12/31/2014

年末の恋バナ 2


「それって、遠距離じゃん…」
「やっぱ… そう思う?」

8月にハワイから帰って来た後もチャーとのチャットは続いていた。あのハワイでの毎日のように朝起きたら「おはよう、雅ちゃん!!」昼間に何気ない会話、そして「おやすみ、雅ちゃん!!」と。そして金曜日の朝には「ハッピーフライデー!!!!」ときっちり決まった挨拶が届いていた。サンセットの写真も飽きる程に送られ続けていた。

チャーは相変わらず仕事に復帰できないでいたけれど、生活は普通にできているようだった。チャットはkakao talkを使い、そのスタンプの可愛らしさにお互いが癒されていた。ときには6時間ぶっつづけて会話しあってたこともある。あまり電話で話すことはなかったけれど、たまに話すと声ががらがらに枯れていて凄く暗かったりする。それで、週二回は遠隔レイキを彼に送っていた。始まりと終りにそれを知らせていたので「君がいる人生って、なんてラッキーなんだろう!」ってよく言っていた。

私は今まで男性とチャットをし合うような仲になったことないし、ましてや遠距離もしたことない。お気に入りの相手からテキストが届けばそれなりに返事はする。そして今回それが習慣化し、みっちり毎日「I love you」を言われれば悪い気もしないし、その気になってしまった。チャーは私のことをハワイのデートの時から『ガールフレンド』と呼び、テキストでも『Sweety, Honey, Hon, Love』と呼びかける。まるで離れて暮らしている恋人のような存在になってしまっては、私がこっちのベイエリアでムーブオンできない。一体自分たちの関係は何なのだ?と少々の苛立も生まれ始めて来た。

「めずらしくやけにお気に入りじゃない?」

女友達にチャーのノロケを報告するのに使う言葉は限りなくあった。私は本当に彼のことをとても気に入っていた。ただし、彼の癌の後遺症の為に食事を一緒に楽しめないこと、彼のデカマラで閉じマンが切れマンの私の肉体的苦痛をどう乗り越えられるか?そして、ミリタリーでナースをする彼の移動の件は、将来を考える大きな問題でもあるかのように思えた。

「私たちは『チャット』を楽しんでいるのよ。スタンプも可愛いし、錯覚しているわ。この関係は現実的じゃないと思う」

「I love you!」を連発する彼にそう戒めたこともある。そして正直に「私は自分の気持ちがあなたに対する『愛情』なのか、それともボランティアをするような『慈悲』の気持ちなのかが良く解らないでいる」と告げたときもある。ナースである彼が患者に惚れられた経験があるから、それはちゃんと理解してくれたようだけれど。




今までになく温かい日々が続いたSFベイエリアに冬がなかなか訪れなかったので、ハワイを恋しく思う気持ちもなかった。

「飛行機に乗ればすぐさ。君に会いに旅行できるよう早く身体が回復すればいいな」

そう言った彼だったけれど、お互いに『会う』という行動に出る気配はしばらくなかった。

出会いからみっちり毎日3ヶ月のチャットが続いていたある日、私は彼にこう切り出してみた。

「このままじゃムーブオンできない。オアフは特に好きじゃなかったけれど、あなたとなら住める場所だと思う。私と実際暮らすことにトライしてみたいと思う? 一緒にヘルシーな料理を作って、レイキを受けて。私がヨガのコースを取ったら、家で私の生徒になって健康回復に専念すること、やってみたいと思う?それでうまくやっていけたら、春に私が日本に帰国するときに一緒に旅行するのもいいし」

そうチャーに確認を入れてみたら大乗り気だった。ちょうど良い3ヶ月ヨガティーチャーコースがあったので、全額前払いですぐに席を手に入れ、彼もレジスターできてよかったねと言っていた。




その後暫くして、風邪を引いて寝込んでいたときにチャーの「!!!!」と叫ぶテキストがウザいと感じてしまって、「叫ばないでよ」と告げてしまったことがあった。向こうは「良心でやってるのに」とくるから「良心ですることがいつも適切とは限らないでしょ」というやりとりをした。そのときに「ねぇ、聞きたいことがあるの」と切り出し、「前妻と4年付き合った後結婚し、結婚3ヶ月で離婚されたその理由で思い当たることがあれば教えて欲しい」と尋ねてしまったのだった。以前それについて「まったく解らない」とチャーは言い、何故解らないまま平気で離婚できるのかそれが謎だと私は思っていた。「多分これかな〜、あれかな〜」と何か話してくれれば、パーフェクトな男なんていないので納得出来るものの、今回もチャーは「解らない」の一点張りだった。翌日私は「気分が悪かったからビッチになってたわね、ごめんね」と誤り、それも許されてはいた。仲直りをしてその後三日程は普通にラブリーな会話が続いていた。

「12月の何時頃オアフ入りしようか」と考えていたある日いきなり長いテキストが届き、さんざん私の嫌な点をずらずらと書き綴った挙げ句「君は僕のリタイアメント後の人生の設計図にフィットしない。だから一緒の時間を過ごすのは時間の無駄であり、よって僕は君にここに来て欲しくない。お互いの道を歩くことにしよう」と結論づけて来た。

顎が落ちたわ。

血が引く思いでチャーに電話をしたけれど、取ってもらえなかった。「気持ちは理解するけれど、こんな別れ方は嫌。ちゃんと話そう。電話取って」とお姉さんぽくヴォイスメールを残して再度電話してもやっぱり取ってくれなかった。私もそれなりに言い訳のテキストを送ったけれど、それにも返事がなかったので、仕方がなくホ・オポノポノの言葉を送って終わりにした。kakao talkもチャーとだけの使用だったので直ぐにアプリを削除し、それで密度の濃い遠距離恋愛がぶっつり終った。朝昼晩毎日会話を交わしていたので、暫くはやっぱり寂しかった。

そんな話を友人達に告げながら、どこかほっとしている自分も感じていたのは事実だった。舌癌からのリカバリーで焦っているときに私の存在が癒しになって彼の健康回復が早まるかもと思ったら、私の方から彼に別れを告げることは決してできなかったと思う。でも、食事とセックスに関しては正直モンダイな感じがしてた。それでもめでたくも彼の次の任地に一緒についていく覚悟もしていた。何処の任地希望を提出するかという話も彼としていた。でもリタイアメントで何処に住むかを尋ねられた時には、彼の故郷に住む気はないと洩らしたものの「そんな話、まだ早いよ」ととりあえず成り行きで考えればいいと思っていた。ハワイに居た間の彼はとにかく気に入っていたのだ。ただ、7日間弱の付き合いで何を理解していたのかは疑問だったけれど。




「で、どうすんの?ハワイ?」
「ん、行くよ。ヨガのクラス全額払っちゃったし」
「でも、キャンセルできるんでしょ」
「多分ね。でも、いい。これも運命の導き」
「雅ちゃんらしいわ。笑」

そんな訳で、特に夢のオアフでもなく、ヨガの先生になる目標などなかったのに、ひょんなことからそんな流れになってしまった。SFベイエリアの居心地が良くなって家を出られずにいたので、何か大きなきっかけは必用だった。だから、痛い話だけれどどこか「そうきたか!」という感じもあった。

チャーがえらく『頼りになる男』だったので惚れてしまったのだけれど、そうされて自分の男を見る目を疑い反省した。彼に振られてから、住むとこ探さなあかんと部屋探しに翻弄したのは自立第一歩の良い機会だった。試行錯誤しながらも、運命はラッキーな手応えを感じさせてくれ展開していった。




「サンクスギビング、どうするの?」
「今年はホリデー無視。断捨離でそれどころじゃない」
「シングルが集まる会があるよ。ターキーじゃなくてローストした蟹を一人で丸ごと食べるんだけど」
「行きます」

そんな会話を婆友と交して、家を出ようとしたその時にLineの着信が鳴った。誰だろう?と思ってチェックしたらチャーからだった。

「…」

Lineを知らない男の為にkakao talkを使っていたのに、それを削除したらわざわざLineにアカウント作って追っかけてくるかい?

「Happy Thanksgiving, Miyabi-chan!!!!」

ターキーのスタンプと共に相変わらず叫んでいるチャーだった。まったく学んでいない。その前に言うことあるだろ?おい。

「返事しちゃだめよ」って言われて「しないよ」って応えたけれど、なんかな〜って思う。オアフに住んで、もしかしたらアラモアナあたりでばったり、ってこともあり得るかと思ったけれど、相手に嫌われている訳じゃないんだって解っただけ気が楽になったかな、って気はする。

「ファミリーイベントできっと寂しくなったのね」

婆友は言ったけれど、そうなのかな。

いきなり振られて弁解の余地も与えられないまま3週間が過ぎていた。それからは、うわぁぁああと翻弄していたし、時々はチャーのことも思い出していたけれど、このテキストで彼とヨリを戻そうという気持ちはまるで起こらず、すっかりムーブオンしている自分を発見した。もし、それが振られて一週間後のことだったら解らなかったけれど。




クリスマスの昼間にもチャーはスタンプと共に叫びのテキストを送って来た。今度はエクスクラメーションマークがひとつ増えて5個で叫んでいた。前にスルーされているのに再度やるとはよほど鈍感なのか。それともこれは嫌味でやっているのか。さすがにストーカーっぽく感じられて気持ちが悪くなったので、Lineとテキストメッセージをブロックした。

ばったりアラモアナあたりであったらどうしよう。



年末の恋バナ 1


断捨離の最中に中腰で手を伸ばしたら、軽いぎっくり腰をやった。「こんなときにぎっくり腰になってられないわん」と、さくっと鍼に出かけ、芯から温めようと久々にビクラムヨガに戻ったら、身体の調子が良くなったので年末を通いつめていた。


クラスをとれるのも最後の日になった昨日の夕方出かけてみたら、鏡の中最後列に見かけない男を発見した。胸筋ぷっくり肩もりっと良い裸体が光っていたので目をやったのだけれど、顔は「山男ですかい?」と思うくらいのもっさり髭面。


「…」


まさかね、とは思ったけれど、食い入るように見てしまった。いや、どうしても顔が重ならない。「人違いよ」と思い直したけれど、何気に両足首を見たら例のtattoo でやっぱり『ズッキュンの彼』だった。なんと丁度2年ぶりの偶然の出逢いになる。


当時を思い出すと大笑いなのだけれど、あの時超ロマンティックな『オーガニックな出逢い』を経験して、それは素敵なデートをしたので『ツインフレームに出逢った』とショックで涙にくれて大騒ぎしたことを覚えている読者の方もいらっしゃると思う。その後『ゲイ疑惑』が持ち上がり、気持ちにもムラがありそうで良く解らないままフェイドアウトした、あのズッキュンの彼がそこに居たのよ。


どうしようかと一瞬迷ったのだけれど、クラスが始まるまでまだ間もあったので思い切って彼のところまで行ってみた。彼は近づく私の顔を見てすぐに気づいてくれたけど。


ひさしぶりと挨拶をして、自然に裸の彼にハグをする。会えて嬉しいと告げているうちから、涙がぶわっと溢れて来て自分でも驚いたよ。


最近、あの当時のブログ記事を読み返して彼のことは思い出していた。あれから一年くらいはヨガのクラスに出るたび、どこかで彼を捜す自分がいたけれど、そのうちもう彼はこの近所には住んでいないのかもしれないと思うようにもなっていた。


「久しぶり。元気にやってる?」って聞かれて、ちょっと声が詰まる。「Yes」って言いながらも「あと数日でベイエリアを離れるの。離婚したの」と素直に事実を告げる自分がいた。伝えたいことが今言える、という機会に恵まれたことに感動していた。


「あのね、ずっと伝えたかったの。あの日のディナー、あの時の会話で私の人生変わったのよ。そのお礼が言いたかったの」


大げさではなく、それは本当だった。あのあっという間に過ぎたディナーの会話で、私は自分の昔の魂を呼び起こされた。あれ以降、忘れていた昔の自分を思い出すようにいろんなアドベンチャーに躊躇なくチャレンジする私がいた。そんなとき彼のエナジーを時々思い出していた。そして、究極の今の私に至ったのだった。


それを告げているうちにも、滝のように涙が流れ出ていた。そういえば、彼の顔をこれを書いている今は思い出せない。なんだろう、とにかく彼のエナジーは心地よい。そして、再度彼のエナジーに触れることができたことにとてつもなく感激していた。「神様はなんて憎いホリデープレゼントをくださったのだろう!」って。


「How sweet... Thank you!」ってズッキュンの彼は言って、両手の親指で私の頬の涙を拭き取ってくれた。もう感動の嵐。直ぐ隣には人がいたけれど、そんなことも気にならないくらいだった。


2年前に泣いていた彼に出会い、何も起こらずして2年後に泣いている私で終るなんて、なんてロマンチックなのかしら!


あっという間に90分が過ぎて、着替えて外に出る前に「もしかしたら彼が待ってるかも〜」と淡い期待をしたけれど「期待しないしない!」と思い返し、普段は入らない隣のスタバに入ってホットチョコレートを買ってクルマの中でじんわりと味わった。最高に幸せな年末の夜だった。





本当はそのままで終っても良い筈なんだけれど、ズッキュンの彼はその後私に「外で待ってたんだけれどすれ違ったのかな」とテキストしてくれて、それからなんだか会話が続いている。そして、こうやって会話をしていると「やっぱりストレートかな〜?」と思える感が強い。見た目はばりばり美意識強そうなゲイ男なんだけれどね。ま、正直彼がゲイでもストレートでも構わない。だって興味がセックスに繋がってないから。


彼は相変わらずビジネストリップで忙しくって、大晦日の朝シカゴに発つなんて言ってたけれど、これでまたフェイドアウトするだけだと思っているから私も何も考えてない。ただ、夕べからテキストのやり取りが続いてるな〜って。でもね、男の暇つぶしのテキストで燃え上がったりしないんだから。次にまた偶然に出逢ったら運命だと思うことにしよう。笑


この件はこちらの記事にて:


何もしない方が辛い

続:何もしない方が辛い
恋愛の駒の動かし方
既婚者の恋愛
デート前のマインドセット
久々にバシャール
パーフェクト過ぎるデート
涙の理由
Soul Mate Twin Flame
惚れた男に『ゲイ疑惑』
その後の展開
ドラマは続くよどこまでも 3

今読んでも、凄い盛り上がりだったな。





こう書いて、「あれ、私、もしかしてまだ枯れてない?」と思い直す。確かに一時期「男、イラネ。めんどくせ」という気がし始めていたのだけれど、そういえば、先日Nちゃんとランチに出かけたバークレーのお洒落ストリートで『イケてる親父レーダー』ががんがん作動していたことを意識した。一度はビーム!みたいな感じで目線ばっちり固定して、親父が嫌でも気づいて微笑み返してくれたくらいよ。


「男、イラネ。めんどくせ」には、実は理由があった。


「『恋はハワイの風に乗って』シリーズのチャーとの続きが気になります〜」と言ってた読者の方がいたけれど、なんとなく書く気になれなくって、もう話すのも面倒くせぇという気にさせられたのでスルーするつもりでいたチャーとのその後。この際年末出血サービス恥の上塗り恋バナを書いてみようと思う。




12/30/2014

離婚成立。元旦から新しい世界。


「後はジャッジのスタンプのみですから、これで事実上離婚が成立したと言えるでしょう。大変に穏やかに協力してくださって感謝しています」

いくつかの書類に最後のサインをした後、メディエイター である弁護士がそう告げた。

「お礼を言うのはこちらの方です。本当に驚くほど心地よくプロセスがふまえました。あなたのお人柄のお陰です。感謝しています」

「そう言って頂くと嬉しいです」

大人なのにどこか子供のような顔をしているにこやかな彼はまるで天使のようなエナジーを発していることに、私は毎回驚かされる。彼は夫の『弁護士という職業の人間に対する先入観』を完全にくつがえした。

「みなさん、そんなに目の前で喧嘩されます?」

「えぇ、そりゃ、もう。凄いものです。1Fの離婚弁護士は、そういうカップルをかき回してミリオンダラーとっちゃうんですよ。片方だけでその金額だから、相手も同様にそれだけ払ってるんだろうから相当の金持ちなんでしょうけれど、無駄なことです。弁護士だけが高笑いですよ」

そう言って目を丸くした彼だけれど、本当に私たちはミニマムの費用で離婚できたから、彼には大した儲けはない。欲がないというか、自分の信じるところで仕事をしている人なのだと思う。でもきっと彼の人生は別のところでとても素晴らしいことが回っていると信じたい。

アメリカで離婚なんてどこから始めていいか解らなかったし、大体にして熟年離婚なんて絶対できることじゃないと思っていたけれど、それでも同じ屋根の下の『最善の振る舞い』で離婚の過程を通って来たのは想像を越えた展開だった。この弁護士に決めたのも、本当に行き当たりばったりの直感だったけど、今回の離婚のプロセスには『運命に守られている』感が強かった。怒らず求めずして、与えられたものに感謝するだけにしてもありがたき優遇。こんな形の離婚をする人もそういないのではないかしら。そして怖がりながらもジャンプした自分を本当に誇りに思えるし、今は自分大好きの極致。笑。




「Thank you for your generosity!(あなたの寛容さに感謝します!)」

相手の自分に対する信頼と太っ腹さに感動して、思わず感謝を告げるラッキーな出来事が続いたとき「そういえば、私、誰かに言われたぞ?」とデジャブーのような感じがした。よく考えてみたら、フリーウエイの入り口に立ってたホームレスからだったことを思い出した。あの時財布を探ったら1ドル札がなくて、でも5ドル札があったからそれを差し出したところ同様なことを言われていた。

金額じゃないのだと思う。そこに差し出せるものがあって、それを純粋に差し出して感謝されたエネルギーが、別な機会で巡り戻って来ているという実感がじんじんする。状況の確率的なことを考えると、正にラッキーな出来事だし「あぁエネルギーは回ってるんだなぁ」と思える嬉しさだ。こうやって最近の人生のシーンは展開していく。




私の過去20年分の人生が片付いた。

やましたひでこさんに報告されている、大きな断捨離をした方々のそれに伴う『人生の変化』とはこのようなものなのだろう、という体験を私もしているようにも思えた。あれほどびくとも動かなかった大きな岩のような『私の人生』がゆっくりと動きだし、そしてそれに勢いがつく。モノへの執着を捨てることによって、恐ろしいくらいに『引き寄せの事象』の動きがでる。それは、ブロックが外れたかのように『たららっ』という勢いで流れ込んでくる。そう、それは経験した人だったら解る『シンクロニシティ』というものだ。

夫が使うことのないキッチンのがらくたを始め、自分に属するモノの8割方を処分し、更に大小2個のスーツケースに収まるだけのモノが今後半年間の私の全財産になる。しばし放浪の身となり、その後のことは、これからの半年の出来事で方向性が生まれて来るのだろう。私は今後の人生を誰のせいにすることもなく、お金の心配をすることもなく、自分が思うように好きなところで好きなことをして生きて行ける。そういう場所に辿りついた。




「そういえば、バシャールはどのように2015年を予告しているかしら?」

そう思い出してYouTubeで検索してみたら、2010年から2015年までの『変革のスパン』を語っている動画がいくつか見つかった。人々の意識はこのスパンで大きく変革され、特に2012年は大きなネックになると彼が語っている。ブログという記録があるので、過去ログで出来事を振り返ってみると、ランダムに起こっているようでも点と点が繋がっているのが再確認され『運命の流れ』の摩訶不思議さに唖然とする。10年くらい前の自分が人生を振り返ったときは安定の退屈さから、25歳から30歳までの人生の密度って凄かったと感心していたけれど、この5年の私のスピリチュアリティのイベントの密度とその変容も凄かった。そのフィナーレを今迎えているという感じかしら。

このスパンが変容の期間としたら断捨離はさなぎの殻をやぶっているような状態だと思う。さなぎから身体を出して羽が広がるまでにはまた暫くの時間がかかる。それが来年という感じで、実際飛べるようになるのが2016年くらいかな。

自分の人生が信じられる。何が出てくるか解らないけれど「でも大丈夫」と思える気持ちがある。私はまっすぐに立っている。バシャールの言う『パラレルワールドの電車の乗り換え』は出来たようだ。






バシャールの早口を理解するのはなかなか難しいと思い続けていたけれど、この暮れ初めて今までになく理解できてる感が強い。言葉ではなくセンスで理解できるという感じか。いろんな動画の中で、これがまるで悟りのように頭にがつんときて泣いてしまった。宇宙の波動というのは『愛』のそれなのだ。だからレイキであれ、祈りでさえ『奇跡』を目にすることができるのだろう。





12/27/2014

観音様が現れる


バシャールの言葉を日本語で伝えてくれるブログがある。毎日目を通す訳ではなくほんの時々何気に開け、必然なタイミングでメッセージを受け取っているくらいだけど、先日はそれを読んでいきなりわっと泣き出す自分がいて驚いた。


『物質世界で生活していると、自分の分身である貴方の”相方”詰まりは、ハイヤーマインドの存在を、すっかり忘れてしまいがちです。しかし、貴方には”目に見えない相方”が存在し、貴方は決して”独ぼっち”では無いという事を、絶対に覚えておいて下さいと、バシャールは話しています。 (中略) ”独ぼっち”では無く、貴方には”相棒”という助っ人が常にいてくれているという”事実”を認める事で、貴方の”恐れ”はリセットの方向へと、初めて向かう事が出来るようになるのだと、バシャールは話します』


 この文章を読んだ時に、 ふと少し前のある明け方のすっかり忘れていた出来事を思い出し、一瞬にして感動して涙があふれた。




顕在意識上では落ち着いているようでも、潜在意識ではやっぱり相当なストレスを感じているのだと思う。今年初めに目覚めの時にパニックアタックを経験していたり、最悪のときには神経性胃炎を起こしていた。その時ほどの症状ではないにせよ、ときどき目覚めの頃にそういう感覚を再度身体に感じたりすると「あ、精神的にきてるかな」とストレスコントロールに意識を向けたりしていた。

先日、目覚めの時に胃痛を覚えていた。半覚醒の状態で「あ、やばいな」と思う。今、神経性胃炎を起こしている場合ではない。朦朧とした頭でレイキを自分にかけようと、痛むところに手を当てレイキに繋がるよう意図する。その時に、私は身体の右側、ベッドの横に私に手当をする観音様を意識下に観た。とても美しい観音様だったけれど、人間的な3Dのそれではなく絵画的なイメージのそれだった。見ようとして想像したそれではなかったので、その突然の出現にちょっと驚きながらも、その存在の美しさ、エネルギーの美しさに感動した。そして胃痛は和らぎいつしか眠りに落ちたので、次に目覚めた時にはすっかりそのことも忘れていた。しかし今回、私はぼんやりとした意識の中で観音様の視線で私の身体に手をのばしているそこにいたことも思い出すことができた。




まるでスロークッカーのような離婚のプロセスで、当然そこには波があった。静かに穏やかなときもあれば、まるでスカイダイビングの飛行機の中でインストラクターから押し出されているような「あ、いや、ちょっと待って」みたいな気持ちや、10月にラスベガスで十何年ぶりかに乗ったローラーコースターの、カンカンカンという音と共に空に向かって登って行くときのあのドキドキ感、そして最後には、足場に隙間があいているような吊り橋を『泣きながら、それでも前進している』イメージを脳裏に見ていた。

むちゃくちゃ怖い。でも、それでも何故かしら背中を押してくれる存在がいるのには気づいていた。それがこの観音様であることに、バシャールのメッセージで認識できたという感じだった。




人は高尚なエネルギーを具象化する。私の顕在意識はエンジェルが好きだった。家の中には昔からコレクションしていたエンジェルの置物があったりするけれど、スピリチュアルな観点でエンジェルを信じていた訳ではない。そしていつしか私は理由なく観音様に惹かれるようになった。

2010年6月に自分の70歳は観音様のイメージなのだ、という気づきを得てそれを記事にしていた。レイキを始めてから一年後の2012年の10月に、とあるレイキマスターから「雅のレイキにKuan Yinから感じるのと同じ種類のエネルギーを覚えた」と告げられ、後ほど『Kuan Yin』が観音様のことだと知ってありがたくも驚愕したことを思い出した。仏教に関する知識はまったくないのだけれど、それから何となく観音様が身近に感じられるようになった。今年春に訪れた鞍馬山の霊宝殿の聖観音像の足元にひざまずき薄暗い部屋に浮かび上がるその美しいお姿を崇めたとき、昔の自分では感じられなかった泣きたくなるような静かな感動がそこにあった。この頃にはエネルギーをシンクロさせるということも普通にできるようになっていた。

どうやら私のハイアーセルフは観音様のイメージとその波動を持って存在しているらしい。そう理解すると、不思議に漫然とした未知の未来に対する恐怖感は薄れる。『心強い』というのはこういうことで、バシャールが言うように、私は決してひとりぼっちではない。それは『インスピレーション』という形で私にその存在を感じさせてくれる。最近のその『繋がっている感』は半端ないという感じだ。ある方向にドアが作られ、その向こうにある世界が既に半透明にかいま観られる。





12/24/2014

ホ・オポノポノで断捨離


捨てられなかった中学時代からの日記、放浪のジャーナルの全てのノートが詰まった重い箱を捨てることができた。モノと自分の関係はその個人にしか解らないことだけれど、とにかく出来なかったことがやましたひでこさんの動画で可能になったということは、本当に素晴らしくありがたい機会だった。それはまるで暗闇に持つフラッシュライトのような役目で、どんどん先を照らして見えなかったものを見せてくれる。展開が起こり人生のシーンが大きく変わる。

眺めているだけで幸せになるような美しい布の在庫も今まで現実逃避して近づけなかった。寄付としては受け付けてもらえず、多くのそれがゴミ行きになるのが残念で行為を渋っていた。でも、思い切ってゴミ袋に入れたときにふと「ごめんなさい使い切れなくて。許してね。私を楽しませてくれてありがとう。大好きよ!」って思いながら『ホ・オポノポノ』を唱えたら、嘘みたいにその行為が簡単にさくさくとはかどったので我ながら驚いた。

『ホ・オポノポノ』は、気持ちが絡んでいるモノを手放すときに驚くべき効果が見えるツールなることも発見した。捨てるときに発生する『罪悪感』を拭い取ってくれる。それで、断捨離が一気に加速した。




ジュエリーの引き出しを忘れていた。引き出しいっぱいに溢れている、それでもジャンクとは呼べないようなアクセサリーの数々を寄付し、運べるだけを残さなければならない。それは、未来の自分の姿をビジュアライズしてアクセサリーを厳選するモンダイとなって目の前に突き付けられる。根拠はなくとも訪れるであろう『機会』のシーンを想定してアクセサリーを選ぶということは、その時点で自分の未来を無意識に選択していることにもなる

残すモノは自分の未来像だから、それが相応しいと自分からギフトをあげるような気持ちでありたい。ここの意識の選択が『自分を大切にするとはどういうことか』が解るようにも思えた。『ホ・オポノポノ』の「許して下さい」の部分は自分に他の何ものも気にせず、自分の本心から好きなもの、やりたいことを選択することを自分に許可するということに繋がった。

気がつくと、マントラのように『ホ・オポノポノ』を唱えている。片付けては息抜きをし、淡々と用事をこなし、雨の日の渋滞でもまったくそれが気にならない。ただ人生が展開していく。

「落ち着いてるね」

そう私を観察した女友達が言う。あのおびただしい量の日記ジャーナルを捨てた後、不思議にも『見えない未来』に対する不安が激減した。漫然と抱えていた『恐怖』が消え去ったかのようにも感じられる。





12/17/2014

過去への『執着』に気づく


暫くの間『身辺整理』と言葉に出しながらも実際なかなか手がつかなかった。最近再度モノを捨て始めながらも途中でその手は止まり放心してしまう。思ったほどモノを捨てるのは容易くはない。決してモノに溢れている家ではなかったけれど、収納の中には使われない「多分にいつか必用になるかもしれないから」という理由でしまい込んでいたモノがきっちりと詰まっていた。収納スペースがあることに甘えきっていた。

多分に夫の性格に合わせていたこともあるだろう。彼は父親の古いゴルフセットを最悪の保管状態でガレージに置いておく。決して私に捨てさせることもしないし、災害があったときの為の『溜め込み』も凄い。もちろん、決してそれを馬鹿にするべきでもない。迷ったら両方買い、トイレットペーパーも日常食品も常に必用以上買込み『溜め込む』それが彼のスタイルだけど、それらに私は決して手をつけない。今回の断捨離は、家を離れることによる『私に属するモノ』または『私が溜め込んだモノ』だけに関する処理でしかない。




読者の方の勧めでやましたひでこ女史のセミナーに興味を持ち、サイトを覗きメルマガ登録をしてみた。余計なお世話かもと思いながらも、自身を「片付けられない女」とこぼしている長女姉の分も登録した。メルマガ登録をしたものの、後で読もうと溜める一方でろくに読まないままゴミ箱行きになることが習慣化していた私なので、少なくとも彼女にそれを勧めた手前もあるから、13日間のメルマガセミナーを溜め込まずに目を通すことを自身に課した。それでどうにか思い尻を持ち上げ自身の背中を押している。そして、13回シリーズの5日目の動画「収納上手な人の大問題」を観て、「その空間に不安を収めている」という言葉に目から鱗のような気になった。物事角度を変えて視るとはこういうことであったのか!という驚きさえ得たくらいだった。

『断捨離をしている』と文字にしているほど、私はこの意味の真髄を知ってはいなかった。やっぱり本を読んで理解したつもりでいるのと、彼女自身の顔と音声で伝わって来るのとでは雲泥の差があると思う。私はビジュアル派なので何事もYouTubeなどで動画を観て理解する方がてっとり早いということには気づいていたけれど、それにしても今回はタイムリーに素晴らしい気づきを得られたと思う。




動画を観ての衝撃と気づき、そして行動したいうずうずした気持ちを抑えながらどうにか最後まで観た。動画が終了するやいなや即立ち上がり、とうとう『悩みの箱』を持ち上げる。今しなければまた思いとどまる時が来てしまいそうなのが嫌だった。私が中学時代から書き続けていた日記帳、毎日の行動をちまちま書き綴ったスケジュール帳、旅の間に書き続けたジャーナル、思いの全てを落としたノート。捨てられずにその箱に保管したまま引っ越しの際にも自身に憑いて回った。ずっしりと重いそれを持ち上げ、箱の中から出て来た通知表や役に立たないサティフィケートの全ても中身を見ずにして大きなリサイクルビンの中に放り込んだ。そこに感じたのは『決別』だった。

映画だったらきっと、目の前に燃え盛る炎があって、そこに主人公がそれらの全てを放り込んでめらめらと燃えるそれを眺めているような心境なのだろうな、とそんなビジョンを思い浮かべてちょっと自嘲した。それくらいの『自分の過去』に対する決別感を得ていたのだった。

私はそこまでにして何に執着していたのだろう、と思う。それを捨てられないという行動の裏にあるものは何だったのだろう。

ダンボール箱の大きさと重さはそのまま私の心の負荷になっていた、と気づかされた思いだった。写真は多くの『感動』を笑顔と共に収めているけれど、大概にこれらのノートにはどろどろとした想いが綴られているのは承知のこと。そのドラマを私は捨てきれずにいたのだった。たとえ幸せな道ではなくとも、私にとってはそれが『一生懸命生きた証し』だったのかもしれない。ナルシストがやりそうなことだ。

それらをとっておいていつか読む日が来るのではないかという気持ちはあった。自身が60、70歳の暇なある日に、そんな可愛い幼い心の自身を懐かしがって読みふけるだろうというのか。今までにも決してそんなことをしようとさえしなかったのに。今後の人生のほんの数時間、そんな時が確かにあるとは思う。でも、私の魂がそのまま記録を持っているのだから、そんな瞬間は人生の体験の何かでフラッシュバックして得ることだろう。それなのに、そのメランコリックな瞬間の為に、私はこれらを保存しようとしていたのだろうかと思うと、今更のように呆れる思いさえする。

時々思う。過去の自分と今現在の自分はまるで赤の他人のようでもある、と。もちろん『オリジナル』な自分はあるけれど、過去の記憶は曖昧なもので、今現在の波動が変われば過去の思いも変わる。自身が変われば、過去のどろどろとした思いはナンセンスでしかない。そして、たとえそんな時代を懐かしむ瞬間はあっても、どんなに老いてはいても私は『今』を生きている人でありたい。そう思うと今まであった『執着』が見事に消え失せたようだった。




段階を経て、でも確実に私の『身辺整理』は加速し始める。多分に私の人生上の『意識のtipping point』が起こっているのではないかと、この段ボール箱を捨てた瞬間に予感した。

バブル時代を生き、多感な若い時にそのバブルの恩恵を受けられなかった。でも貧乏だと思っていたそれも他人との『比較』でしかない。今思えばそれでも充分に恵まれていた状態でもあるに関わらず『狂乱の時代』の『羨望』を引きずり『夢であった生活』を執念で現実化させた。でも、それをずっと欲っしている訳ではない。なかったから欲しかっただけの話だ。手に入れた途端に色あせるものがある。

モノや過去に縛られることが全て悪い訳ではない。

歴代の家柄や慣習、民族文化を守る為に、保存されるべき物は多々ある。その光栄なる立場にいる方は、どうぞ心して守って頂きたい。でも、私のような一般人の個人の心のガラクタに大した価値はない。年に一度着るか着ないかという普通の服、使われない食器、人から貰ったプレゼント、それを手放せる立場にいるのだから、そうするべきなのだろう。そう絞り込んでみれば『現在の自分』に属するものなんてほんの少しものモノしかない、ということにも気づかされる。必用ならその都度買い足せば良い。お金がない訳ではないのだから。




『ミニマリスト』という言葉が気になり始めたので調べてみると、どうやら『自分で運べる持ち物だけを所有する人』となり、自分で持ち運べない量の持ち物がある人で、一般家庭や断捨離実行中の人より荷物が少ない人の生活を『シンプルライフ』と呼ぶらしい。

そう書いて「じゃぁ、ホームレスってミニマリストだよなぁ」と思ったけれど、そこにお金があって人としての生活を維持するのに支障がない人をそう呼ぶのだろう、とまたひとりで笑った。

考えてみると普段着る服、使う食器は限られている。それなのに『来ないかもしれない機会』の為にどれだけ準備していたことか。もちろん『引き寄せの法則』で、それを所有することによって『夢である機会を引き寄せる』ということも実証してきた。でも、そこから成長した自分には、いざという機会には必用なものをさくっとゲットできる自信もある。これから自分は何処まで自分に不要なモノに気づいていけるだろう。





12/08/2014

『断捨離』で見える自分


入り江でこの葉がくるくる回っているだけのような人生の展開でもそれなりに流れがあり、それに乗っていたらいきなり滝で落ちたので驚いたけれど、今現在は展開にシンクロニシティが続くのを目の当たりにし、幸運のルートに乗ったようなそんな嬉しい予感を得ている。

『師走』の言葉に相応しく12月に突入した途端、重かった尻が動いた。あれほどまでに手をつけられなかった『断捨離』が始まったのだった。捨てるのが難しいと感じられたそれも、本の山の中にあったやましたひでこ女史の『公式ビジュアルムック 見てわかる断捨離』に遭遇し、それを読んでマインドセットを幾度となくしながら進めていった。最初は無理せずゆるく残したとしても、後ほどそこに目をやれば「やっぱりいらない」が見えてくるから面白い。

既にクルマ一杯に詰め込んだ『不要品』を慈善団体に寄付するのに運んだこと3回。まだまだいけそう。寄付してしまうのにしのびないものは、これが欲しいと思う人に使ってもらいたいのでオンラインで安く売った。そして、自分の生まれたときからの写真アルバム、海外を放浪した全ての記録があるコラージュアルバム等が詰まった重い段ボール箱をどんと捨てたときは、なんとも言えない気持ちになった。もちろん、完全に失ってしまうのはしのびないので、そういうのをへろりと苦なくやってしまえるKちゃんに頼んで、写真の全てをスキャンしてもらったからできたことだった。



『断』---  買わない、貰わない、要るモノだけ取り入れる
『捨』---  ゴミ、ガラクタを捨てる。モノを売る、寄付、リサイクル 
『離』---  執着を手放す。自分がわかり好きになる。俯瞰の視点が身に付く

そう本では説明されている。モノを買わないことはできていたけれど、捨てることはなかなかできずにいた。そして、今回「今の自分」と関係を紡いでいないモノを捨てる自分に何度も確認していきながらモノと向き合った。『思い出のもの』と『いつかまた使えそうなもの』、そこに見え隠れする『執着』。それをぬぐい去るのにもある程度の勇気はいる。断捨離は『さとり』の基本の『今ここ』に通じるものがある。過去にも未来にも囚われない今に生きるモノとの付き合い方なのだ。




以前これに近い大きな断捨離をしたのは9年くらい前かしら。『アート系のイタイおばさん』から脱出しようとして大切にしていた服や小物を思いっきりなぎ倒すように捨てたけれど、今回はクロゼットどころではなく、開かずの戸棚の奥深くまで引っ張りだしたので自分の過去と出逢いちょっと感動するところもあった。自分が誰でどこから来たのか。どんな情報にハングリーでいたのか。そしてそれらを通してどんな自身を作り上げて来たのか。おびただしい量の本を捨てることによって再確認できた次第だ。身に付いたものもあれば、気持ちだけが先走って読まないままになっていた本もあった。そして、20年前に夫と一緒になる前に捨てきれなかったモノと再度遭遇することによって、オリジナルの自身にも出逢った。そんなモノを手にすると、そこから当時の感情というかエネルギーがありありと思いだされ、そしてチャージされるような感じだった。冒険家だった自身を思い出した。




雑誌やカタログの切り抜きがプラスチックシートに差し込まれた分厚いファイルが出て来た。一時期、なりたい女性像、欲しいものをファイルしては何度も繰り返し眺めていた時期があった。すっかり忘れていたそれを再度眺めてみると『既になった自分』が重なって行く。潜在意識が作り上げる現実の凄さをそこに見たような思いだった。

そんな『成し遂げた』画像は抜き取り、そしてまだ先に続くであろう理想像を眺めてマインドセットする。特に必用と思われたイメージは写真に撮ってiPhoneの中に収めた。これからはもっと簡単にそれを目にすることができる。これまでの成果があるのだから、これからもできる。そう確信させられた瞬間だった。

『モノを捨てる=執着が取れる』ができると展開が変わることを実感した。それは『人間関係』でも同じで、前のものを断ち切ると新しい関係がすいと入ってくる。『モノと空間の状況はそのまま頭の中を表している』とあったけれど、そうだと認めざるを得ない。断捨離をし始めてからシンクロニシティが起きているのが見えてくる。




2015年、私の人生は大きくリセットされる。コンフォートゾーンを出るのはとても勇気がいるのだけれど、奇跡はその外にあるのだと信じて「えいやっ」と飛び降りるしかない。50歳の誕生日にスカイダイビングをしたことが、今現在のアクションに繋がっていることをまた垣間見た。人生って面白い。自分で作る映画のようだ。