7/18/2017

『終わり』の終わり

「さぁ、これでお前もミリオネイラーだ。どんな気持ちだ?」

家を売る手続きの最終段階、お金を振り込んでもらう銀行口座のサインをしてエージェントと別れたあと、元夫はそう尋ねてきた。

私はちょっと目を丸めて肩をすくめただけだった。このベイエリアではIT企業に勤める若いエンジニアでもミリオネイラーがざらにいることだから、さほど仰天するような金額でもない。ただ、後になって銀行口座に7フィギャーが並んだときは、ちょっとまじまじと見つめてしまったのは確かだ。日本円で言ったら9桁ということになる。




今年初めにバリに2ヶ月滞在し、後ほどシンガポール、マレーシア、タイと東南アジアを転々とし、バンコク経由でチェンマイに向かおうとしていたところで、元夫からメールが入った。6月に家を売るという知らせだった。

「おっと」

いつかその時が来るとは思っていたけれど意外と早く来たなと焦り、ベイエリアに戻る前に日本で少しこ汚くなった自身のメンテをするついで、56歳の誕生日を家族と過ごす為にゴールデンウィークの前に実家に戻っていた。

離婚を成立させて家を出てから2年半。夫がまだベイエリアの家に住んでいたいという要望に応えて、私はまだ帰る家を持っているという気持ちを持ったまま、日本、東南アジア、カリフォルニア各地、サンフランシスコを転々をし、自立の自信を育てて行った。

実際家を売るとなると、色々と手続きが面倒だしするべきことの多さに圧倒されるが、これが2年前の離婚時に一気に行われていなくて本当に良かったと思う。あの時にそれが行われていたら相当なストレスでトラウマになったことだろう。当時の夫は今現在ほどの親身さもなかったし。あれから時は流れ、私たちは「元夫婦」というベストな関係を築き上げた。夫婦にある甘えも期待もなく、それによって不必要なフラストレーションも生まれることもなく、互いの独立した人生を尊重する、家族のような関係になった。

そして2年半延期していたところで、不動産の地価は更に上昇し、多分に可能であろう上限の記録的な値段で家の売却ができた。バブルはいつか弾けるから売るタイミングを逃したくないという気持ちがあったのでやっとホッとしたし「持ち家」という最後の断捨離を果たしたところで、心は今までになく軽やかになった。今後は文字通りのホームレスになるけれど、銀行には金がある。ノマドライフにはすっかり慣れて、自身のタフさと環境順応性の高さに我ながら感心する。「時間と場所とお金と人間関係の自由」を手に入れた気分は計り知れない。私はもう何の心配もなく自分の好きなように生きていける。




20年以上も住み慣れた家を売ることに関しては、全く感傷的にならなかった。ただ、淡々と手続きを重ねていたし、ベイエリアに戻って車を運転している時には決まって必ず脳裏に「アベマリア」が流れていた。私は落ち着いていた。お金が振り込まれていても冷静だったし高揚感はどこにも感じられなかった。

ただひとつしみじみと悟ったことがある。

それは「お金はその人に見合った額しか入ってこない」ということだ。むしろ不相応な金額のお金を手に入れてしまうと、人々は破滅する。お金はエネルギーだ。幸も不幸も、お金というエネルギーを扱える人の器量次第なのだろう。この金額は離婚当時のあの時ではなく、今だから入ってきた。争いも要求も催促もなく「愛の方向」で事は流れた。そして、現実を歩き質素なライフスタイルにも慣れ、虚栄心もなく身の丈に合った生活というものを経験して初めてお金の管理能力も身についた。

お金の管理能力もないまま華やかな生活に憧れて実践してきた「雅さん」だけれど、実は私はお金に対して恐怖心を持っていた。20代始めに貧困生活をしたトラウマがあり、結婚してからはお金を向き合うことを避けてきた。そして、避けてきたからこそ失われてた現実感と同時に育っていく漫然とした恐怖。いつか夫が突然いなくなったら自分は一体どうなるのだろうという不安。それを知っていながらも長い間放置してきた自分だったのだ。

2012年1月、私は「お金欲しいですね〜」と言うある人に「そうですね」と同意していた自分を思い出す。
「雅さん、お金あるじゃないですか?」
自分で自由になるお金が欲しいんです
「あ、そうですね。確かに結婚してるとそうですよね」

引き寄せの法則では「お金がない」と言うことは自分の状態のアファメーションになるので、とりあえずそう口にしないことにしていたが、このときはつい本音が出たのだと思う。でも、当時の自分は今現在の自分をこれっぽっちも想像していなかった。世の中の主婦に比べたらかなりの自由さはあっても、お金の管理は夫がしていたので自分にはお金がないも同然だったのだ。

覚醒的な実感を得たのは2008年。車を運転している時に感じたあの感覚は今でも覚えている。そして2009年、ひらめきによりブログを書き始める。自分がどこから来た人間かにふと気付き、自分に起きている奇跡に我に返り、望めば叶うものなのだという確信と共に、それを証明するごとく実験的な生き方を記録していくことにしたのだった。

「お金の恐怖」を取り除くためにいくつかのセミナーも受けてみた。本田健さんのお金のセミナーに7万も払って参加したこともある。その場では「こんなものかな」という半ば肩透かしのような感じもあったのだけれど、セミナーを受講した効果というのは翌日から突然として目に見える結果を出すものではない。しかし、私は自己啓発系勉強は絶えずしてきたし、直観に従う勇気も育て上げてきた。

元々自身には「内なる声」というものが聞こえていた。だからこそ私は28歳の時にバックパックで放浪の旅をしていたし、よく知らぬ元夫を頼ってアメリカに渡ったりもした。バンジージャンプ並みの人生をひっくり返すような行動をとってきた。「足長おじさん」に出会うことに憧れ「プリティウーマン」の生活に憧れ、そして望みは叶う。しかし結婚で背中にあった羽は退化し、飛ぶのが怖い臆病者になっていた。人生の責任逃れのしわ寄せはいつか必ずやってくることを予感し、そしてそれは時間と共にやっぱりやってきた。自分で自分をもう一度育て上げる必要がある。それが新たなる挑戦の連続の2009年からの試みだった。ブログという場所で宣言することで、自分の背中を押してきたといえよう。




「来週から中米の放浪に出かけます」

今回身体のメンテナンスでいくつかのドクターを訪ねた時に、久々に会うのは家を売るために戻って来たこと、どうせこちらに渡ったのだったら今までに訪れてたことのない中米を旅するのだと告げると、とても驚かれて、そして「いいなぁ!憧れの人生だよ!」と決まったように感嘆された。財産で言ったらきっと彼らの方がはるかに持ってはいるのだろうけれど、息つく間もなく働いている彼らは時間の、場所の、人間関係の自由は持ってはいない。

「考えてみてもご覧なさい。あなたの年齢だったらまだ子育ての義務も終えてない人が多い。今この年齢でそれだけの美貌を持って、まだ人生楽しめる状態でそれだけの自由を手に入れられる人って、世の中でどれだけいると思う? その自由を手に入れている雅さんは、それを謳歌する人生を我々に知らせる義務があるのよ!」

長年私のブログを読んでファンになっていてくれた知人と会食をして、鼻息荒くそう告げられたときは面食らったが、確かに自分に起きている奇跡は認識している。決して当たり前とは思っていない。

そして、ここに導かれることになったのも、遡る何年も前に「意識のベクトル」を変える努力をした賜物だと自負しても良い。考えを、口に出す言葉を、書く言葉を、行動を変えることによって、数年後の自分の居場所がこんなにも変わるのだ。決してバカにしてはいけない。




ベイエリアに戻って来たついでに、先日ビッパサナーの瞑想合宿でサーバーのボランティアをした。朝6時から夜の9時半過ぎまで、キッチンで立ちっぱなしの仕事と日に3時間の瞑想をすることを12日間続けて来た。普通に仕事する人だって5日働けば休むのに、12日間ぶっ続けて肉体労働をしたのだな、と後に気づいて驚いた。肉体的にかなりしんどかった。そしてそれなりの新たな悟りをも得て、また私は一皮剥けた。

ビッパサナーの瞑想合宿への参加は3度目になる。2015年から毎年1回参加して来たのだった。他にもかなり辛いセミナーに参加して来た。そのような肉体的苦痛をともなうセミナーというのは評判はよくないものだけれど、自身にはかなりのプラスになってきたし、実際の自己改革がうまく起こった。

人々がどんなに自己改革系の本を読み漁っても効果がないのは、日常の中で読んだところで自己のエゴが簡単にそれを打ち負かしてしまうからだろうと思う。エゴの声は本人が意識することなく思いのほか大きい。自己改革セミナーで肉体的苦痛を与えるのがあるのは、その肉体的苦痛と疲労の中でエゴが弱まった時に初めて与えられる「悟り」があるからなのではないかと思う。その中で、眠っていたトラウマ、俗にカルマというものが解き放たれ、自覚され、そしてそれと向かい合って人生を乗り越えていく。人々にはプログラミングされた条件的な行動やストーリーという言い訳や、様々なものがある。それらが無意識化で行動を操り、本人が好まぬ結果を生み出す。(その結果でさえ意識されぬ「望み」であるのだけれど)それを大きく覆すのに、ガツンとしたショックが必要なのではないのかしら。




自己改革の勉強とレイキという目に見えない世界との遭遇で、引き寄せの法則をこの身で理解した。アメブロで始まり、事は起こり、離婚を目の前にして恐怖にとらわれ、このブログに逃げて来た自身も、放浪を続けるうちに落ち着き、特に心境に大きな変化は見られなくなった。以前感じていた「不思議な経験」も不思議ではなく慣れたものになり、伝えたい興奮もなくブログを書く手も鈍って来ていた。

あるとするなら、旅の記録をとどめたいという思いから「のまどまこ」のFacebookを始め、画像をそこにアップしている。FBにはFBなりの投稿の仕方があるゆえ、ブログに認めるような感情的な云々はないけれど、やっぱり私は人生の記録が好きなようだ。いつ辞めてもいいと思いつつ始めたものの、FBの投稿は結構続いている。




「名は体を表す」という言葉がある。

キッチンでボロボロに疲れて働いていた自分だったのにもかかわらず、最終日に他の参加者から「君はいつもエレガントだ」と言われて驚いた。確かに疲れてはいたけれど、私の脳裏には踊りたくなるような音楽が流れていた。時間に追われる緊張感のある労働は、ある意味楽しかった。

雅は本名の一文字だ。果たして親が私にエレガントな娘になるようにと願掛けをしたかどうかは知らぬが、少なくとも私は大人になってから自分の名前の意味を意識するようになった。

ブログを始めるにあたって「ランティエ」という名をつけた。働かずして暮らせる高等遊民という意味。それが主婦ではなくこのような結果をもたらすとは当時は想像していなかったけれど。願望は、願望のまま素直に言ってしまったが勝ち。「どうやって?」などと考える必要はない。そんなことを考えたら「絶対無理」と思って言えなくなってしまう。

願望は魔法のランプのジニーに告げればよろしい。後は宇宙がどのようにでも自動運転して魔法を起こしてくれるから、宇宙と繋がって降りてくる「直観」にそのまま従えばいいという極めてシンプルな仕組みなのだ。




とりあえず、じわじわ来ていた人生の区切りがここで大きく来たことになる。いつでもどこかに小さな区切りがあって、私は少しずつ段階を経ながら「終わり」を実践して来た。こんなにゆっくりとした離婚のプロセスがあるのかと人は驚くけれど、と同時に「始まり」も起こっていた。そして家を売ることでとうとう本当の終わりが来たのだと察する。果たして私はブログを更新する自身であるのだろうか? ここがこのブログの「終わり」かもしれぬというそんな予感もあり、タイトルを『終わり』の終わり、とした。書くとしたら、また別な場所にしたい気もするのだけれど。その時にはまたここで告知しますけれどね。

長い文章になりましたが、今回はお伝えしたい気分でしたので読んで下さってありがとう。




20年以上慣れ親しんだ家ですが、未練はありませぬ



1/16/2017

変身写真にハマりそう

先日上海を訪れた。

あまり気乗りもしないまま、それでも一気に予定を組んでチケットを買ってしまっていたので、ギリギリまでホテルの予約もせずにいたけれど、とりあえずチャレンジのつもりで中国本土に足を伸ばした。

先月は韓国と台湾を続きで旅行したけれど、きっと中国本土のストレスは凄いだろうと懸念して、この地は単独で弾丸で出かけた。なのに、意外な驚きの連続で自分の中にあった「中国」に対する先入観がガラガラと崩れて行くような気にされられた。

南京東路に溢れるお上りさんは、私の知っているがなっている中国人だったけれど、皆ブランド品に身を包みオシャレだった。南京西路は銀座並だった。路地裏には中国の下町が残って質素な家並みがあったけれど、だからといって汚い訳ではなかった。

川向こうの高層ビルが立ち並ぶそのエリアを訪れた時は、完全に圧倒されていた。一体ここで消費される電力はどのくらいなものだろう。ラスベガスと雰囲気がよく似ていた。

二日目の朝イチで変身写真館での撮影の予約を入れていたので、朝の地下鉄のラッシュに遭遇したけれど、上海人は普通にスマートでマナーがあり、それは台北の人々と同じだった。そう、上海は中国は汚くて臭くてうるさくて空気が悪くて、という私の予想を見事に裏切り快適そのものの旅だったのだった。

上海人は「中国の上海人」であり、台北人同様「中国人」のイメージとは程遠かった。




上海にも変身写真館はあるかしらとリサーチしてみたら、オンラインで予約可能な場所が一箇所だけ見つかった。日本人のレビューではスタッフの対応が悪いとの書き込みがあったけれど、それを改善したのかスタッフはとても流暢な日本語で日本並みの丁寧な応対で快適だった。

変身写真館は台湾が発端で、そのスタジオの数、アーティスティックなセンスは素晴らしく、作業も素早く簡単だ。でも上海のここは着付け、ヘアメイクとも丁寧に時間をかけて行い、カメラマンも1ポーズにシャッターを一度しか押さないで26枚の上がりしか得られなく、そこからの選択にも苦労するくらいだった。ポーズのつけ方も臭い感じがしたけれど、それでも私は素直に応じた。あくまでもその国のやり方を体験し、その上がりを見るというのが目的だからだ。

中国の民族衣装とウエディングドレスが衣装のストックらしく、私は楊貴妃になると決めて唐時代のドレスを2着選んだ。身体に合わせて後ろをコルセットで締めてくれて、台湾のスタジオのつまんで安全ピンで留めるだけとは大違い。そう、ここは多分、日本の成人式の撮影をするようなスタジオを言った方が近いかもしれない。

一番感動したのは、楊貴妃のドレスに合わせて結ってくれたヘアスタイルだった。ヘアピースを巧みに利用して大変に興味深い髪型に華やかな髪飾りをたくさんつけてもらって、私は本当に嬉しかった。

台北のスタジオ同様、翌日にはアルバムに入った美しい修正済みのプリントとデータを受け取ることができた。肌の修正具合は台北のものよりも更に念入りに若返らせてくれているので面食らった。再度軽く20歳以上若返っている。

これが自分とは決して思わないけれど、それでもこの体験は楽しかった。女性の持つ変身願望を見事に満たしてくれていると思う。

くせになりそう。


この修正はまるで20代の女性のようなあがりになってしまった。
決して好きな訳ではないのだけれど、この衣装でどうにかキープできるのがこれだけだった
先に撮影したけれど、ノリが悪いうちに終了してしまったため

個人的にはこれが一番好きな画像。
自分らしい表情だと思える

顔の修正はもちろん、首も脇の下のシワも綺麗に撮ってくれて
若々しい美しい肌になっている

オレンジは私の好きな色
似合う色だとも思っている

先にしたヘアよりもこちらの方が似合っていると思う
沢山の髪飾りで華やかな楊貴妃になれてとても満足


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1/07/2017

女子力健在

新年明けましておめでとうございます。

忘れられてるブログですが、それでも覗いてくださってるあなたにご挨拶。いつもありがとうございます。




前回告知通り、Facebookの更新は順調に進んでいる。やっぱり旅が続いているので、その時の気持ちを新鮮なままにお知らせできるのが自分でも良い記録だと思っている。ただ古いところを引っ張り出すのにはFacebookというのは不便なのだなということにも気づいたので、やっぱり今年は旅ブログを作ろうかななぁとかいう気持ちはムラムラと起き始めているところ。




去年は日本縦断の後、LCCを利用した韓国と台湾の旅にトライしてみた。これは言葉が通じないディープなところにまで出て行ったのでかなりのストレスになったし、半徹夜状態の旅工程でかなり疲労した。韓国は今までにかなりネガティヴなニュースを見聞きしていたけれど、それだけで先入観を持ってはいけないと思いニュートラルな心情で出かけたものの、やっぱり良い思いをしなかった。

韓国という国はボッタクリに近い値段を払ってニコニコ日本語で相手にされて表面的に楽しむならともかく、一般人のレベルの場所にのこのこ出かけて行けば、言葉も喋れない日本人にはとりわけ冷遇であるというのを身を以て体験した。ここのところの慰安婦像の問題もあり、やっぱり日韓が仲良くなるというのは難しいところだと思わされる。

その体験の後の台湾はこれまた全く逆で、「中国人」という先入観を見事に覆された思いだった。「台湾人は中国人ではなく台湾人なのだ」ということを思い知らされた。台北の人々は地味ではあるけれど、下手したら日本人よりも静かでマナーがあるのではないのかと思わされた。言語はマンダリンであり、広東語とはまるで違う響きだ。確かに中国語を話しているけれど、彼らは決して怒鳴らないし穏やかに滑らかな響きがある。




その昔、変身写真館にハマっていた女子が台北に行くたびにそうするということを言っていたことをふと思い出し、ならば私もお遊びでそれをしてみようではないかと予約を入れて出かけてみた。レビューにあったように、スタッフは決して親しみやすい感じではなかったが、連日のギャルの要求に疲れているのではないかと想像もできたので、朝イチで彼らが疲れていない時にさくっと済ましてしまえば大丈夫だろうと思った。

メイクを厚く施されて安っちいアイラッシュをつけられて、まぁこんなものだろうなとは思ったけれど、ヘアメイクもカメラマンも大変に素早く技術もあって、値段の割にはプロだなぁと感心した。

ライティングを工夫していたけれど、その効果があまりにも素晴らく驚愕させられたのは、直後にスクリーンに映し出された140枚ほどの上がりをチェックした時だった。ライティングだけれでも恐ろしく綺麗に仕上がっている。たった2着の衣装の撮影から3枚を2000元でゲットできる体験コースを予約してたものの、あまりにも素晴らしいので5枚に変更した。

「シワはシューセーするねー」とか言ってたけれど、私はそのままでよかった。翌朝にはプリントとCDに入ったデータを受け取れるというスピード対応も凄いと思った。言ってた通りに見事に修正が施されて、私の顔は20歳も若返っていたけれど、でも、表情、スタイルはそのままの私である。これが自分なのかと目を疑った。

カメラマンに言われるままにポーズを取ったけれど、ダンスのせいで表現法というのは身についているのかもしれぬ。たとえ修正を施されたとしても、これが自分だと思えるのならセルフエスティームは急上昇する。

ほんの遊びでトライしたものだけれど、本当にやってよかったと思った。