1/27/2015

亀と泳ぐ朝


カネオヘの港の水際で足を使うポンプで空気をカヤックに送り込む日系三世のヒガシさんを眺めながら、その向こうの駐車場に辿り着いた巨大な観光バスに眼を向けた。そこからぞろぞろと降りてくるのは若い日本人観光客で、その人数といったら「まだ降りて来るの?」と眼が丸くなるくらい。そしてまた暫くすると同じ色の巨大観光バスがやってくる。彼らは前方にある大きな観光ボートでサンドバーに向かうツアー団体だった。

「足を使うからSUPよりは楽なんだよ」

数日前、ヒガシさんはStand Up Puddling Boatを同様に膨らませていたけれど、そっちはまるで昔の自転車の空気入れのように手でパンプアップしていた。ゲージがついていて適正な圧力の数字に届く頃は結構キツそうだった。カヤック同様、SUPも空気を抜いてしまって丸めれば、彼のBMWにコンパクトに積める。そのどちらもまるで新品のように綺麗だし、彼のBMWもまだ新車の匂いがしていた。電気で走るそのクルマはまだ買ってから4ヶ月しか経ってないという。

「ハードシェルのカヤックはとても早いけれど、僕には必要ない。のんびり運動がてらに使うだけだから、インフレータブルで充分さ。車庫のスペースも取らないし結構気に入っているんだ」

空気を入れたり洗ったりするのが面倒ではないのかとも思うけれど、その手間を気にする事もなく毎日使っているらしいので、きっとマメな人なのだと思う。もっともBMWのエレクトリックカーには、まだクルマの上につけるキャリアーが販売されていないのだそうだ。

「娘も結婚して父親の役目も終わったし、今は半分リタイアメントの気分で自分の為に贅沢しようと思ってね。仕事も楽だし、人生楽しいよ」

そう笑う59歳の独身男はお腹もでていなく年齢を感じさせない若さだ。どことなく実家の義兄を彷彿とさせる親しみやすさがある。政府の仕事を夜のシフトで働いているらしく、毎日午前中にSUPやカヤックで運動するのだそうだ。SUPを経験してみたいとの私の要望にさらりと紳士的に応えてくれ、会ってみたらとても居心地が良い男だった。

アラモアナビーチは初心者には最高な場所だけれど、その日はMartin Luther King Jr. Dayのパレードがあり、駐車するスペースがまったくなかった。それに気づかなかった彼は申し訳なさそうなバツの悪い言葉を発していたけれど、目の前を歩いていたおじさんが直ぐそこのクルマを出すからそこに停めるといいと声をかけてくれた。それでトラブルなくSUPを楽しむことができ、やっぱり私のパーキング運の良さはハワイでも効果あるのだと納得した。

「ヨガをやってるならバランスが良いだろうからきっと簡単にできると思うよ」

そう彼から指示を受けてやってみたら本当に容易くできた。アラモアナのビーチの端から端までをこいでいる間、ヒガシさんは私を遠目に確認しながらビーチを歩いてくれていた。その後は二人でSUPに乗りヒガシさんが前に座りこいでくれていたが、その時に彼がカヤックも持っていることを知った。それでサンドバーにカヤックで行くことができるツアーを以前見たことがある私がその希望を告げると、数日後いとも簡単にまた早朝に迎えに来てくれたという訳だった。




「まるで何年もやってる人のように上手く漕ぐなぁ」

そうヒガシさんは言ってくれたけれど、私は直に手首が痛くなって漕ぐのを止めてしまう。その後ろで彼が楽勝で力強くカヤックを進めてくれた。遠く白く光るサンドバーまでは約30分ほどの道のりだ。浅瀬はまるで透明なゼラチンの和菓子のように海底が見えるその美しさに感動した。光眩しい青い海に緑にそびえるウインドワードの山は本当に素晴らしい。

「この島で生まれて育つと、時々それが当たり前になって気がつかなくなってしまう。でも外から来た人が感動するのを目の前にすると、自分も改めてこの島の美しさに気づくんだよ。だから、こうやって君と一緒に楽しめるのはありがたいことなんだ」




大きなボートが到着する場所からかなり離れて、ヒガシさんはサンドバーの端に突起している鉄柱にカヤックの紐をくくりつけた。どうやらその目的でこの鉄柱はあるらしい。注意深く水中に降りてみる。こんな沖あいなのに、そこは膝くらいの白い砂の浅瀬だ。水の波紋がカーブを伴った編み目のグリットを作り、その影が砂に映って揺れ幻想的な空間を作っている。恐ろしく眩しい。

「娘のスノーケリングとフィンを持って来たけれど、君と同じくらいの背格好だからきっとフィットすると思うよ」

確かにヒガシさんの言う通りで、マスクも顔に吸い付いたしフィンの大きさもぴったりだった。彼の助言に従って、サンドバーのふちの珊瑚礁の段に沿って泳ぎだした。スノーケリングを経験するのは2011年のタイのプーケットはピーピーアイランドのツアーに参加した以来だったけれど、特に違和感は感じなかった。

冷えと日焼けを懸念して、ジムパンツと長袖のTシャツ、そしてキャップを反対側に被って泳いでみたけれど、それで正解だったように思える。水の中は竜宮城とまではいかないけれど、綺麗な色の魚たちの群れには出会えたし、途中の珊瑚の階段にうずくまっている大きな亀を発見した。戻ってくるときにはタコが泳いでいるのに気づいたが、珊瑚の壁に張り付いた途端その姿を見失うくらい同化していたのには感心した。

サンドバーに戻って来た時には立ち上がるのに苦労したけれど、壮快な気分だった。

「亀がいたなぁ?わかった?タコが泳いでいるのを見れたのはラッキーだ」

ハワイ生まれ育ちのヒガシさんなのに、素直に感動していた。その笑顔を見て初めて彼から男性の魅力を感じた。首からはGoProのカメラを下げていて、私のショットを撮ってくれた。解放感の中でしばし周りの風景を楽しみながら休憩する。遠くでは大型ボートから降りて来た日本人の団体ツアーの若者達がぞろぞろとサンドバーの中心に向かって歩き出し、思い思いのポーズで写真を撮っている。

「ここにきてスノーケリングをしないなんて、彼らは何を見損なっているのか気づいていないよ」
「うん、でも、写真を撮ることが彼らには大切なことなのよ」

そう笑って私は再度スノーケリングを開始した。




先ほど発見した亀のところに戻ってみたら、顔を突っ込んで寝ていた亀が起きていた。首をこちらの方に伸ばしている。まだ起きたばかりという感じで眠そうな顔をしていた。そしてこちらをじっと見つめたまま、なにか呟いているかのように口を尖らせるように動かしている。その可愛らしさに思わずちびってしまいそうな私だった。

亀はずっと私を見ていた。お互いかなり長い間見つめ合っていた感じがする。そして、亀がゆっくり動き出すのを見守った。そして身体に衝撃が走った。嘘だろ?と思ったけれど、間違いなく亀は私の方向に真っ正面から泳いで近づいて来るのだった。信じられない感動で、私は両手をまっすぐに亀の方向に伸ばした。ゆっくりと泳いで来た亀はすぐ目の前で停止し、そしてそのまままた私たちはしばし見つめ合った。どうなるのだろうと思ったら、亀がゆっくり左手側に旋回する。そして海面で息継ぎをするかのような行動をしたら、再度私の方に旋回し、胸元めざして泳いで来た。亀は完全に私の腕の届く範囲に位置していた。

野生の亀に触れては行けないということは承知だったのだけれど、私の直ぐ目の前いる亀の甲羅にそっと指先でふれてみた。亀が感じることはないのだろうけれど、圧力を加えずただそっと手を添えた程度だ。

そこからまた旋回して泳いでいく亀に寄り添って泳いだ。何度も亀は私の方向に旋回してその顔を正面に見た。その度に自分の身体の直ぐ下を通り過ぎる亀の甲羅に触れることができた。私は亀が私と泳ぐことを意図的に楽しんでいることを直感した。夢のようだった。

暫く亀と戯れていたけれど、ついに亀はもう充分だというように深い海の底に向かって泳ぎだし視界から消えて行った。私も満足してサンドバーに戻る。




「見た?!見た?!」
「見たよ。ちゃんと写真に収めたよ。凄いなぁ、あいつまっすぐ君に向かって泳ぎだすものな。僕じゃなくて君に向かったんだよ。きっと、動物的な勘で君がいい人だってわかったんだろうなぁ。わぁ、なんて朝だ。最高だよ!」

ハワイ生まれ育ちのヒガシさんでさえ、こんな経験を目の前にしたのは初めてだと言う。私は興奮して笑いながらも、それが途中で感動の泣きに変わった。












1/16/2015

ヨガ道、最初の辛さ


ベイエリアの自宅で変化のない毎日を送っていると一週間なんてあっという間なのに、ここオアフに来てからの日々はゆっくりと過ぎている。やっと一月も半ばに辿り着いたかという感じだ。

今までの長旅の経過では、お決まりのように8日目に疲労感が募ってクラッシュする。NYでもブエノスアイレスでも、その頃になると首や肩がばんばんに張って眼がくぼむようなげっそりとした顔つきになっていた。今回のオアフでも同様、9日目の朝に起きることができなかったし、部屋の外のノイズに再度酷く苛立たされた。そしてその極限の疲労感は3日程続いた。この山を越えたら普通に戻るのかといぶかしんだけれど、とにかく私の旅は永遠と続くのだからしてタフにならざるを得ないだろう。

そんな時、ふと時間が空いたのでカハラシアターで映画を見てみた。『Wild』がなんだかとても気になったから。主人公の気持ちがどことなく遠い自分と重なった。







3時間半のヨガクラスが週に5日。これ以上荷物を増やしたくないのにとうんざりさせられるほどに重たい本が4冊。宿題のリーディングの量は結構なプレッシャーだ。何気にサインアップしてしまったヨガティーチャーズコースは甘くなかった。

「私週に5日もヨガのクラス取るなんて人生初めてよ」

そう隣に座る生徒にこぼしてみれば、彼女も同様だと眼を丸くする。それほどの熟練者でなくても認められるコースに集まっているのは、年齢も様々だけれど結構綺麗な白人女性が多い。




ヨガのクラスは身体がなまっていたり腰が痛くなった時にたまに取る程度だったから、特にその背景を気にしたことがないし、オームを唱えることはあってもサンスクリットのチャンティングをする先生に当たるというのは過去に一度あったくらいだった。だから講義が始まった途端に、サンスクリットのヨガのポーズの名前や、ヨガの歴史、アユールベーダの知識の膨大な量に頭が真っ白になるような思いがした。ヨガというものは、あのポーズを取るエクササイズそのものだと思っていたのに、それはヨガのほんの一部であり、「インドではヨガを実践してもポーズをとることをまったくしない人も多い」と聞くと「はぁ?」と思わされるくらい、それほど私のヨガ知識は皆無だった。

そういえば自分はインドはリシケシでヨガアシュラムのゲストハウスに泊まり、真っ暗な早朝から瞑想やヨガをしたことがあったのだと今更のように気づいた。でも、それはあくまでも『インドで経験をする』程度の甘っちょろいもので、3日ほどで飽きて午後の瞑想にも出ずに買い物三昧していた。

ヨガの先生になるのを目指すという目的ではなく、老いて行く身体を健康に保つ為にと始めた最初の一歩なので、気負わずに『とりあえずそこに居る』という感じでいくことを自分に課している。覗いてみれば、ヨガの世界は余りにも広くて深い。まるで広く大きな湖の岸で、ちょろっと足を水につけているようなものだろう。200時間のティーチャーズコースなんて、多分に膝下くらいまで水に浸かる程度のものなのだと思う。そこから先、どっちの方向に泳いでいくと覚悟する生徒がどれだけいるかも計り知れない。




アサナ(ヨガのポーズ)の細かい指導を受けられる時は良いのだけれど、それに続く床の上での講義が辛い。どう座ろうが腰が痛くなってしまい座骨神経痛がうずく。それでも『ヨガスートラ』の講義の中で、時々心のベルが鳴ることがある。自分が惹かれるものを感じでランダムに重ねて来た『経験』がヨガスートラの中に垣間見れると、やっぱりこのタイミングで今ヨガを学ぶときなのかなとシンクロを感じずにはいられない。3ヶ月の間に繰り返し先生が種を私たちの脳に埋め込んでいくだろう。そこから芽が出て育つものがあれば、それに越したことはない。

とりあえず、この温かな気候の中で日の出と共に目覚め身体をストレッチできる機会に恵まれている、それだけでもありがたいこと。クルマの騒音には辟易しているけれど、自分もバスを使わずクルマを運転しているのだから文句はいえない。そして、やっぱりここの自然の美しさとエネルギーには感動する。先日行ったマカプウのエナジーはそれは凄かったもの。


マカプウにあるヘイアウ





1/09/2015

『おひとりさま』の幸福感


元旦にオアフ入りして翌日からヨガコースが4日連続で続いたので、やっと一日フリーの日がとれたのが火曜日だった。朝起きてすぐ「クアロア牧場で乗馬をしよう」と思い立ち、出かけた。夏にこの地域をドライブしたときに、山のエナジーの凄さに感動したにも関わらず素通りしてしまったので、今回一番先に戻りたい場所となっていた。

どうやら私は『山女』らしい。ウインドワード目指して63番の山道を走り始めた頃から異常な興奮を覚えていた。やっぱりこの島の山に呼ばれて戻って来た、という感が強い。

クアロア牧場に着いて乗馬を申し込んだ後、敷地をぶらぶらして静かな場所を選び、山に向かって立ったまま瞑想をした。背中側は海。言葉にしにくいけれど、この辺のエナジーは相当に高い

私の前のグループは結構混んでいたけれど、12時のグループは私を含めたったの5人だった。インストラクターが気を良くして結構おしゃべりしてくれた。彼女は秋にサンフランシスコを訪れたばかりだと言う。

「あなた、一人でここに島に来たの? 牧場に一人でやってきたの??」

殆どの日本人がツアーで訪れるので、私のたった一人の参加に驚いた反応を見せた。

「そうね、確かに一人旅の方が便利よね。人に気をつかったり人待ちの時間のロスもないし。旅の道連れと喧嘩したりとかあるものね」

乗馬で山を登り、美しい風景を見た。笑みが止まらない。思い立ったが吉日。したい日にしたいことができる爽快感があった




初日にAlamoレンタカーで申し込んでいたクルマを見たら、ミッドサイズのグレーのおっさん臭いアメ車だったのでちょっとがっかりした。まぁ、3ヶ月借り続けるのでエコノミーを選んだからしかたのないことだけれど、運転してみたらふんわふんわとした乗り心地で悪くない。MINIを運転していたチャーが「ハワイの道路状況が悪いので、もうMINIを卒業しようと思う」と言っていたのを思い出した。

夫と暮らしていたときは、自分一人でレンタカーをゲットするなんてことしたことがなかったので、前回のオアフステイに続き、島をドライブすることはかなりのエキサイティングなイベントだ。ヨガのクラスがある日は、ダイヤモンドヘッドの麓やカハラモールあたりを移動するくらいだけれど、その行為にあまりベイエリアの生活からの違和感を感じることはない。郊外のほどほどの田舎具合が心地よい。でも、私は確かにハワイで生活している。




クアロア牧場に出かける前にカイムキのダウンタウンでパンケーキを食べたけれど、のんびりしたローカル感がまた良かった。そこでなんとなくデジャブーみたいなのを感じた。

この冬から私は『おひとりさま』を楽しみ始めている。暮れに鍼に出かけたら先生がある映画を勧めてくれたので、治療を終えてすぐに時間をチェックし、丁度良いタイミングで『Big Hero 6』をがらがらの映画館で見た。お腹が空いていたけどポップコーンでごまかし、その後近所でラーメンを食べた。夕食の混雑の前でほどほどに空いていて、その後人気の少ない夜のSan Mateoのダウンタウンを歩いているとき、何故かしら『至福感』を覚えた。

その至福感は、夏のハワイで借りた部屋のオーナーの犬と共にカハラの住宅街を散歩したときと、チャイナタウンをひとりぶらついたときにも同様に感じていた。そして、更に時を遡ってみれば、1987年のサンフランシスコで貧乏遊学生をしていたとき、夕暮れの路線バスの中で至福感で気が遠くなりかけたことを鮮明にを覚えている。そしてバックパックでの一人旅で地球を一周したときはこの感覚の連続だった。どうやら自立した自分が自由を満喫し、探索しているときにその『ハイ』を得るらしい




夫と暮らしているときには、一人で映画を見に行くということは滅多にないことであったし、ましてや友人が沢山いたから一人で外食という機会も少なかった。女一人で外食というのも侘しいと思っていたけれど、今現在はまったくそんな感じがしない。『旅先』で生活するように過ごすということが『ひとりの楽しみ』を倍増させているのだと思うのだけれど。

でも、観光客うじゃうじゃという場所だとそれを辛く感じる。

クアロア牧場の後カフクで食べたガーリックシュリンプを思い出し、とても食べたくなって迷いつつも遠くまで北上する時間を考えて断念した。それでホノルルでゲットしてみたのだけれど、店がアラモアナ付近で道路が酷く混雑していて辟易した。やっぱり私はこの辺は向かないみたい。

ずっと一人が続いていたらそのうち寂しさを覚えるのかもしれないけれど、今は嫌になるまでこの自立を楽しみ尽くしていこうと思う。

女50も過ぎると、他人を異常に気にしたり、自意識過剰になったりすることの無駄を理解するのだと思う。



クアロア牧場

クアロアパークから見る山。エナジーを感じますか?

パークからはモコリイ島が見える

帰り道に62沿いにあるQueen Emma Summer Placeを訪れる

Kau Kau Grillのガーリックシュリンプ
美味しかったけれど、殻つきでちょっと食べにくい

1/06/2015

ハワイの部屋探し


20年前にアメリカに引っ越して来たときは、夫を頼って来たので一人暮らしをしていたことはない。部屋探しということもしたことはない。

こちらで部屋を探す場合、多くの人々がCraig's listを利用している。私はそれに合わせて『びびなび』やAirbnbでサーチしていたけれど、現地にいない状態で部屋を決めるというのは非情に困難だということに気づかされた。部屋や大家、ルームメイトに直接会えないのは不安だけど、相手にとっても面接もできない人など完全にスルーで、返事さえしようとしない人が多い。ましてやたった一ヶ月だけのレントとなったらなおさらで、そんな感じで焦燥感は募る一方だった。

こちらからのアプローチが無理なら、自分からポスティングを載せてみようと気づき、自分を表現してみたらその日のうちにさくっとメールをよこしてきた人がいた。早速テキストでやりとりしたものの、質問の返事がこなかったりなんともらちがあかない。電話で話してしてもなんだか凄く面倒くさがりでおおざっぱな印象のオーナーだった。

とりあえず、住所と本人のフルネームが解っているので、ネットでリサーチしてみれば大体のことが把握できる。

「デポジット?いいよ。とにかく来なよ。一週間居て、嫌だったらその間に他の部屋をさがせばいいし」

写真から見るところでは条件が良過ぎて「大丈夫かよ?」といぶかしんでしまうのだけれど、多分に日本人だというところで信用されているのだと思う。とりあえずそれをバックアップにしておいて住居探しは進めていた。でも、他のところとやりとりをしても、この彼のところと比較してみると雲泥の差という気がしてしまう。ハワイの家は古い建物が多く、バケーションレンタルならともかく普通の家の間借りのレベルだと、写真を見て気持ちが沈んでしまうことが続いた。




最初にビジョンがあった。離婚をして一人暮らしを始めるときは、環境の変化のストレスを避けるためになるべく似たような住宅街の大きな家の部屋を借りて生活すると。だから、8月の2週間滞在でそれを確認してみたけれど、ハワイの住宅事情を知って甘かったかな、と思わされたのは事実だった。いずれはそうすることもできるかもしれないが、今はまだ2bedroomのアパートやコンドミニアムの部屋をシェアというのは乗り気ではなかった。

あまりお互いに連絡をとることもないまま、クリスマス前に「来るんだよね?」という確認のテキストが入り「そうよ」という感じで現地に着いた。フランス系の名前のオーナーと、予測通りで日本人の奥さんがいて、丁度彼らはガラージにいて部屋を間借りしている人と正月ののんびりした時間を過ごしている時だった。オーナー家族は別の入り口から入る更に上の階に住んでいるとのことだった。

「あぁ、あのオーシャンビューの角部屋に入るのかい?いいね」

今後半年分の荷物が詰まった重いスーツケースをハンサムな男性が軽々しく持ち上げ部屋まで運んでくれた。

5bedroom 2 full bathのそのフロアのスペースは広がりがあり明るかった。キッチンは思った程の最新の美しさではなかったけれど、アイランドに調理ストーブがあり使いやすそうだ。リビングもフレンチテイストでインテリアは好感度大。バスルームは踊れるくらい広い。

私が住む部屋に、バンブーの支柱がついて白い布が垂れている『王様のベッド』があったのにちょっと驚いた。そして一番重要なマットレスも私の背中に具合のよいふかふかさだったのに感動した。キングサイズのベッドがどーんとあるのにも関わらず、充分なスペースがまだある。他の4人でキッチンの冷蔵庫が一杯になっているので、私専用の小さな冷蔵庫が部屋に運び込まれた。東と南の壁は全面ハワイ特有のパネルが斜めになるジャロジー窓で、天窓まで二つついているとても明るい部屋だ。中古の家具で全体的にrasticというイメージでまとまっている。家具も私の家のテイストに近い。

突然飛行機のような音がしたので驚いた。なんと路線バスが目の前の道路を通っているのでその騒音だったのだ。家は高台の急勾配の坂の途中にあり、その前を通るクルマやモペットが馬力をかけて登るので、その音が異常に気になり初日の夜はなかなか眠れなかった。ベイエリアの家は無音に近い環境だったので、それがとても辛く感じられた。多分このまま住むことはできないのではないかと思われたくらいだった。




角部屋の外に視界を遮るものはないのでカーテンもついていない異常なほどの解放感。東の窓下には隣家の屋根しかなく前方まっすぐ前に水平線と小さな椰子の木の陰が見える。左手遠くにココヘッドと半島が見え、南の窓の前はKCCのキャンパス駐車場で広々としており、その向こうにはダイヤモンドヘッドが大きく広がっている。

「他の家を全部見たさ。俺のところがベストだ」

そうオーナーが言ったけれど、そうとも言えると思えてきた。4日目にクルマの騒音が確かに耳に聞こえているのに、それが神経を苛立たせなくなっていることにも気づいた。『慣れ』って凄いなって思う

朝7時11分。目覚めて何気に外を見ると、水平線から太陽が顔を出し始めたところだった。日の出のスピードは早い。朝日のまばゆい光は、じっと見つめていると太陽はその輪部を失いブルーとピンクの光を放つ。

「あぁ、人々はこれを見る為にダイヤモンドヘッドに早朝登っているんだな」

そう思ったら、なんだか可笑しくなってきた。もしかしたら、私ってめちゃラッキー?そういえば、夏のカハラハウスで悩まされていた蚊にもゴキブリにもまだ遭遇していない。ただ単に冬だからということかしら。




最初の一週間が勝負かも、と思って他の部屋を2件見てみたものの、同じ値段でげぇっとうんざりしてしまう環境だった。そしてその2件とも主要道路沿いでやっぱりクルマの音は聞こえていた。ホノルルだったらどこに行ってもそんなものかもしれない。

「It will grow on you」

英語でそういう表現がある。最初に「えぇ〜」って気に入らなくても次第にそれが好きになってくるよ、というときに使われる表現だけれど、日本的に言ったら「住めば都」なのかな。多分に、1月はこの部屋に落ち着くことになると思う。ノイズのことは考えてもみなかったけれど、ビジュアル的には考えていた生活そのものには違いがない。





東の窓から見えるサンライズ