6/24/2020

2020年の展開

ダイアモンドプリンセス
伝説の疫病
古い歴史をたどれば
SERSスペイン風邪
インフル流行し頃
世界は悪夢見てた

東京のまちはオリンピックひかえ
まるで喜劇で時がすぎた
私は58 確かなのは
まだ未来が霧の中

ある日目覚めるとテレビジョンには
誰も歩いていない世界の都市があった
彼女は22 内定なくして
もう運はみな同じ
そのうち誰かが首をつっても
もうおどろかないでしょう




東京オリンピックの延期が決定される前、毎日が新型コロナウィルスのニュースで溢れるうすら恐ろしい日々の中、私の脳裏には松任谷由実の「未来は霧の中に」のメロディが上記の歌詞に変わって流れていた。世界中の人々が「先が見えない」という不安の中にいた。

2月はチェンマイ行きの予定だったが、私がフライトをキャンセルするのにそう迷うことはなかった。飛行機の中での感染を懸念すると同時に、その頃実家の姉が介護鬱になりかけていたのを知って呑気に海外へ旅立つ訳にも行かず私は故郷へ戻った。「コロナ疎開」でもあったから家族はスムースに私を受け入れた。痛みの中で頑固に不機嫌になる母をなだめ入院させ、姉の負担を減らすために私は実家の家事を受け持つ女中と化した。生まれて初めて購入した割烹着がよく似合った。

2週間家事を手伝い横浜に舞い戻って「女を取り戻すために」アプリで出会った男とデートする。ドライブに連れて行ってもらい、大黒ふ頭でベイブリッジを下から見上げてSFベイエリアを思い出し懐かしんだが、そこに停泊していたダイアモンドプリンセスは大きく眩しく美しかった。

ダイアモンドプリンセスで待機させられていた人々が横浜港からリリースされるのを横目に、私は再度コロナ疎開で実家に舞い戻る。体調が良くなった母が退院してからの実家でのヘルプは夜中に何度も起きる母の隣で睡眠不足が祟り、かなり身体にきつかった。1ヶ月休みなく「家事手伝い」の暮らしをした。家族とは仲良くはしていたけれど、友人もなくプライベートの楽しみもなくただ女中のような生活だった。

最初の頃は「雅ちゃんがこんなご飯作れると思わなかった!」と驚いていた姉や母も、やがてそれが当たり前になってくると感謝の気持ちも薄れてくる。私が家にいるのが当然と思われかけてきた頃「1ヶ月」の区切りで私は再度横浜に舞い戻った。

日本は海外のようなロックダウンまでは行かなくとも、ほとんどのビジネスは閉鎖され「自粛」の度合いはだんだん厳しくなっていった。シェアハウスでもルームメイトたちがお互い顔を合わせなくなり狭い部屋に閉じこもりがちになった。緊急事態宣言が出されると「おばあちゃんに移したら大変だからもう雅ちゃんに戻ってきてほしくない」と姉から宣告された。母の介護の手伝いをするために日本にいるはずなのに、目的を失いシェアハウスに閉じ込められるのは気が滅入る。季節は桜の満開の時期だったけれど、桜を見に出かけることでさえ罪悪感を覚えるくらい自粛の目が鬱陶しく、また医療従事者のことを思うと自分の足取りをSNSにあげることですらためらわれるそんな期間を否応なく経験することとなった。世界で前代未聞の新しい生活が繰り広げられていた。




年末くらいだったろうか、エリートビジネスマンの元彼にぐずぐずLINEで追いかけられてる頃、私はムーブオンのために再度アプリで何人かの男性とやり取りをしていた。一人また一人と連絡が途絶えて行く中、細々と繋がっていた男性とやっとデートしたらめちゃくちゃ楽しい人だった。ロマンスは生まれそうもないけれど友達として繋がっておくのもいいかな、と思わせられるカジュアルな彼は元彼とは全く真逆のタイプ。横浜に戻ってきたときに気軽にデートに誘えるし、クルマを出して欲しいとお願いすることもできた。

ひと月ぶっ通しで実家のヘルプの後、とにかく温泉で身体を癒したいと切望していたけど、コロナで電車に乗るのも嫌だし味気ないお一人様の温泉飯もわびしいところ。キスもしていない男と旅行ってどうよ、とは思ったけれど友人感覚で一泊くらいはサバイバルできそうと出かけてみれば、笑いに溢れる楽しい旅だった。改めて男女の関係になって更にもう一泊を追加で楽しんだのは3月後半。

4月3日は彼の誕生日だったけれど、コロナでレストランは開いてないので彼の部屋で祝うことにした。今までの私の人生の中で一番小さな住居空間に住んでいる男だったけれど、それでも清潔好きな彼がピカピカに磨き上げているその家事力の高さに好感度が増し、それ以降彼の場所とシェアハウスを行き来する半同棲が続いている。

今までの経験で行くと、急に理不尽冷めを起こしたりするし数ヶ月の付き合いでダメになるのは良くあることなので、私はあまり自分の恋愛を信じていない。実際、関係が深くなってくると常に男のことで頭がくるくるしてしまうのでなるべく軽く捉えるようにしているけれど、ここまでの道のりでも色々な葛藤があった。その度に自分自身を思い知らされるようで「人は鏡」と言うけれど本当だなぁと思う。コロナ自粛の期間、周りの人々がしんどい思いをしている中、セックスを楽しみながらラブラブハッピーでいるなんて決して口外できるものじゃないという自負と、恋愛に置ける自己嫌悪とでジェットコースターのライドが続いていた。




桜が終わり、ふと気がつけば紫陽花が咲き乱れ、梅雨真っ只中の6月後半。あっという間に2020年は半分を過ぎようとしている。日本のコロナの被害もロックダウンの辛さも海外のそれに比べたら嘘のようにマイルドで、以前の日常近くに戻りつつある。つくづくこの時期日本にいてよかったと思わされる。

2015年の年明けにSFベイエリアを離れ終の住処を探しながら始めた移動もやがて旅自体が目的となり5年が過ぎた。そして旅に疲れた頃母の介護問題が起きた。いつでも母の元へと日本に落ち着いたところがコロナでそれも不必要になり、その間姉も母も元気になり私はまた宙ぶらりんになる。旅を愛した多くの人々が海外に出られないことに気落ちしていたが、私はもう嫌という程旅をした満足感があった。それでも、これからどこに住もうかと思うと決定的な土地を見つけられずにいる。ただ、これから先日本が世界がどうなるのかは分からなくはあっても、日本という場所で間違いないのだということは分かっている。

「幸せの青い鳥」

海外で出会った旅人たちも、結局は日本に舞い戻って生活をしていることが多い。外に出て初めて気づく日本の良さ。そして自身のDNA。私は日本で老いて死にたい。世界中がコロナの恐怖に襲われていても、日本にいた私は極めて心穏やかだった。日本食は美味しい。美味しいは満足に繋がり、世界で暴動が起きていようと日本人は平和に過ごすことができている。長いものに巻かれ上には逆らわぬ洗脳をされているのかも知れぬが、それでも生活水準はかなりまともなものなのだろう。

2020年の後半期はどんな展開になるのか。それはまだ誰にも分からない。