負荷になっていた、と気づかされた思いだった。写真は多くの『感動』を笑顔と共に収めているけれど、大概にこれらのノートにはどろどろとした想いが綴られているのは承知のこと。そのドラマを私は捨てきれずにいたのだった。たとえ幸せな道ではなくとも、私にとってはそれが『一生懸命生きた証し』だったのかもしれない。ナルシストがやりそうなことだ。

それらをとっておいていつか読む日が来るのではないかという気持ちはあった。自身が60、70歳の暇なある日に、そんな可愛い幼い心の自身を懐かしがって読みふけるだろうというのか。今までにも決してそんなことをしようとさえしなかったのに。今後の人生のほんの数時間、そんな時が確かにあるとは思う。でも、私の魂がそのまま記録を持っているのだから、そんな瞬間は人生の体験の何かでフラッシュバックして得ることだろう。それなのに、そのメランコリックな瞬間の為に、私はこれらを保存しようとしていたのだろうかと思うと、今更のように呆れる思いさえする。

時々思う。過去の自分と今現在の自分はまるで赤の他人のようでもある、と。もちろん『オリジナル』な自分はあるけれど、過去の記憶は曖昧なもので、今現在の波動が変われば過去の思いも変わる。自身が変われば、過去のどろどろとした思いはナンセンスでしかない。そして、たとえそんな時代を懐かしむ瞬間はあっても、どんなに老いてはいても私は『今』を生きている人でありたい。そう思うと今まであった『執着』が見事に消え失せたようだった。




段階を経て、でも確実に私の『身辺整理』は加速し始める。多分に私の人生上の『意識のtipping point』が起こっているのではないかと、この段ボール箱を捨てた瞬間に予感した。

バブル時代を生き、多感な若い時にそのバブルの恩恵を受けられなかった。でも貧乏だと思っていたそれも他人との『比較』でしかない。今思えばそれでも充分に恵まれていた状態でもあるに関わらず『狂乱の時代』の『羨望』を引きずり『夢であった生活』を執念で現実化させた。でも、それをずっと欲っしている訳ではない。なかったから欲しかっただけの話だ。手に入れた途端に色あせるものがある。

モノや過去に縛られることが全て悪い訳ではない。

歴代の家柄や慣習、民族文化を守る為に、保存されるべき物は多々ある。その光栄なる立場にいる方は、どうぞ心して守って頂きたい。でも、私のような一般人の個人の心のガラクタに大した価値はない。年に一度着るか着ないかという普通の服、使われない食器、人から貰ったプレゼント、それを手放せる立場にいるのだから、そうするべきなのだろう。そう絞り込んでみれば『現在の自分』に属するものなんてほんの少しものモノしかない、ということにも気づかされる。必用ならその都度買い足せば良い。お金がない訳ではないのだから。




『ミニマリスト』という言葉が気になり始めたので調べてみると、どうやら『自分で運べる持ち物だけを所有する人』となり、自分で持ち運べない量の持ち物がある人で、一般家庭や断捨離実行中の人より荷物が少ない人の生活を『シンプルライフ』と呼ぶらしい。

そう書いて「じゃぁ、ホームレスってミニマリストだよなぁ」と思ったけれど、そこにお金があって人としての生活を維持するのに支障がない人をそう呼ぶのだろう、とまたひとりで笑った。

考えてみると普段着る服、使う食器は限られている。それなのに『来ないかもしれない機会』の為にどれだけ準備していたことか。もちろん『引き寄せの法則』で、それを所有することによって『夢である機会を引き寄せる』ということも実証してきた。でも、そこから成長した自分には、いざという機会には必用なものをさくっとゲットできる自信もある。これから自分は何処まで自分に不要なモノに気づいていけるだろう。





12/08/2014

『断捨離』で見える自分


入り江でこの葉がくるくる回っているだけのような人生の展開でもそれなりに流れがあり、それに乗っていたらいきなり滝で落ちたので驚いたけれど、今現在は展開にシンクロニシティが続くのを目の当たりにし、幸運のルートに乗ったようなそんな嬉しい予感を得ている。

『師走』の言葉に相応しく12月に突入した途端、重かった尻が動いた。あれほどまでに手をつけられなかった『断捨離』が始まったのだった。捨てるのが難しいと感じられたそれも、本の山の中にあったやましたひでこ女史の『公式ビジュアルムック 見てわかる断捨離』に遭遇し、それを読んでマインドセットを幾度となくしながら進めていった。最初は無理せずゆるく残したとしても、後ほどそこに目をやれば「やっぱりいらない」が見えてくるから面白い。

既にクルマ一杯に詰め込んだ『不要品』を慈善団体に寄付するのに運んだこと3回。まだまだいけそう。寄付してしまうのにしのびないものは、これが欲しいと思う人に使ってもらいたいのでオンラインで安く売った。そして、自分の生まれたときからの写真アルバム、海外を放浪した全ての記録があるコラージュアルバム等が詰まった重い段ボール箱をどんと捨てたときは、なんとも言えない気持ちになった。もちろん、完全に失ってしまうのはしのびないので、そういうのをへろりと苦なくやってしまえるKちゃんに頼んで、写真の全てをスキャンしてもらったからできたことだった。



『断』---  買わない、貰わない、要るモノだけ取り入れる
『捨』---  ゴミ、ガラクタを捨てる。モノを売る、寄付、リサイクル 
『離』---  執着を手放す。自分がわかり好きになる。俯瞰の視点が身に付く

そう本では説明されている。モノを買わないことはできていたけれど、捨てることはなかなかできずにいた。そして、今回「今の自分」と関係を紡いでいないモノを捨てる自分に何度も確認していきながらモノと向き合った。『思い出のもの』と『いつかまた使えそうなもの』、そこに見え隠れする『執着』。それをぬぐい去るのにもある程度の勇気はいる。断捨離は『さとり』の基本の『今ここ』に通じるものがある。過去にも未来にも囚われない今に生きるモノとの付き合い方なのだ。




以前これに近い大きな断捨離をしたのは9年くらい前かしら。『アート系のイタイおばさん』から脱出しようとして大切にしていた服や小物を思いっきりなぎ倒すように捨てたけれど、今回はクロゼットどころではなく、開かずの戸棚の奥深くまで引っ張りだしたので自分の過去と出逢いちょっと感動するところもあった。自分が誰でどこから来たのか。どんな情報にハングリーでいたのか。そしてそれらを通してどんな自身を作り上げて来たのか。おびただしい量の本を捨てることによって再確認できた次第だ。身に付いたものもあれば、気持ちだけが先走って読まないままになっていた本もあった。そして、20年前に夫と一緒になる前に捨てきれなかったモノと再度遭遇することによって、オリジナルの自身にも出逢った。そんなモノを手にすると、そこから当時の感情というかエネルギーがありありと思いだされ、そしてチャージされるような感じだった。冒険家だった自身を思い出した。




雑誌やカタログの切り抜きがプラスチックシートに差し込まれた分厚いファイルが出て来た。一時期、なりたい女性像、欲しいものをファイルしては何度も繰り返し眺めていた時期があった。すっかり忘れていたそれを再度眺めてみると『既になった自分』が重なって行く。潜在意識が作り上げる現実の凄さをそこに見たような思いだった。

そんな『成し遂げた』画像は抜き取り、そしてまだ先に続くであろう理想像を眺めてマインドセットする。特に必用と思われたイメージは写真に撮ってiPhoneの中に収めた。これからはもっと簡単にそれを目にすることができる。これまでの成果があるのだから、これからもできる。そう確信させられた瞬間だった。

『モノを捨てる=執着が取れる』ができると展開が変わることを実感した。それは『人間関係』でも同じで、前のものを断ち切ると新しい関係がすいと入ってくる。『モノと空間の状況はそのまま頭の中を表している』とあったけれど、そうだと認めざるを得ない。断捨離をし始めてからシンクロニシティが起きているのが見えてくる。




2015年、私の人生は大きくリセットされる。コンフォートゾーンを出るのはとても勇気がいるのだけれど、奇跡はその外にあるのだと信じて「えいやっ」と飛び降りるしかない。50歳の誕生日にスカイダイビングをしたことが、今現在のアクションに繋がっていることをまた垣間見た。人生って面白い。自分で作る映画のようだ。




11/28/2014

『バブル世代』はぶっちぎる


私は何気に2チャンネラー。ひきこもりのオタクは猫を『ぬこ』と呼び、その画像に超萌えする。私も多分にそんな一人であり『痛いニュース』と『哲学ニュース』は暇つぶしに覗いている。もちろん『閲覧』のみだけれど、海外生活が長く浦島太郎感覚の私でも今現在の日本の若者がどう世間を見て何を感じているのかが良く解るようで目が離せない。




そんな中、ある衝撃的な画像を発見してしまった。



「はれ? ここに私がいるよ?、その下は周りにいる誰かさんにそっくりだよ?」




なんでも、『LEON』創刊主要メンバーが作る、50〜60代の新しいシニア富裕層に向けたライフスタイル男性誌『MADURO(マデュロ)』の公式ブログに載せられたターゲットの人間相関図らしい。そして、『やんジー』はターゲットの総称『やんちゃなジジイ』の意味らしいけれど、この会社名も『yanG』ときたから大笑いしてしまった。




雑誌LEONの専属モデル、ジャン・フランコ・シモーネ氏が、あいかわらずこのMADUROでも活躍しているようだけれど、ウチの姪に言わせれば彼は私の夫にそっくりなのだそうだ。まぁ、確かに10〜20年前の夫は17歳年下の女房連れて『やんジー』そのものだったと思う。この相関図から言えば、当時私は『姫ーナ』だったのだな。大笑い。

この『魔ダム』を見た瞬間に、自身の姿そのものを見た気がした。ファッション、髪型、立ち方。いや〜、あっぱれですな。その説明なんて「★昔は確かにキレイだった。それは認める。が、時の流れにさらされて残ったものはしたたかさと図々しさ…無念。でもしょうがない」なに?この最後の『でもしょうがない』は?? 笑える。

この相関図は『やんジー』を中心としているからだろうけれど、私はこの『魔ダム』の横に『情夫』という線をつけて若い男を付けて欲しかった。絶対いるって、魔ダムには。そしてそこにどんな青年の図があるのか、とても興味深いところなのだ。

年に一度、なんとなく『やんちゃ』な仲間が集まるBBQがあって、そこでしか顔を見ることがない不良日本人と私が思っている男たちは、実は『チャラジー』なのだと解った。まぁ、カジュアルなカリフォルニアだから、やんジーファッションはいないのだよ。




前回のBBQでは『チャラジー』のやっさんがひたすら肉を焼いていたけれど、ゴージャス姐御を中心とした女史が集まるので、私も身体の線がぴったりと出るロングドレスを着用して行き「お〜、バカンスファッションだねぇ」と賞賛を浴びた。そこで久々に会った30代の女子が全くとして見覚えがないような気がしたので「?」と思ったら、産後一か月だということでかなり姿が違っていた。とはいっても、ちょっと太いかなと思うくらいのノリなのだけれど、そこで『人生極めてショッキングなこと』を周りの人々に訴えていた。その話とはこうだ。

産後すぐに体型を戻す為に、スポーツクラブでピラテスのパーソナルレッスンを取り、3週間後やっとグループレッスンを取れるくらいの体型に戻った。それで、新しいぴったりしたジムウエアを購入、スタイルの良い美しい美意識の強い女性に囲まれて士気を高め早く綺麗になってやるぞとドアを開けたら、そこに居たのは肉のかたまりどころか、まるででろでろの「パジャマですか?」と思えるようなスエット上下の醜い女が沢山いて、ストレートパンチをくらったようなショックを受けたというのだ。

「だって、私の周りにいる女性ってみんなお洒落でスタイルよくってこんな感じでしょう?だから、これが『普通』だと思っていた… でも、それを本気でショックに思って旦那に訴えたけれど、そう言いながら私ってなんて『ビッチな女』なんだろうと気づいたのよ」

「あんたね〜、本当に世間知らず。私の周りにいる女友達は、私が『選んだ』美意識の高い特別な女性たちなのよ!」

そう、お局系のエロ姐御が喝を入れる。

「あ〜、そうなんだ〜。私たちは姐御に『選ばれてる』んだ〜。そりゃ光栄に思わなければね〜www」

そう、ちゃちゃを入れて笑った私だけれど「しかしまぁ、このカリフォルニアに住んでいて、なんて狭い世界で生きているの、あなたったら!」と、その新ママには驚ろかされた。閑静な海辺の街で親子ほど歳の離れている旦那に可愛がってもらってのんびり生活させてもらっている彼女こそ『姫ーナ』なのだろうけれど、どこか遠い日の自分と一緒なのかもしれない。

その日もせっせと新生児の面倒を見るのは旦那で、これまた赤ちゃんも嘘のように静かだったけれど「楽勝〜♪」と笑っていた彼女はこの冬どうしていることだろう。




日本の若者は金を使わない。デートでもクルマを使わないし、割り勘だし、ブランドものには興味がないし、ユニクロで充分だと言う。へたしたらガールフレンドでさえいらないとも思っているようだ。そら『姫ーナ』が増えたとしてもしかたがないだろうなぁ。

そういう若い世代の彼らの言葉を見聞きしながら、私は「自分を新しい時代の意識に持って行かないとやばいぞ」という気にさせられていた。倹約を学び、堅実に生きることを意識しないと、と。90年の頭にバブルが崩壊してすぐ、ここカリフォルニアはシリコンバレーに引っ越して来てすぐにITバブル。しけた社会を知らない。ブログを通じて知り合い先日お会いした方は「この辺の人みんな馬鹿みたいに金もってるけど、幸せそうにみえない。お金じゃない」と言っていたのが印象的だった。


『確かにいまの若者たち、元気がない、ですよね。でもね、ワタクシそれが正しい姿だと思うのですよ。というのは、我々がおかしかったのですよ。想い返してください、ワタクシとて社会人になった頃といえば、タク券を束にして持ち、交際費は使い放題、会社は絶対潰れない、給料・ボーナスは毎年確実に上がっていく、残業代は青天井。それを前提に、年収の倍もするクルマもローンで買えてしまったつまりは「バブル世代」なのですよ』

これはMADURO編集長の岸田氏のインタビューの言葉だけれど、そう『我々がおかしい』。ずっと自分頭おかしいんじゃないかと思っていたけれど、結局のところ 『バブル世代のなれの果て』なのだ。

で、そんな世代にどうしろと? 彼は言う。『金は残すな、自分で使え』だって。若者聞いたら怒るよねぇ? でもどこかで誰かがお金使わないと日本経済回らないし。

おぼろげに残りの時間が見えて来たいまだからこそ、バブル世代はこのままぶっちぎれという訳らしい。本当にそれでよいのかどうかは疑問だけれど。この雑誌は果たして存続できるのかしら?




ちなみに、去年の今頃『バブル時代のなれの果て』という記事をシリーズで書いていた。

随分昔のことのように思えるけれど、あれって去年の今頃だったの? さすがにもうゲイクラブに出かける元気はない。先日おかま君とラスベガスに行った時、彼にゲイクラブに行こうと誘われたけれど、ふかふかベッドが心地よくて「一人でいっておいでよ〜」と尻の重い私だった。それで「あ、私、終ったな」と一人思ったのだわ。



『バブル時代のなれの果て 1』
『バブル時代のなれの果て 2』
『バブル時代のなれの果て 3』
『バブル時代のなれの果て 4』




11/22/2014

『枯れ』の実感


サンフランシスコベイエリアの今年の夏は例年になく暑い日々が続いていた。なので、ハワイから帰って来ても全くとしてあそこの気候を羨むこともなかったけれど、さすがに最近は朝晩の冷え込みが強くなり、いつしか家にセントラルヒーティングが自動的に入り、シリアスな水不足を懸念していたのが久々に雨を見る冬を迎えていた。

急に寒くなると虫のように動きが悪くなる私は、猫を起こしたくないという言い訳をしてぬくぬくベッドを出られないでいる昨今だ。先日やむない用事で市内にでかけたときに、ユニオンスクエアの周りがもう既にクリスマスの装飾に変わっていたので驚かされた。徐々に、という感じではなく、すこんと季節が変わる。




この秋、私はまた新しいステージに立っているのを意識した。明らかに今までの私とは違う存在。静かでそしてどこか諦めにも似たそんな心境をじっと受けとめている。

枯渇した』というのが一番近い感覚だと思う。




『私はこの3年で一気に老けた。同じ歳の女友達も50歳のときにはみんな「まだまだイケる」といった強気な感じだったけれど、53歳の現在誰もそんなことを口にする人はいない』

自分より少し年上のとある女性がブログ上で正直にそう綴っていたことを思い出す。彼女は3年前の自身の写真をアップして、その『失われたもの』に対する気持ちを書いていた。その間にあったのは『閉経』。私は『閉経後の身体の変化』をとても敏感に感じているし、当時その彼女のブログを読んでピンとこなかったそれを今なら理解する。それは本当に初めての体験でもある。長女姉が長い間抱えていた『気分』も充分に理解する思いだ。そんなとき私は彼女の言葉に対してただただ諭していたけれど、長女姉が聞きたかったのはそんな言葉ではないのだ。それを今私は身にしみて経験している。




雅ランティエと言ったら赤裸裸な『エロテロリスト』が強いキャラであったし、それがゲテモノ仲間にとってのエンターテイメントにもなっていたけれど、そんな私が「すっかり枯れた。もうセックスもしたいと思わないし、一人エッチさえもう随分してないしやる気もしない」と口に出して、ちょっと年下の熟女たちを驚かせている。ほんの数年年下の彼女達はまだまだ現役で、そんな私の言葉を聞いて自分もまもなくそうなるのかと疑っているようだ。もっとも、私は去年の冬以来ずっと人生一番お痩せさんレベルの体型だけど、そんな彼女達は『豊潤』という言葉が似合うような体型だしエストロゲンも豊富だろうから、これから先ももっと続くのかもしれない。

10月に慢性の膀胱炎にかかり、以前に膀胱炎を甘く見て腎盂炎、挙げ句には敗血症にまで悪化させた経験が人一倍私をナーバスにさせて医者通いが続いた。『更年期障害』の中にはそういった膀胱炎も含まれる。エストロゲンの分泌量が低下することによって、膀胱内が弱酸性からアルカリ性に傾き細菌が繁殖しやすいし、膣同様尿道の粘膜も薄くなり以前よりも感染しやすくなるのだそうだ。そんなことがあると、性的な行為ももう安心して楽しめない。ここ数年次第に落ちてくる性欲は意識していたけれど、それでも自らその機会があればありがたく頂くようにと努めてきた。それがこの秋思いもかけない膀胱炎で「もういらん」というところまで行き着いた感がある。

「雅ちゃん、冬だからじゃない? 春になったらまたうずうずしてくるわよ」

そうまともに聞かない女友達もいるけれど、それがそうだとしたらほっとする自分なのかな。今までは本当に性欲のために男が必用だったけれど、これからは彼が大好きでその人だから性欲が蘇るという形に入って行くのかもしれない。それはそれで一番理想的ではあるけれど。




思えば私は、ずっとホルモンに翻弄されてきた。こんなにもしたいのに夫とはできない。その身体の中を駆け巡る衝動をどう押さえていいかも解らなかった。

「ホルモンでぐるぐるしてるんだ。気持ちは解るよ。僕も高校生くらいの時にはどうしようもなくて苦しかったもんなぁ」

そう一緒に遊んでくれた若い青年が言ってくれたときは救われた感じがした。誰かがそれを理解してくれているというだけでほっとするような感じがしたものだ。

「もう強い性欲に翻弄されて苦しいのです。どうしていいか解りません」

そう、女性の主治医に真面目に相談したときもある。

「マスターベーションをしなさい」

そう、主治医はまともに返して来た。何か性欲を抑える薬でもあるかな、とか思って相談したことだったので、ちょっとがっかりした。確か、私の好きなキャサリン・ゼタジョーンズの旦那さんのマイケルダグラスがセックス依存症とかで入院したとかいうニュースを聞いたことがあるけれど、そういう施設で一体どういう治療をするというのだろう?

気の置けない姐御やおかま君とのゲテモノナイトで「結婚してるのにセックスできないなんてもうしんどい。耐えられない」と半泣きでこぼしたこともあった。そのくらい、このあり余る性欲に翻弄されていた。30代の鬱が完治してリビドーが戻って来て以来の、この十数年の『ぴかぴかしたオトコノコ』にワクワクドキドキしながらクーガーまるだし、SATCで言えばサマンサ役そのものの私が、ホットフラッシュでひいひい言った挙げ句に辿り着いた『枯渇感』。ここで手放したら、おばさんまっしぐらになる、という恐怖からしがみついていた何かが消滅した、という感覚がある




と、ここまでくれば「セックスいらん」から「男いらん」になり、「はて、私は何で離婚するんだっけ?」という首を傾げてしまう状況にいる。そういう微妙な心境をきちんと一緒に穏やかに生活している夫には告げているのだけれど、彼は今仕事で凄く忙しくてそれどころではないという感じだ。それで多分に私は『押し出し』で離婚を成立させてしまうのだろう、と割と他人事のような気持ちでもいる。秒読みに入ると、mariage blue如く『divorce blue』というのはこういうものだろうという気持ちも観察できるが、サレンダーでいる以上、展開をただ見守るというスタンスしかとれない。




一日のある時にふっとエッチな妄想が頭をもたげ、それに反応した子宮がきゅうううううっん!と反応して痙攣を起こし「イタタタタタ!」となったあの時や、「アタシ、平気で一日5回イケる」とへろりと告げて女友達を驚愕させたり、子犬君が「もうこれ以上無理」というまでねだったこともあった。それも今となっては懐かしい『過去の私』にすぎない。

サプリメントが実に良く効果を現しているのか、ここのところ『更年期症状』に苦しめられることもなくなった。あれほどしんどかったホットフラッシュもほてりから来る不眠も治まり、身体の節々の痛みも消えて健やかな感じだ。そして、どこかしら『しん』とした感じがある。『エロテロがなくなった雅』は一体どんなキャラになってゆくのだろう。






なんでこんな記事をいきなり書いたかというと、偶然にこんな動画を見つけたから。
マリエさんという存在を今まで知らなかったけれど、これ見て大好きになってしまったわ♪



11/06/2014

あなたは『尊厳死』を選択するか


前回の記事でお知らせした29歳の末期癌患者Britney Mayardsさんが、予告通りの11月1日の夜に自ら安楽死出来る薬物を摂り、愛する家族の腕の中でお亡くなりになった。

11月1日という予告をした後に一度「11月2日を過ぎてまだ生きていたとしてもそれもよし」という短いメッセージを発信したにもかかわらず、やはり体調の変化を意識し実行に移した。「まだ元気に生きられるような気もしたけれど、やはり毎週確実に病状は悪化していたし、一日に2度発作を起こしたこと、ある日目の前の夫の名前が解らないでいた自分がいた一瞬を意識して、やはりこの日に実行することにした」と彼女は語ってる。

彼女の死を伝えるニュースで、カリフォルニア州の彼女が実はサンフランシスコベイエリアの住人だったことを改めて知った。それでファンドを作って世界に知らしめた彼女の行為がどこか腑に落ちる気がしたのも事実だった。このリベラルな街に住んでいたからこその発想かもしれないということ。こういう『非常識な選択』は保守的な街の住民だったらまさしく考えられないことかもしれず、やはり住む環境で思想というのは大きく変わると思う。

ニュースを聞き「死ぬのは勝手だけれど、黙ってやれよ。かまってちゃんになるなよ」という不快感を表す日本語の書き込みを目にしたけれど、彼女が世に広めた影響は大きい。賛否両論の嵐の中から社会は進化していく。日本でもいつかそれを認めるべきという声も上がっている。彼女が独断の決心でひっそりと亡くなっていたら、人々は『考える機会』を失っていただろう




前回の記事で私はあまり深く考えずに『安楽死』と書いたが、後ほど多くの『尊厳死』の文字を見ることになり、この安楽死と尊厳死の違いを調べてみた。そして、その言葉の使い方と状況にアメリカと日本に若干違いがあることも知った。

米国で議論になっている『尊厳死(death with dignity)』は医師による自殺を意味し、日本ではこれを『安楽死』と意味している。では日本で言われる『尊厳死』とは何かというと『必用以上の延命行為なしで死を迎えること』であり、それは米国で『自然死』と呼ばれるものであり、殆どの州で法律で許容されているということだ。

この辺の違いについて説明している記事を見つけたので、参考にしていただきたい。そして、ブリタニーさんの選択が決して安易なものではなかったことも良く説明されている。





「もし、自分が植物人間になってしまったとしたら?」という状態になることを考えてみたことはあるだろうか。 自分の意思を伝えられない状態になっているときに、機械に繋がれて永遠と生かされ続けて生きたいのだろうか

現代医療の発達は回復する見込みがない状態になっている人でも生命維持装置によって命を保つことが可能であり、でも患者にとっては延命治療はとても大きな苦痛とストレスになる可能性がある。それを伝えられない状況でいるときにも、家族は散財してまでもあなたを生かしておこうとするだろう。




欧米では認知症と自己決定権の問題が深刻であり、リビングウィルを持つことを重要視している。夫はかねてからそれを意識していたので、彼のものと同様に私にもそれを確認しリビングウィルを残してきた。もちろん『延命拒否』でありそれを確認し合っている私たちがお互いの生命維持装置をはずす決定権を持っているということをウィルに記述してある。私が敗血症で入院した際には、病院から夫にそれを持参するようにとの要請もあった。

ところが離婚によって、それを失うことになった私たちだ。夫の決定権は彼の妹に委ねるらしいが、米国に肉親のいない私は誰の名も書けない。しぶしぶ夫が自分の名を挙げておいてもいいとは言ってくれたが「デートしてる男にでもしたらどうだ」とかありえない嫌味を言ったので、とりあえずそうしないことにした。

そして、考えた末に私の身に信用出来る少し年上の女友達がいたことに気づいた。彼女には離婚の決意を一番最初に話していたし、誰よりも心強いエモーショナルサポートも沢山もらっていた。それでそのお願いをしたところ、彼女が大切な役割に自分を考えてくれてとても光栄だと快く引き受けてくれた。これで、英語が解らない私の家族だけれど、彼女によって私の死を知るだろうし、後は彼女の手伝いでどうにかなると安心出来る訳だ。もちろん彼女に何かあった場合には、私がその計らいをする。




今回のことでその友人から、アメリカの主治医が年寄りには『POLST(Physicians Orders for Life Sustaining Treatment)』とか『Advance directive』という書類を書かせたりする、ということを初めて聞かされた。調べてみたら、なるほど便利なフォームがあって、そこにチェックしておけば延命処置や内臓ドナーなどについての希望が主治医によって保管されることになる便利なものだ。

日本では現在『終活ノート』というのがあるということも知った。さすが老齢化社会『どのように死ぬかを考える』は社会の大きなパートにもなりつつあるのだろう。なんといろんな会社が終活ノートを発行していて、個人がそれを選んで残しておくことを勧めている。


現在日本に帰国している彼女に「私も欲しいな」とメールで伝えてみたら、なんと偶然にも既に私のお土産として購入済みだとのこと。さすが私の友だけある、と感心した。





10/24/2014

ホスピスと安楽死


29歳の末期癌患者Britney Mayardsさんが安楽死を選択するためにカリフォルニア州からオレゴン州に引っ越し、それをYouTubeで好評して話題になったことから、ホスピス患者にのみ安楽死の選択を認めている州がアメリカに5つあるということを最近知った。その州とはオレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、そしてニューメキシコである。

私にもその選択が可能なのだと知った時に、シンプルに 『relief』という一言に尽きる感情に満たされた。

その選択を認めることをもっと世間に広めようとしてファンドを作った彼女の意図は、もちろん全米中に賛否両論の嵐を呼んだ。特に宗教上の理由があればそれは『許されないこと』の粋なのかもしれない。彼女の動画に連なって、あちこちで彼女に残したメッセージ動画の「Please don't do it」という言葉が目立つ。でも、それを目にして思ったことは「言うことは簡単だよな」ってこと。彼女の痛みどころか家族の健康を損なうほどの地獄の苦しみは、それを言う人には解らない。

私が断れきれない流れでホスピスボランティアをすることを決意したとき、面接で今までに人の死に立ち会ったことがあるかということを聞かれた。父親は突然死だったけれど、アメリカに来て一番最初の女友達を骨肉腫で亡くしている。他にこれといった友人がいなかった私は、2年間6週間毎にサンフランシスコからLAまで見舞いを続けていた。彼女と夫の友人である白人男性も舌の癌で亡くなったが、最後は喉の半分が腐り溶けているような状態で、悪臭が家中に立ちこめていた。どちらも壮絶な死だった。

去年の暮れに亡くなったホスピス患者もホスピス認定後10ヶ月まで延命を果たしたけれど、最期は正気を失い、それでも生への執着が強かったのか昼夜を問わずゾンビのように家の中を徘徊し続けた。家族はもうぼろぼろだったし、彼女にレイキをしていた私でさえ健康を損ねた。

果たしてそれらの人々に『安楽死』という希望があったかどうかは知らない。それが認められていないのなら、選択にもならないので考えることもなかっただろうか。

『安楽死』は逃げなのだろうか? 当人も家族も癌と『闘う』べきであり、それが『美徳』と思う日本人は多いのではないかと思ったりもする。




癌になって医者の言うとおりにしてたら逆に死ぬ、みたいな意図の本も沢山でているし、なんと治療放棄して13年生きているという人のブログは癌ブログ部門一位でそれが本にもなった。もちろん、それに対して「そういう本を出版して社会にばらまくのは危険」という意見もある。

有名なところではアップル創設者ジョブズ氏が、膵臓癌を放置し手術を受けるタイミングを逃して命を失った。彼は決して放置していたのではなく、西洋医学よりも代替医療でどうにかしようと思ったのだけれど、その願いは叶わなかった。彼を亡くしたことは、私たちの生活にも大きな影響があったのではないかと思う。

癌が発見された時に、抗がん剤でとりあえず腫瘍を小さくしてから手術で癌を摘出するということをした人もいるけれど、最初に摘出後、抗がん剤や放射線治療で転移可能性のある癌細胞をやっつける必用があると医者に勧められ、それに従う人もいる。その後遺症で人生の『質』を失い、半病人で数年を費やす人もいれば、抗がん剤の後遺症らしきものさえ感じない人もいるから、一概に癌治療の良し悪しを判断することは難しい。

身近なところで言えば、ハワイで出逢った男は放射線治療の後遺症で味覚と唾液の分泌を失っている。日常の生活には事欠かなくても疲れやすいから職場には復帰出来ていない。

「こんな副作用があると知っていたら、放射線治療は受けなかった」

そう彼はこぼしていたけれど、リサーチなしにして医者の言葉を丸呑みした結果だから仕方がない。それがその時の彼の選択だった。『再発』の恐怖の方が強かったのだろう。

そうかと思えば、実家の長女姉は私が知らぬうちに甲状腺癌が見つかりすぐに摘出手術を受け私には事後報告してきた。抗がん剤も放射線治療もなく甲状腺の一部を摘出のみ。だからと言って食事療法とかに気を遣っているかといったらそんなこともなくのんびりしたもの。再発の不安はないのだろうかと思ったが、「だって医者が大丈夫って言ったし?」と姉自身がその質問に驚くくらいだ。実際、癌細胞は『心配』のエナジーが好きだったりするから、姉くらい暢気なくらいが良いのだと思う。

先日大阪で仲良くしてもらっていた血液癌を煩っていた年配の知人が危篤状態だと言う連絡を受けた。彼とは春の帰国時に面会していたが、抗がん剤の治療で以前に比べて酷く痩せてはいたけれど相変わらずの洒落た老人だった。そのメールを受け取って以来私がしたことは「早く苦しみから救われますように」と祈りとレイキを送り続けたことだ。間違っても「生きながらえますように」とは思わない。ホスピスで働き体験することによって、私の気持ちはそのように早く穏やかに逝けるようにと変わって行った。




『安楽死』が問題視されるのは、それと『自殺』が混同されているからだと思う。今や日本社会では「『自殺』ではなく『自死』と言おう」とか、よく理解できない風潮があったりするけれど、それでも自ら命を絶つ人が多い社会で安楽死を認めると「精神的苦痛から逃れる為に安楽死を認めても良いのではないか」というように自殺さえも認めようという話に飛躍するのを怖れてのことなのかなと思ったりもする。

更にはやっかいな老人を早く逝かせてしまうことを危険だと声をあげる人、または延命装置に繋げておいて生かしてさえおけば政府からの年金が入るから、その収入を当てにした家族が下手に『安楽死』が出来るとなると不都合だという表ざった言葉にはならない『家族の都合』があるというのも見聞きする。

とりあえず、日本では『治療をしない』という消極的に自然死を早めることだけは認めているらしいが、果たしてその場になった本人は一体どういう処置を望む事だろうか、自分に当てはめて考えてみてもいいと思う。




Britney Mayardsさんは、旦那さんの誕生日を過ごした後11月1日に安楽死を決めていると発表。まだ残された日々がんがん旅行が出来るくらいの元気さだから、動画でその姿を目にした人は納得できないのだと思う。しかし、彼女の腫瘍は前頭葉に大きく広がっていて、いつどの瞬間に地獄のような痛みに襲われるか解らないし、人格を失うことはもう予知されている。ただ『弱り果てる』という穏やかなものではなく、人格を失い下手したら痴呆やどう猛に変貌するかもしれない本人を目にするのは、家族にとっても堪え難いことだと思う。だからこそ、彼女は日付を設定して美しくお別れを言うことにしたのだと思う。安楽死を選択した彼女の語りは死の恐怖を通り越した穏やかさに満ちている。

彼女の命はあと一週間…







10/22/2014

『家庭内別居』から『離婚同居』へ


友人のご両親はもう随分昔に離婚したにかかわらず、持ち家のしがらみでずっと一緒に暮らしている。彼女の父親は相当に頑固らしく、友人が日本帰国当時同居していたときには本当にしんどかったとこぼしていた。そんなご両親は家を半分こにして住み分けている訳でもなく、夕方になるとぶちぶち文句をいう父親に母親が連れ添って夕食の買い物にでかけるのだそうだ。父親と一緒の生活はストレスが溜まって可哀想だから、と友人姉妹は年に2度ほどカリフォルニアに母親を長期滞在させている。まぁ、母親自身も仕事や地域のコミュニティの役割がありそうそう長居もできないということで、ひと月ほどでアメリカ生活を満喫して日本に帰国する。

仲良しのやっさんは、白人のアメリカ人女性と結婚し離婚した。離婚した当時は当然のように別れて暮らしていたけれど、今現在は元嫁と同じ家に住んでいる。ルームメイトで苦労したやっさんが、どうせ一緒に住むのだったら気心しれている元嫁の方が気が楽という理由だ。生活自体はとても穏便にいっているらしい。絶対自分の付き合っている女性を家に連れ込んだり、そういう話をしたりしないのは、一緒に暮らすうえでのマナーだということだ。

離婚をしますと報告を入れた私に、たまに会う友人が「今どこに住んでいるの?」と気にして「まだそのまま同じ生活してる」と返すと驚かれるが、最近になって、離婚をした夫婦が一緒に住んでいる状態がどういう理由であるかを、自身の経験で理解することになった。

元々私の結婚生活というものは、他から見れば『普通じゃない』レベルであるのかもしれないし、又は人は言わないけれど、そう珍しいものでもないのかもしれない。長い結婚生活のサバイバルの為に、ある程度の心の段階をふまえて最終的に自身に『自由恋愛』を許し、夫を『それでも家族である』というところに落ち着けていた。

「そういえば、雅って結婚してたんだよね」

私の破廉恥なエンターテインに笑う女やおかま友達がときどき思い出したように言うけれど、「自分のこと独身だと思ってるでしょ?」と言われるほどの気持ちは持っていない。どんなに自由に見えても、やっぱり私の中でのモラルはあるし、気遣いもある。その気遣いを踏みにじられるような発言が夫からあるときのみ、私はキレるのかもしれない。

歳が離れているし長いセックスレスから、夫が自分の父親のような存在になってきていた。歳をとる毎にその頑固さが増して来ていたけれど、それがここ数年酷くなってきた。彼は機嫌を悪くすることで私に『制裁』を与えていたのかもしれない。何を言っても満足してもらえない、追い込まれるような嫌味が続いて私が根をあげたけれど、私の精神に異常をきたすまで、彼は自分の言動に自覚がなかった

「私の父は母から世話してもらわないと生活できないくせに、そんな母をなじって生きている」

私が夫のことをこぼした時に、そういうことを話してくれた別の女友達もいたけれど、元来男というのは歳をとる毎に子供のように退化していくというのだろうか。

そうは言っても、すべて『個人の観点によるそれぞれの宇宙』であるから、夫からのストーリーを聞けば、私は多分に最低最悪の女房であり、彼はそんな私にじっと耐えているお人好しの立派な夫という図ができあがっているのだとを想像して、ときどき一人で苦笑している。全ての人は自分の立場を正当化し、被害者の存在にするのが常であるし、自分もそうしていることは否定しない。

『結婚とは何か』を議論したり考えたりしても始まらない。突き詰めて行けば『個人の資産を共用するという契約』でしかないし、そこに発生する男女間の互いに対する期待はまったくとして違っていたりするから、その都度その都度確認していくしかない。それを「こんなことされた。ねぇ、酷いと思わない?」と他人に同調を求めたとしても、それは多分にその場限りのストレス発散の愚痴でしかなく、他人ではなく自身の伴侶そのものに尋ねなければならないこと。でも、あえてそれを選択しない人が殆どだろう。

個人的な主観では、日本人女性は宗教的概念に囚われない為に外に解決策を求め、それを上手に割り切ることができるのではないかと思う。日本にいるときに、流れるラジオが『既婚者のための出会い系』で日本人女性の登録が一番多いと言っていてふぅんと思った。30代の独身の友人が合コンに誘われて出かけてみたら、そこに来ていた女性達が皆綺麗な裕福な奥様たちだった、と言う。そして「結婚ってなんだろう」とチャットでつぶやくのだ。





最近SHOW TIMEチャンネルで始まった『The Affair』というシリーズが面白い。夫が「凄く良いリビューだから一緒に視よう」と声をかけてきて『Homeland』と共に毎週一緒に視ることになった。まだエピソード2しか視ていないから、ストーリーがどういうものかさっぱり解らないでいる。プレビューでは激しいセックスシーンを全面に出していたので、夫と一緒に視るのはちょっと居心地が悪いかしらと思っていたのだけれど、どうやら事件に関わった人の証言による再現シーンで成り立っている話らしい。

一話が二つのパートに別れていて、既婚者同士の出逢いの男側のストーリーと女側のストーリーが語られる。事実は微妙に食い違っている。「出会いは遠い日だからよく覚えていないけれど…」と言いつつ、語られる事実は両方とも二人の関わりの中で相手の方が積極的で自分が被害者であるような流れになっている。極めて興味深い。私が大好きな黒澤監督の『羅生門』と同じだ。視る人でそこに起きたストーリーはまるで違っているのだ。




数年前に激しい言い争いをしたときに、とつとつと私が結婚生活の不満を語ったら、夫はたいそうに驚いて「まったく驚きだ。俺はお前にとって最大のヘルプをしていたベストな夫だし、俺の方が被害者だと思っていた」と言ったことがあるが、ひとつの空間に二つの脳が存在する以上、同じ経験をしているようでも実はまったくとしてそうでないということに気づかされた。だからあえて「それが違う」とは言い切らない。相手の『感情から起こる経験』は否定できない。

私たちはお互いに『理想的な夫婦像』を相手に期待し、それが得られないことでストレスを感じつつも離婚を現実的と考えず『みぬふり』をしてその場をしのぎ『仮面夫婦』で過ごして来た。その緊張が張りつめるときと、緩むときがあり、その案配の中で「これも悪くないかも」と自分を納得させて来た。それが、火山のようにいきなり噴火して溶岩がどろどろと流れ出して来たのだ。

『離婚』という流れに至って、噴火が治まり溶岩も冷えて固まってしまうと、不思議な安堵が生まれた。『理想的な夫婦像』に対する期待がもう持てないとなったら、後はお互いが嫌な思いをしないように同じ屋根の下に住む敬意とマナーを持つ。もちろん、それはそれ以前からもあったけれど、深層心理でそう納得せざる終えないから、決して『我慢』している訳ではない。そういう抑圧はないのだと思う。

家の中のあっちとこっちで寝室も食事も別だった『家庭内別居』は、いまや『離婚同居』と姿を変えた。離婚してしまえば、もう干渉の余地はないと悟った私たちは、なんと『最高のルームメイト』と化したのだ。それでも私は心のどこかで「もう一度、ちゃんと恋愛をして人生の伴侶を得たい」という希望は持っている。この状態で生活していたら、そういうプロセスが難しくなるからやっぱり家を出ようかという気にもなるのだけれど、どのみち夫がもうすぐリタイアしてどこかの白人リタイアメントコミュニティに引っ越すことになれば、そのときがタイミングなのだろうな、と割とのんびりしている。

ひとつずつ財産分与の法的な手続きを済ませて行く。先日は離婚したら消滅することになる『Trust(信託)』を作った弁護士に会いに行った。

「で、今日は何の御用事で?」
「私たちは離婚することになったのでTrustをどうしたらよいものかと」
「は? 離婚??」
「何か?」
「いや、とても仲が良さそうで、離婚をするカップルに見えないものですから…」
「ニコニコ離婚です。まだ友達ですから」

メディエイターという離婚の手続きをする弁護士と同じ反応が返って来てにやりとした。

少なくとも夫は、他人の離婚劇から聞こえるような醜い制裁を加えるような男ではなく、この離婚を機会にして、彼の意識にポジティヴな『何か』が戻って来たような感じがする。

ホスピスのボランティアをすることで、年老いた夫に対する心構えを身につけようと思った私の行動は、逆に「世の中の年寄りというのは、こうやって立派に社会に貢献し、ひとりで生活を続けられるものなのだ」という自分の中に存在していた『離婚の罪悪感』をぬぐい去ってしまった。そして更なる夫の『寄りかかりの精神』が目に余る結果になってしまった。

認知症とまではいかないけれど仕事以外に考えることをやめてしまい「 どうせ俺はすぐ死ぬからそのへんに転がしておけばいい」と無責任な言葉だけで将来のことを誤摩化してまるでボケがはいってるのかと私を不安にさせるだけの言動があった夫だった。それが今はしゃんとし、改めて財産の管理や自身の仕事のリタイアメント、将来のプラン等に手をつけ始めてくれたのは本当にありがたいことだった。彼の中に危機感が生まれたことで、律された生活になった。それもやっぱり『今』でよかったのだと思わされる。うやむやなまま突然彼に何かあったとしたら、20年もの馬鹿嫁をやっていた私は、きっと途方にくれていたに違いない。

舞い上がった感情は沈静化し、そして去年の冬以前の状況にまた戻りつつある。夫は近所のDや他の女友達と直りしてまた遊びに出歩くようになったし、私もそれを知っても気持ちは害さない。一度築かれた関係はそう簡単に消滅することもなく、逆にDがいるからこそ私は安心して離婚出来る。多分別れて暮らすようになっても、彼が病気になったら『父親を見舞う娘』くらいの立場で彼を訪れたり、ホスピス患者に接すると同様に彼にも接するようになるのではないか、そんな予感を持ちながら同居しているここ最近だ。