8/11/2014

情熱と共に生きる


おもいっきり走って行ってジャンプして、湖みたいなところに飛び込んだ。そのそう高くない崖から水面に入るまでの飛行感がすっごく長くて気持ち良くって、水に入った瞬間のショックも身体にほとんど感じないくらい凄くスムースにダイブインした。水の中にいる苦しい時間は短くて、水面に浮かび上がってから後ろを振り返ったら、周りの人がびっくりするくらいの距離のところに浮かんでいた。

夢から目が覚めたときもその気持ち良さがあまりにも鮮明に残っていて、きっと今回の離婚を象徴してるのかもしれない、と勝手に思いこんでいたら、数日後の午後に急に落ちた。その落ち具合がかなり悪く「あの絶好調の予感、何?」と自分の感覚を疑うくらいで、こりゃ抗鬱剤を再度飲み始めるべきかしら?と考慮するくらいだった。そんな締め付けられるような沈んだ気持ちでベッドに入り、iPhoneをチェックしたらその午後に友人が他界したという知らせが入っていた。56歳になったばかりの突然死だった。

その渦中にいるときには、出来事がランダムにただ起きているようにしか思えない事も、振り返ってみるとそこにちゃんと伏線があったことを理解する。そして、説明のつかない『予知』があったことに、事が起こってから気づいたりする。『死』は恐怖ではない。苦しみも覚えず瞬時に抜けたであろう彼の逝きかたに「そうきたかい」という呆れまでも生まれるくらいだけど、残された者たちの『喪失』のエナジーは激しい消耗感を覚えさせる。それでも私たちは寄り添ってまんじりとしない時間を過ごし、彼を愛しんだのだというときおり沸き上がる感情に身を打たれながら、現実をまるで映画のシーンのように覚めた目で眺める『観点』に移動したりする。

人々の『生』に劇的な展開が起こる。去年の秋くらいから、まるであちこちで泡が弾けるようなそんな勢いで『人生の新しいページ』レベルの劇的な展開が起こり続けている。そして、そこには『愛』の本質が大きく関わっている。



”人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる”

映画『シェルタリングスカイ』の原作者ボウルズの最後の言葉を久々に思い出させられた。




「しょーがねぇなぁ、もう」と私たちに愛想をつかされながらも面倒みてもらっていたやんちゃ坊主のおっさんは、人生大パーティで楽しんだあげく逃げ切った、そんな印象さえ残す。目玉をぐるりと回して呆れ、ときにキレる嫁も「それでも家族だ」と最終的にはいつも笑っていた。「あんたは本当にマリア様みたいな人だね」と嫁に言い放ったのがほんの一週間前だった。そんなマリア様みたいな嫁が「後悔先に立たずよ。もっと優しくするんだった」と悔しむ。80歳くらいまで生きるのだろうと当然として思い込んでいたと。「人生いつバスにひかれて死んじゃうか解んないもの。楽しく生きなくちゃ損よ〜」そう言いつつも、不思議にも私たちは、今現在の平和は永遠に続くと錯覚する

結構以前から知り合いではいたけれど、数年前に彼らの家に泊まって、夜も更けて大人の時間になった頃に私が破廉恥になってしまったら、その後から旦那にえらい好かれるようになった。熱く生きてきた男の過去の話は本当に『クレイジー』という言葉そのもので、ちょい悪親父どころか、かなり悪いおっさんだったけど、子供みたいに可愛いところがいっぱいあった。嫁も迷惑していたのに熱く口説き落とされたらしい。情熱的なカップルで meant to be together 出逢うべくして出逢った者同士だと思わされる。




「もしかしたら、人の一生には一定のエネルギーが限られていて、それをどのように燃焼するかっていうので人生の長さが決まってるのかなと思ったりするよね。彼は熱く生きたから、もう燃え尽きちゃったのかな、と」

「そうね~、だとしたら私なんて一日が淡々となんとなく過ぎて行って、いろんなことがだんだん面倒臭くなってきて、おっさんみたく熱いのって信じられないんだけど、特に変化もないままずっとこうやって過ごしてる私みたいな人間は長生きするのかしらね〜」

追悼のまったりとした時間に、彼に散々苛つかされていた友人がぽつりと返した。

「おっさんとLって仲いいじゃない?彼女も相当なクレイジーさだよねぇ。彼ら日本で一緒に飲んでた時、店から追い出されたことあるらしいよ。私ってこうきっちりしてるから、時間に遅れたりすること嫌いなのね。彼女そういうとこ緩くって時間に凄く遅れてくるんだけど、あの彼女が私に会えて本当に嬉しいっていう満面の笑顔で現れると、もう待っててイライラしてたことなんて吹き飛んじゃうくらい幸せな気持ちにさせてもらえるのよ。なんていうのかな、彼女って凄く情熱を持って一分一秒を過ごしてるっていう感じが溢れていて、そういうのを羨ましいなぁって、思ったりするんだけど」

私も大好きなLの話が出る。テキサスの女。アメリカに来て一番最初に友達になった女性を彷彿とさせる。彼女もテキサス出身の熱い女だった。36歳で骨肉腫で亡くなった。




人の死のインパクトが再度起こる。私の離婚は最初のホスピス患者の死に揺り動かされた。そして今回のことで、私はどう人生を捉えるのだろうと再度自分の想いを探りあてる。夫は穏やかで、温和に仲のよい共同生活が営まれている今現在、それならこれを続けて行けばよいことだけなのではないかと、離婚に疑問さえ覚えそうになることもある。そして思う。離婚をした上で夫が急死したりしたら私は後悔するのだろうか?と。でも、それと同時に、自分の人生そのものもはかないものだと認識することによって『夫のために生きる』のではなく『自分の人生を生きる』ことにフォーカスすると、やっぱり『やり残し』はできないのだという自覚に行き着く



"Life is short. Live your dream and share your passion" Holstee.com



8/01/2014

愛の『触感』


「なんかな~」の体調が過ぎ、何もする気もなれずよくここまで眠れるな?と自分でも驚いていたのが、先日いきなり走りだす私がいた。エネルギーの『滞り』が溶け、回る、展開するそれを実感する。周りに優しさと笑顔が再び溢れ出してくる。これを感じ始めれば後にくるのは『絶好調』だ。その予感が嬉しい。

ここゲイの街だけあって、ドラッグクィーンが演じる『Sex and the City』のステージショーがちょっとの間だけあるのだけれど、おかまくんと出かけたその前にミッション地区にある『Ken Ken Ramen』でとても美味しいゆず塩ラーメンを食べたら初めて『ラーメンハイ』を経験した。そのままショーを観たんで、もう爆笑しっぱなし。セックスネタをこれだけ露骨にやってくれるサンフランシスコって、やっぱりもう大好き。





無理をしないように脚を労りながら、それでも5リズムに出かけて踊る私がいる。波長が合うダンス仲間と深く抱き合う。お互いほとばしる汗の中にいるのに、それを不快とも感じない。定期的にいっぱい汗をかいている人のそれはほとんど匂いもないようだ。そういう環境にいることを承知でシャワーを浴びてからやってくるのか、絡んだ男たちの髪からはシャンプーの匂いがちゃんとしていた。そういう愛しいダンス仲間には、自分が差し出すことのできる『愛のエネルギー』を惜しみなく伝える。愛する家族にするように、自然に頬にキスをし合う。

久々に『エンジェルワッシュ』があった。天使の洗礼ともいうべきものかしら、人々の輪の中に誕生月の人や癒されたい人が立ち、美しい音色の音楽と共に彼らに愛撫を与える儀式だ。私は以前される側になって、号泣してしまったことがある。

私は一人の女性の元にひざまずき、優しく足を愛撫した。キリスト教徒がイエス像の足元にするその気持ちが重なった。その女性にタッチする周りの人々の脚の林の中でそうしていたら、もう片方の足に同様にする人物が現れた。トムさんが私の手の動きにシンクロさせて愛撫を与え始めた。彼を見たら目が合ったので微笑み合い、私は自然に彼の頬にキスをした。彼も同様に返して来た。

グループに少なくとも二人の癌患者がいる。一人は何種かのウィッグを持っていて、毎回違う風貌で遊んでいる。沢山の人々からハグをしてもらい、時々踊るけれど普通は座って見ている。もう一人はニット帽を被った女性で力なくやせ細っている。エンジェルワッシュで長い間ハグを与えていたバートさんは耐えきれずにそのまま激しく泣いていた。それで彼の頬にも愛のタッチを与えた

以前日本に帰ってもいいかも、とか思ったりもしたけれど、こういうことができる日常に居ると、果たしてこんな愛情表現がない世界でちゃんと満たされることができる私なのだろうか、と疑問に思う。日本帰国のときは、実家に住んでいたからこそ家族の愛に満たされていたけれど、そうでない『普通の生活』が始まったときにどうなるのだろう?と。

「大丈夫?」

帰り際にバートさんに声をかけたら、その彼女に何が起こっているのか知ってるのかと私に尋ねてきた。

「大体の予想はつくけれど?」

ホスピスボランティアをしているので、エナジーの雰囲気で解ると告げると、バートさんはちょっと驚いたと同時に何か納得するような表情を見せた。その彼女はステージ4の脳腫瘍があるのだと言う。もう尽くす手はないのか、回復の救いはあるのかと尋ねたけれど、そこまでは知らないそうだ。

All she needs is LOVE

センシティヴで優しい人なんだなと思いつつ、そう告げながら再度彼を抱きしめた。ボランティアをする以前の私もそんな感じだったかもしれない。多分に死に直面する本人よりも、死を怖れる周りの人間の方が苦しみを感じている。そんなことをホスピスで学んだ。




相変わらず、ホスピスボランティアでは96歳のHを訪ねている。「あと数週間だと思うわ」と毎回言いつつ、本人はもういい加減逝きたいのだけれど、まだしつこく生きているよ、と呆れ返っている。彼女には痛みはない。その状態でも一人暮らしを普通にしている。近所の人々が毎日様子を見に来るらしい。ただ凄く疲れているから沢山眠るのだそうだ。訪問の度に、私たちは愛に満ちた素敵な時間を過ごしている。私に起こっている全てのことを報告している。

「私も最近不思議に眠ってばかりいたわ。夢を本当に沢山見るの結構目が覚めてからも覚えているの。夢もひとつの『経験』よね。つじつまが合わなくっても、別に平然としていられるもうひとつの世界」
「えぇ、私も夢を沢山見るわ。覚えているわよ」
「ねぇ、After lifeってあんな感じだと思うんだけど」
Oh Honey、オフコース、その通りよ」

Hは笑う。きっと彼女は眠っているうちに気持ち良く逝けることはよく解っている。レイキを施しながら彼女の息を確認する。逝きたいのなら今逝っても構わない、とさえ思う。死は私にとってもう怖れるものではなくなった。『全ては彼女の望むままに』と祈る。そう、彼女がもっと生きていられるように、などとは思わない。他人の人生をこうして欲しいなんて宇宙にお願いすることなんておこがましい。全ての望みは『彼女の望む、起こり得る最高のことが起こりますように』とそれだけ。

そして、私自身にも祈っている。

『何が欲しい』とか『何処に行きたい』とかエゴに頼らずして私にとってベストなこと導かれますように』と。

今日も別れ際に深い深い抱擁を交わし合う。彼女の身体は細く頼りない。自然に頬にキスをし合う。私はありのままでベストな私で居る。次に彼女に会うことがないかもしれなくても、後悔がないように。