1/02/2021

2020後半の覚書

毎日変化に溢れる楽しい生活を送っていたら、あっという間に2020年が終わった。

それが私の印象だ。



2020年7月、私は九州旅行に出かけた。政府が7月にGo to travelキャンペーンを始め、移動はもう他人から白い目で見られるほどでもなくなってきていた。

SFベイエリアの友人が母親の看取りの為に九州に帰ってきていたこと、それに合わせて直伝霊気のセミナーが開催されると聞かされ、西洋レイキのみを知っていた私の「いつかは直伝霊気を」という望みが実現されることになる。

「アチューンメント(霊授)を受けると人生が大きく変わるよ」

マウイでWilliam Lee Rand氏からマスターを受けた時、彼がそう言った。そして、言葉通りにその後の私と夫の関係はあれよあれよと離婚の方向に進められていった。

その言葉をふと思い出した時、私は半同棲をしていた男性との関係を更に深めるべく行動に移した。九州の美しい自然を眺めながら「これを彼に見せてあげたい」そう純粋に思ったのは本当だったし、勇気を持ってバンジージャンプをしようと自らの背中を押した。

玖珠、高千穂、長崎と初めての九州を堪能し、沢山のお土産物を買って横浜に着いた私は、迎えにきてくれた彼が登場した最初の瞬間、全く嬉しくなかったことを思い出す。でも、彼の部屋に一緒に帰り数日泊まって土産で買ってきた九州の郷土料理を「美味しいね」と一緒に食を楽しむその時間は本当に楽しいものだったから、そんな小さな迷いは「恋愛で超えるべきもの」と、未熟な自分の成長を促すように無視していた。

彼の狭い部屋に引っ越すことは避け続けていたことだったけれど、やっと意を決して彼にそう告げ、横浜のシェアハウスの会社に退去申請を出し、それから彼のところに2回に分けて荷物を移動して2週間、彼の態度があっさりと変貌した

彼から手を伸ばして繋いでいた手は繋がれなくなり、私が追いかけて手を取るようになった。

冗談で彼はマウントをとる様になり、特に容姿の衰えに対するプットダウンは執拗に続いた。

最初は私も笑って真剣に改善に努めていたけれど、自分はこれから老いる一方なのにこれからこれが続くのかと思ったら、ある夜怒りで眠れなくなり、翌朝に彼の所を出てからそれきりになった。

彼は追いかけて来ることはなかった。

「相手の容姿の衰えが気になるって、それって既にもう冷めてるってことでしょ?」

そう、後ほど女友達からそう言われた時、納得した。

彼は女を落とすところまでは従順な犬だけれど、前嫁との生活の話を聞いた分では結婚後あっさりと冷めて浮気をしたし「早く離婚してくれないかな」と思って生活していたと言っていたことを思い出す。

「うちら末っ子同士だから相性悪いよ」

最初から私はそう言い切っていたし、楽しい時は腹が痛くなるまで笑ったけれど、気になるところもいくつもあった。でもひとつひとつは大したことではないように思えたけれど、彼の最後のデリカシーのない言葉でコップの水はあふれてしまった。彼は友達にしておくべきの男だった。「自分の女」にはそんな事を言ってもいいと思っている「典型的な昭和の男」だった。その事件を仲の良いベイエリアの友人に報告すれば「日本人男あるある」の一言で片付けられた。

何か問題が起こった時には全く頼りなく何もしない男。そんな非常事態が起きたところでもだんまりの放置を決め込んだ彼が本当に嫌だった。

シェアハウスの退去申請を撤回し、彼の所から荷物を引き取った時でさえ何も言わなかった男はすぐにmove onして「次!」という感じで婚活アプリのデートを続けているようだった。

私はいい加減この辺で気づく。

多分に自分は日本人男性とはもう上手く行くことがないだろうと。



あれほど自分は東欧の旅で「嫌というほど旅をした」と思っていたのに、緊急事態宣言の自粛でやはり溜まっていたものがあったのだと思う。九州の旅で目覚めるものを覚えた。日本は素晴らしい。私は日本の地方の何も知らない。日本を旅したい!

ADDressという他拠点生活のサブスクにサインアップしたのが8月も後半。3ヶ月はお試しのつもりで横浜のシェアハウスをキープし月の半分を旅に当てた。

8月は神奈川近郊の拠点を。9月は関西地方を。10月は千葉の拠点をぐるりと周り、11月は北海道で食い倒れ。12月は東北で同様に地方の味を楽しんだ。

自分がこんなにローカル鉄道の旅を楽しむ人だとは知らなかった。子供のような興奮がそこにあった。

旅から横浜に戻る毎にうっすらと感じた「もうココジャナイ感」それでも居心地が良い街。

横浜を本当に愛したし将来ここに住むことは可能の街だと確認したことは事実だけれど、緊急事態宣言時のコンクリートのゾンビタウンの時は結構辛かった。

千葉をぐるりと内、外房線で周った時に徒歩で経験できることの限界があることを知り「いつか車でリベンジ」と思ったことが、この冬を暖かい房総で過ごしつつ、日本で車を運転できるように練習をする、というアイデアに結びついた。

冬に第3波がやってくることは容易に想像がついたし、再度横浜で自粛を経験することはもう起こってはならぬことだということが、迷いなく引っ越しをする動機になった。

ADDressには拠点に「専用ベッド」という、自身の荷物とベッドを確保しつつ各地の予約ベッドに泊まりにいけるシステムがあり、その候補の中からビーチまで3分で個人的な部屋とバスルームが確保できる元民宿であった物件を契約した。

特急が止まるその駅は東京駅から80分。バブル時代のリゾート地だから冬の間はろくに開いてるレストランもなく、週末にサーファー達を見る以外は閑散としている。不便だけれどそれが逆に気に入った。車を運転しなければ何も手に入れられない。

その拠点で数日一人で過ごすこともあれば、いきなりやってくるADDress会員。その多くは「my pople」と私が呼ぶ、同じ波長で社交辞令のワンクッションなしにすっと素で話ができる人々。感覚的には「同郷」の人々がどこかで出会った時の雰囲気に似ている。そんな出会いが一番の喜びだった。日本でやっと自分の居場所を見つけたような気がした。

そう、自分の居場所は「土地」ではなかった。ADDressというシステムの中にある特定されない「流れ者」が出会う場所。それは海外を放浪していた時にホステルで出会うそれにかなり近い。

ジェネレーションギャップはここでは特に感じられなかった。20代の若者でも普通に話せたし、そして多くの彼らが「Earth People」であったり「Star People」であったりするスピリチュアル系であった。

ADDressの普通の民家や提携した美しいホテルの滞在と移動を重ねながら、私は東南アジア、中米、そして東欧の旅となんら変わりない興奮を得ていた。コロナ感染者が増えている年末も、ろくに旅人を見ることがない東北を満喫した。もともと人混みが嫌いな私だから「観光」とは全く違った見知らぬ街を掘る作業はとても楽しい。安全が保証された見知らぬ街の夜歩きは、何とも言ぬ至福感が溢れてくる。

旅をしながら時々我に返る。私はこんなに「ひとり」が楽しい。そして、ADDressの人々との出会いの場に付き合っていたあの男がいたら、人見知りな彼との旅行はとても面倒臭いものになっているだろう、と。

雅さんは気持ちが軽くて、荷物も軽くてとてもいい感じですよ。シングルでいてもいいと腹を括れたことでその流れに身を任せることができたんじゃないですかね」


ブログにそうコメントをいただいた。

確かに、付き合っていた彼と別れて旅を始めた時から、また私は自分の魂の求めるままを生きている実感を得ている。

まるでアラジンの魔法の絨毯のように目の前に素晴らしい景色が展開し、初めて味わう郷土料理の食の喜びに胃がいくつあっても足りないほどだった。

「いつか日本の地方を巡ってご当地料理を食べたい」

アメリカに住んでいた自分がそう誰かに言っていた。その頃は離婚をする自分もノマドになる自分も起こり得るとは思っていなかった。

元旦那とのプリティウーマンの世界も、今の生活も潜在的に望んだことゆえに起こっている事実。




私はいつの間にアラジンの魔法のランプを手に入れていたのだろう。