7/30/2014

愛のエネルギーの展開


弁護士との打ち合わせにオフィスに15分程早く着き、待合室で待っていたら前のアポのカップルの言い争いが外まで聞こえて来た。言い争いというより、奥さんが一方的にヒステリックに声を荒げているという感じ。弁護士が穏やかにそれを治め、時間きっかりにカップルがドアからでてきたけれど、二人ともTシャツ姿に短パンというとてもラフな姿なのが意外に思えた。高級住宅街の美しいオフィスだし映画の弁護士との話し合いのシーンでクライアントがきちんとしているのを見ているので、それなりの格好をしていっている私だけれど、やっぱりカリフォルニアなんだな、と思わされた。

生活費についての2度目の話し合いは驚く程スムースに事が運び、弁護士のその日最後のクライアントだし2時間を少し延長してでも先を続けて区切りをつけようということで、金銭的な合意のケリがついた。離婚の話がでたときには「遺産を半分にするだけで充分だから生活費を払うつもりがない」と言った夫が弁護士の提案による数字に割と素直に従っていた。

私たちは本当に安心して穏やかな気持ちでこの弁護士に委ねている。まるで青年がそのまま大人になっているような、信じられないくらいにスマートで温かな人を目の前にして、こんな人がいるんだな、と感心した。それには夫も同様な気持ちを得ているようで、彼の中にあった『弁護士』のイメージをくつがえしたらしい。

「悔しいから、ちょっとだけ抵抗してみるかな」

そう笑いながら数字を少し変えた夫だけれど、私は与えられる額が充分過ぎる程だと知っているのでそれに笑い返しただけだった。

「なに、最近のお前は随分良くしてくれているしな…」

夫がそう声にならないかのような小さな声で呟いたのを聞き逃さなかった。




そういえば夫に対して『意地悪な気持ち』というものを最近全く持っていない自身に気づいた。感情に任せて不必要な出費を避けたいという気持ちが強かったし、直ぐに出て行かずに同じ屋根の下に住むのなら気持ち良く生活をしたい。下手に感情をこじらせてお金の話になったときに不必要に揉めるのも嫌というのもお互いの中にあるのだと思う。だから、未来を受け入れお互いを尊重し合えるレベルに落ちついたときには、もうネガティヴな感情もそう浮き上がることもないのだった。

「はい、これでストレスフルな時間から解放されますよ。お疲れさま」

会計を済ませてそう弁護士が言ったが、「とんでもありません。とても気持ちのよい時間を過ごせて感謝しています」と笑顔で応えることができた。これで精神的な『離婚の峠』は越したようなものだ。

『ものは取りよう』と言うけれど、離婚の問題を前にして財産管理に向き合う機会ができたことはもしかしたら良いことだったのかもしれない。夫も私もそこにそれがあることは承知でも、細かいことまで管理していなかったし、私にしてみれば『知らないことだらけ』で、実際に夫に何かあったときの処理のことを思ったらぞっとするような思いを抱えているにも関わらず、ずっと現実逃避をしていた。夫もいずれはリタイアする日があるだろうに、そういう生活の『想定』さえもまったくしていなかった。だから、今ここでいろいろな書類と数字に向き合うということは、結果的には見えないものをクリアにして『知っている』安心感を得られたということにもなる。

「こんなことがあっていいのだろうか…?」

夫と別れて帰路につくクルマの中で不思議な感覚に襲われた。自分が持っていた離婚のイメージと遥かに違った過程を経験しながら、愛が回っていることに気づいた。英語の表現で言うと『it just feels "right"』ーーースピチリュアル的に言えば『愛のエネルギーによる展開』というのは、こういうものをいうのかもしれない。




サンフランシスコ市内に出て信号待ちでストップしたときにホームレスがいたら、財布にある1ドル札数枚を手渡すことは今は普通にしていること。そのときに声をかけることも忘れない。それで「あ、これでパーキングが簡単に見つかるな♪」と嬉しい気持ちになる。

『pay forward』ーーーそういう機会に出逢うことは、目の前に神社があったようなものだ。これはマザーテレサの言葉だったのかしら、『彼らは神様が変装した姿』かもしれないのだから。

ある人々は言う。「彼らにお金をあげても、結局は酒やドラックに費やすのだから、あげるだけ無駄」「募金だってどこに行くのか解らないし、胡散臭い」

確かにそれには一理あるけれど、でも何千、何万円という募金をするならともかく、ほんの小銭を差し出す事は、その『結果』に意味があるのではなく、その『行為』そのものに意味があるのだと思う。そういう心の中に湧いた『愛』は自分で感じるものであり、それは自分の中にある愛を感じる『機会』そのものでしかない。だから、お金を差し出したその行為と気持ちが発生したらそこで完了するあとは宇宙がそのエネルギーを『回す』ことに委ねるだけだ。

お金を無心する人を見て、どう感じるか。その瞬間にも『宇宙の法則』は働いているだろう。

もちろん「後で良い事があるようにそうする」というのも『小賢しい考え』のひとつでもあるのだけれど、始まりはそれでいいと思う。それを習慣にしていくことで世界が変わって行くのを実感できたら、それこそ素晴らしいこと。それは他の誰に強制したり、または偉そうにシェアするものでもなく、その個人にしか実感できないものかもしれないけれど。




Facebookを止めてから暫くなるけれど、それだからこそ友人との個人的なテキストでの会話は増えた。ブログを読まない友人にもメールで近況を報告している。その度に正直な自分の気持ちが文字として目の前に現れる。多分に愛を与えているからだろうけれど、沢山の愛が返ってくる。

『雅ちゃんがいろいろと考えていることが、温かさを持って実現しますように。
雅ちゃん、これからもいっぱいいっぱ〜い素敵な夢を持ってね』

そんな手書きの『手紙』が届いたりする。

私も雅姐が新しい人生でいっぱい幸せになるのを願ってるから!いっぱい愛してるよ』

と、やんちゃな友人からメールが届く。

その昔永遠とどろどろとしたエネルギーを垂れ流しにしていたような長女姉が、私のなりゆきに安心しつつ、最近の疾患をきっかけにして家族の優しさをひしひしと感じていると、これまた愛に満ちたメールを頻繁に送ってくるのには、本当に温かいものを感じる。

思えば私の世界が変化したのも、実家に戻って家族の愛に包まれて生活したところから始まったのだった。日本の家族が愛に満ちた生活をしていると知るのが、実は私にとって一番のパワーになるのかもしれない。




7/25/2014

ぼちぼち離婚


「やっと5リズムにいける!!!」

そう思って月曜日に準備をしていたときの私は、まさしく『魂のワクワク』だった。「バシャールのいうワクワクはここかなぁ、ここなんだなぁ、きっと」と思いその場に駆けつけたにもかかわらず、なんとウエーブの途中『カオス』の音楽に辿り着く前に目眩を感じて撃沈。会場の端の方に仰向けに横たわり自身にレイキをかけながらも、驚く程長く長〜くなる呼吸に「もしかしたらこのまま出てしまう?」という不安を一瞬覚えたくらいだった。ヨガのインストラクターがするように、誰かが私の肩を押してくれて第三の眼に指を当ててくれたが、目を開ける力も無くただ手を合わせただけだった。一体誰がしてくれたのだろう?

脚の手術をしてから動かなくなったのが祟ったのか、体調を崩している。一日30分のウォーキングもずっとサボりがちで、眠くてだるくてやることが先送りになっている「なんかな〜」の状態。『停滞期』を感じるまではいかないけれど、ブログに書くこともないというか書く気にならないというか。でも、そんなだらだらの生活の中でも好きなだけ布団の中ににいられる自由さに幸せを感じている。

それでも私のアンテナは『本質が見え始めている時期』を察知しているかな。自分の思考の変化や身の回りの人に起こっている事件などから、何度もそう思わされている最近だ。




特に急ぐ訳でもないし、なんだか訳の解らない書類を揃えるのが面倒臭くて先送りにしていたけれど、昨日やっと早起きをしてコートに出向きアメリカでいう離婚届けの第一歩を踏みだした。来年の税金の申告をジョイントでしたいという都合でファイリングを7月まで待っていたのもある。

『file the divorce』ーーーアメリカ映画で良く聞くこの言葉を自分がするとは夢にも思っていなかった。必用書類を揃えて435ドル払って『離婚をしたい』という片方からの意思表明をするもの。アメリカでの離婚の法律は州によって違うのでなんともいえないけれど、カリフォルニアの法律では片方がこれで離婚の意思表示を示せば、どちらの落ち度とか理由に関わらず嫌でも財産半分この離婚が成立する。これで夫との財産分与がもめなければ、暮れまでには離婚が成立するような感じだ。

机の上にあるありとあらゆる大きさのはんこを何枚もの書類にざくんさくんと押して行く窓口のおばさんは「今日一番の離婚書類ね♪」と嬉しそうに呟いた。結婚した二人に一人はこれを経験するなら、特にドラマということでもないのだろうな。

早起きをしたお陰で、パーキングの制限一時間内に処理が済んだ。窓口を離れたときには後方に長い列が出来ていた。弁護士っぽい雰囲気の人が多かった。




先日弁護士のオフィスで夫と待ち合わせして、生活費の相談に入った時にはやっぱり少し緊張するものの、夫の出方を待っているという感じだ。

「これは義務ではないのですが、旦那さんの過去二年の年収からカウンティの計算法に基づいた方法で奥さんへの生活費を計算するとこれだけになります」

そう弁護士が見せてくれた数字を見て「♪」という気持ちになった。2月の頃、何も解らずに自分の中だけで不安だけを募らせて病気になっていたのが嘘のようだ。夫は自分が考えていた金額よりも遥かに上回っているそれを見てかなり動揺していた。

「奥さんはどうしたいですか?」

という弁護士の問いにも「さぁ、一番の目的はお互いにストレスにならない離婚を成立させたいんで…」と、チラと夫を見るだけののんびりした私。お金に関しては争ったり奪うものではなく、自身に見合う額を『差し出されたい』と考えるのは甘いのかしら

「なんともまぁ、崇高なお考えですねぇ」と呆れたように弁護士が言い「じゃぁ、どれだけ必用かをちゃんと書き出してきてください」と宿題を出された。今まで生活費を全くとして見つめずに生きて来た自分を意識させられた。それもまたラッキーな生活だったのだ。

それでも夫のちょっとした感情の乱れを目の前にするのはやっぱりストレスを感じる。オフィスを出て「では家で」と別れたものの、私の身体は小刻みに震えていた。そのときに感じたのは「ホームテイストを感じたい」だった。病気のときもそうだけれど、こういうストレスを感じる状態になって一番落ち着くのが『日本の味』なのだ。ラーメンを食べたかったけれど、中途半端な時間だったので開いてる店がなく、仕方がないのでアンデルセンベーカリーでプリンアラモードを食べて気持ちを落ち着かせた。

暫くして家に帰ったら、夫はもう普通になっていて、特に機嫌が悪いとかぎこちないとかそんな雰囲気でもない。生活はまったく変わっていない。ただ離婚するという未来があり、お互いに男女としての期待がないだけ気は楽だ。こういう『ぼちぼち離婚』というのもあるんだな、って自分でも感心するくらい。




20代の前半や30代前半のOL時代の貧乏生活のトラウマがあった。トラウマと言っても今思えばそう大したことないレベルに過ぎないとは思うけど、それでも当時の自分にとっては周りの同年代が激しく羨ましかった。お小遣いとして使えるお金がほぼ無かったので、夢というか『切望』は『欲しい物が欲しい時に普通に買える金銭的余裕のある生活』だったし、実際それは実現した。それどころか、その後の自己啓発等への投資で『したいことをしたい時にできる精神的余裕のある生活』にもなった。それだけでも贅沢な話なのに、それが究極になってゆく。無理強いした訳でもなく、サレンダーで身を任せていたら流されていく方向性だ。

30代の鬱の頃、夫と一緒になったことを選んだ事は間違いだと強く思わされた。そのとき『離婚』を夢見ていたし、その後も幾度となく蘇るその気持ちはあったけれど、つきつめると激しい『恐怖』によって打ち消された。その生涯抱えていた『恐怖感』が今はない。不思議なくらいに未来に不安はない。『展開してゆく宇宙を信頼している』ということか。




この3ヶ月、SFベイエリアはからりと晴れた気持ちの良い日が続いている。でも、サンフランシスコ市内はそろそろ霧につつまれる真冬のように寒い夏に突入する。サンフランシスコの文化はとても好きなのだけれど、その寒さが辛いので市内にでてゆくのがおっくうになってくる。

静かな郊外のこの家にいられる間は、とろとろと昼寝をまどろんでいる。そんな自由な時間があることに本当に幸せを実感している。制限があるからこそ、貴重だと思える『今この時間』。これが一生続くのだと思うと、絶望さえ感じてしまうときもあったというのに。

もうよそ見もしない。自分が幸せだと感じられるのならそれで良しとする。健康が一番。




7/14/2014

下肢静脈瘤レーザー手術


離婚をするに当たってまず考えたのは、お金の余裕があるうちに、そして保険が活用できるものは今のうちに治療してしまおうということだった。アメリカの保険制度はべらぼうに高く、私と同じ歳くらいの友人達は声をそろえて「老後は医療費のことを考えるとやっぱり日本に帰りたい」と言うほど。今でこそ『オバマケア』で低所得者でも医療保険を手に入れられるようになってはいるけれど、それにしてもやっぱり高いし日本のそれとは雲泥の差だ。

6月に入ってからはドクターのアポイントメントで忙しくなってきた。前歯の下3本が微妙ではあるけれど欠けていたり、茶色い傷のシミがついていたりしたのでそれを治したり、以前歯列矯正していた後のリテイナーが合わなくなっていて夜の装着を避けていたのを、再度アジャストメントしてもらったり、軽い腰痛をカイロプラクティックスで治療したりしていた。

前回の記事で脚の血管の手術をしたと書いたが、今月に入って『下肢静脈瘤のレーザー治療』を受けていた。




最初右足ふくらはぎに青っぽくぽこんと浮き出た静脈に気づいたのは私ではなく女友達だった。5年前に一緒にマーシャズビンヤードに泊まりがけで旅行して、夏のミニドレスの私の後ろ姿を写真に撮ろうとした友人が「姐さん、それやばいっすよ」と言って写真に撮ってくれた。それを見たら2センチ程の長さのぼこぼこが浮き出ていて、「婆臭いな」とは思ったけれど特にそれを気にすることもなかった。普段見えないので忘れてしまうのだ。

薄い皮膚に静脈が青く浮き出ているのは遺伝だと思う。子供の頃、母親の脚の青い線を見てルートマップのようだと思ったことがある。痛みとかの自覚症状はない。が、後ほど医者に脚のしびれやこむら返りなどの症状を尋ねられて、初めてそこに関連性を見いだしたくらいだ。本人はあくまでもコスメティック、外的要素としていつかは治療したいなとは思っていたけれど、それなりの費用がかかると思っていて先延ばしにしていた。




「『バックシャン』という日本語を知っている」とアメリカ人から言われた時には面食らったけれど、私は後ろ姿美人らしい。確かにダンスのせいで姿勢はいい。その昔、友人から歩いている姿を盗撮され、その盛り上がった肩とがに股の姿の自分に大変幻滅し、それからバレエを習ったり、歩き方を研究した成果が実って、今の自分がいる。後ろから走ってくるスケーボー青年が「You really look gorgeous today!」と叫びながら追い越して行ったり、先日日本に帰国したときにも、昔から可愛がってもらっているお洒落な叔父様に「雅は後ろ姿は20代のようだなぁ」と感心されたりするから、まんざら嘘ではなさそうだ。そういえば、京都で後ろから歩いて来たお兄ちゃんにナンパされたけれど、顔見て驚いたろうなぁ。




そんな嬉しい話はあっても、最近再度後ろ姿をチェックすると、やっぱりそのぼこぼこは以前より目立つようになってきた感じがする。夏に知人の結婚式でハワイにでかけるのを機に、ここで治療してしまおうとやっとドクター探しを始めた次第だ。直感で良いドクターを探し当てた気がした。評価も高く、コンサルテーションをしてみたら、特に愛想が良いという訳でもないけれど実に細かい人という印象のプロフェッショナルだった。

多くの人は見た目を気にする程度のマイナーな症状で、それだと硬化剤の注入という$750の施術を二回と$105の強力に締め付けるストッキングを購入することだけでも済む。ウルトラサウンド(エコー)で脚の付け根あたりまでを診断したら、私の場合は大きな弁が閉じてるのでレーザー治療要の粋に達し、それだとレーザー治療+硬化剤注射で$7500の費用がかかり、保険が適用されるけれどそれのどこまでカバーできるかはその保険次第だと言われた。

後ほどドクター直々から電話があり、私の保険はとても良いのでドクターへ通う度に$40払うだけで良いということだった。探してみるのもだわ、と自分でも大変驚いた。




実際に施術は割と早く済む。時間にして20分程度だったのではないかと思う。局部麻酔の注射の痛みくらいでうつぶせでまったく不快感もなし。きついストッキングを履かされて、その直後30分の散歩を強制される。二日後までストッキングを外せない。シャワーをやっと浴びることはできてもお風呂はダメ。ジャンプとかハイインパクトの運動も5日間禁止される。毎日30分歩く事を義務づけられる。

一週間後のウルトラサウンドでは順調だと言われ、更に一週間後に今度は硬化剤の注射のトリートメントのアポを取らされる。そして、出かけてみると、ふくらはぎのあちこちにマークをつけられ、注射を打たれた。どちらかといったら、こっちの施術の方が痛かったように思える。二日後初めてストッキングを外してみたら、青タンが一杯できていてとても不気味だった。

そんな訳で、またダンスをできない日々が続いていて、キツいサイハイストッキングのゴムが付く皮膚の部分がアレルギー反応を起こしてしまったりして、ちょっと不便な思いもしている。まぁ、『美』の為に今我慢しておくということかしら。ロングスカートとぺたんこサンダルがここ毎日のファッションになった。でも、今後、もう後ろ姿を気にすることなく、スカートを履ける安心感をゲットした感じで嬉しい。




下肢静脈瘤を説明してる解りやすいTV番組のリンクはこちら。他にも検索すればいろいろとある。

http://youtu.be/nFt_2utbSNY (前半)
http://youtu.be/lOjlUezUMJc  (後半)

硬化剤注射の様子はこんな感じ。http://youtu.be/mrH0VolTWRw


ちなみに私が通っているドクターのサイトはこちら




追記:硬化剤注射一週間後のドクターアポ。ふくらはぎの青タンはほぼ消え皮膚が黄色くなっていたくらいだけれど、まだ青い静脈の線は見える。今回はどのくらい癒えてるのか様子を伺うだけかなと思ったら、なんと局部麻酔をされて「?」と思ったら、静脈に残っていた血液をごわ〜〜〜〜っと絞り出されて出血どばどば。麻酔をしてもちょっと痛かったし、予想していなかったので驚きだった。ちなみに施術はこれで終了で、あとは2ヶ月のAfter写真を撮るのにドクターを訪れるだけだそう。ひぃ。





7/09/2014

癒しのエクスタティックダンス



久々に落ちている、という感覚を一昨日から自覚していた。ちょうど昨日は5Rhythmsで落ち合う約束をしている人がいたので出かけたけれど、久々に激しく踊り汗をかいたら、今朝すこんと元気になっている自分を発見した。あれほど跳ねているのにまったくとして筋肉痛もなく、それどころか関節痛も和らいでいるほど。

ふと気づいたらひと月近く踊っていなかった。今はタンゴのクラスにコミットしていないし、ダンカンダンスのセメスターも終わり、残りは5Rythmsだけなのだけれど、用事があったり、シャスタの旅行があったり、その後には足の血管のマイナーな手術をしたりしていたので、安静にしている必用があり運動がまったくとしてできていなかった。それだもの気分が落ちてたとしてもおかしくない。

自分にはこれがとても必用なのだと再度自覚する。アルゼンチンタンゴはふらりと気が向くとでかけることはあっても、彼らのようにのめり込むというところまではいかない。相手が要るものだから、それこそラッキーだったらダンスエクスタシーを味わえるけれど、いつも最高に楽しい訳ではない。そのチャンスのムラで興味が薄らぐことになる。ダンカンはいつでもあるクラスではないから、セメスターが始まったらそれ中心の生活のリズムになるけれど、それが終った途端に穴があいた感じになるし、女神になる機会も失う。

それを埋めてくれるのがecstatic danceだ。私が通う5Rhythmsは自分の魂を投入できる素晴らしい機会と場所だ。一年以上も前にレイキの知り合いからこのダンスの話を聞いていた筈だったのにピンとこないまま聞き過ごし、最近久々に再会して何気にダンスの話になってお互いに「おぉ」という感じになった。彼も暫く遠ざかっていたとのことで、戻る良い機会になったらしい。昨日初めて一緒に踊ってみたら、スパニッシュバックグラウンドの彼だから、まるで闘牛士のようなダンスが入っていて驚いた。私も思いっきりフラメンコ風に絡めたのでめちゃくちゃ面白かった。




ダンスにでかける前にきりりとアップのポニーテールの髪を撫でつけたら、私の歳くらいだった頃の夏木マリと印象が重なった。最近私は年相応の法令線が目立つ顔つきになってきた。これ以上でもこれ以下でもなく、自分のベストで保っている生き様を晒した顔がそこにある。まっすぐに両手を伸ばすと、鎖骨以外に肩の付け根の方にえくぼのようなくぼみが見える。6月のブートキャンプのお陰で腕と肩の筋肉が出来上がった。

「君、ヨガのインストラクター?」って人から尋ねられるくらいの体格らしいが、私は「いえ、これはダンサーズボディです」と応えている。




くるりと回転したらわぁっと舞い上がる後ろが長くなっているフレアースカートを履いて踊る。タンゴダンサーが履いてる黒のデカパンを履き、それこそダンカンで素足で太腿が見えるダンスを披露するくらいだから、素足に自信がある訳ではなくとも、ダンスでチラ見くらいの太腿がさらされることには抵抗がない。それがいつまでできるかも解らないけれど、長くできるようにハムストリングは鍛えておこうと思う。ダンカンの師匠を見てると、まだこの先暫くは楽しめそうだと思える。

目を瞑って踊る。自分と空間と音しかない。たまに目をあけると、周りに人がいてちょっと気がそがれるくらい入り込める。私は自由だ。他人と絡むときのアプローチも動物的で、なんとなく鳥や飛ぶ昆虫のそれに近いものも覚える。踊りながら距離が近くなり身体に触れ合う。チャクラにレイキを送りながら踊り絡み合う。それが『スティルネス』のリズムだったら、それこそカマスートラの体位で深く深く抱き合い呼吸を合わせる。それを一緒に出来る相手に恵まれている。

昨日そんな静の音楽でハグをしてゆっくりゆれていたら、相手の男性が泣いた。私も以前彼の腕の中で子供のように泣いたことがあるので、彼も同じようにできたのだと思う。レイキの手を彼の首の後ろや後頭部や、頬や耳の下とかに当てたらもっと出てきた。結構な感情の放出だった。

「自分は凄く沢山のことを抱えていてbig manじゃなくちゃいけない、って頑張ってて、泣いちゃいけないって思ってたのを出すことができて気が楽になった」

そう、最後の輪になっての発言のときに男性が言った。

『カオス』のリズムでは声を出そうと意識するまでもなく悲鳴があがった。

最後は踊り疲れて床に一緒に横たわった男性とスプーンのように重なりあった。私が起き上がっても男はそのまま胎児のように丸まり、私の脚の付け根のところに顔を横たえ癒されていた。その横顔や頭にレイキの手を当てた。『シャーマニック』という言葉が脳裏をかすった。




お決まりのように黒目黒髪がセクシーで美形なブラジリアンの男性がいる。とりあえずの社交ダンスは踊るみたいだけれど、彼と絡むときはセクシーなパートナーダンスが踊れる。タイミングの取り方が上手くて踊りながら鼻先が付くくらい接近できる。

いかにもモテなそうなでっぷりしたおっちゃんがいる。私は彼の腕の中でピンボールのように左右に弾けることができる。彼が支えてくれると完全に信用して身体を投げ打っているから面白い動きができる。

「今日僕は生まれて初めて、ヘビーな自分の身体をありがたいと思った。この身体でしかオファーすることができない、自分だけが与えられるダンスの機会というものを知って嬉しい」

そうモテない君がその日の最後に発言していた。

途中で上半身裸になる、可愛らしいロシア人青年がいる。ちょっと子犬君とタイプが似ている。凄いパワーで飛び跳ねて踊る彼は、私と絡む時にはカンフーのような動きを楽しみ、結構なアクロバティックなこともしてくれて楽しい。『元気』というのはこういうの言うのだな、と目尻が下がる。キュートでお姉さんへの甘え方をよく知ってて、昨日は輪になったときに私の隣に滑り込んで来た。お開きになって、ダンスハイから覚めてシラフで話してみると、人は踊っていた時の印象と変わる。青年はそのエナジーで感じさせるそれよりももっと年上なのかもしれない、と思わされた。そしてきっと私も彼にもそう感じさせているのだとも思う。

彼は5年くらいマーシャルアートを習っているそうだ。

「アルゼンチンタンゴ、最近踊ってないな。5リズムを始めたら戻らなくなっちゃった」

「当たり前だよ。制限無しのフリーな感覚を味わった後、誰が規則に縛られた世界に戻りたいと思う?

そう、青年はいたずらっぽく笑っていた。いい夜の終わりだった。





7/02/2014

年下彼、再び


シャスタ山にはこの正月に別れていた子犬君と出かけていた。

自身を含め「はぁぁああ?」という感じなので恥ずかしいけれど、別のバラレルワールドに移ってしまったので、何事もなかったようにメールで優しい声をかけてきた彼にあえてねちねちする気持ちも起こらなかった。もちろん、「やっと切れた状態になったのに、ここで負けるのか?」という声も聞こえなかった訳ではない。でも、それよりも「過去も未来もない。『今』だけ。さぁ、ワクワクすることをするなら何する?」とバシャールの声を勝手に再生し、自分に最もらしい言い訳を作ってしまったと言った方が早い。もちろん、バシャールの言うワクワクとはこういったものとは違うのだけれど。

父の日の日曜日にサンフランシスコの市内に出かける用事があったので、ついででランチを誘ってみたらさくっと子犬君はやって来た。半年近く会っていなかったけれど、いつもと変わらぬ適当に他人行儀な彼が居て、恋心も湧かなかったし、嫌悪感も生まれなかったから、特別な感情も覚えぬままさくさくとその週末の旅を計画した。多分に私たちはお互いがうんぬんと言うより、ただ単にシャスタ山に行きたかっただけなのだろう。少なくとも彼に一緒に旅に出るまでの新しいガールフレンドができていないことだけは確かだった。

ところが行きのクルマの中で「…」という状態がやけに意識され、ホテルに着いてからの彼の態度に私の気持ちが不安になり、やっぱりこんな遠いところに来るんじゃなかったと後悔した。そんなとき、突然遠い昔の20歳の頃の自身を思い出した。要領の悪いボーイフレンドに旅先で機嫌を悪くし、私を上手になだめることができなかった彼に更に腹が立ち、そのまま宿をキャンセルして帰路につかせるようなことをしたのだった。元来男に対しては相当にビッチな女なのだよ、私は。

ずっとそんな思いを抱えていたところで再度勘に触る所があり、夜にとうとう私はキレてしまった。そして、エネルギーの良い筈のシャスタに来てこの有様とはどういうものかと、かなり自己嫌悪に陥った。お互いの沈黙が続く中、私はひたすら『ホ・オポノポノ』の言葉を呟き続けた

「ありがとう。ごめんなさい。許して下さい。愛しています。あなたに起きている全ての事は私の責任です」

嘘でもそう呟き続けていると、気持ちは、世界は変わる。子犬君から一言が発せられ、小さなきっかけを作ってくれた彼に対してありがたさを感じたと同時に、この旅が終るまでは母親のような無償の愛を持つことにしよう、そう決めたらその後からは光に包まれたような時間だけが過ぎて行った。




恋愛はしんどい。なぜなら常に自分の醜いエゴを見せつけられるから。好きな男に対して私の心はかなり貧しくなる

「私が望むように愛してくれなきゃ嫌」

そう叫ぶ、20歳当時の私がまだ生きている。そしてそれから外れた態度を取った彼に、お姉さんぶって我慢に我慢を重ねても、やっぱりある時点でぶちりと切れて突き放す。

「姐は容赦ないねぇ」そう年下の旦那を持った友人が笑う。「でも、だから、8年経ってもちゃんとやることやってもらえるんだよね。私は最初に甘やかしてしまったから、もう取り返しがつかないんだな」とは感心していたけれど。




最初の夜にひやりとしたけれど、彼はそれを根に持つことはなく、または根に持ったとしてもそれを私に微塵に感じさせることなく、旅は充分に充実した楽しいものに終った。私たちの間には確かな距離がある。多分にそれが長続きした理由でもあるし、寂しさを感じて終わりにしてしまおうと私に常に思わせるものでもある。でも、この旅の間に私は更に彼の良さを沢山発見した。昔は頑張って頑張ったものが今はさらりと自然にできる紳士になっている。彼の話し方、声、礼儀、手にとてつもないセクシーさを感じる。彼にレイキをしながら、その彼の閉じた瞳の綺麗な肌と童顔が残る顔を見つめて静かに感動する。彼は恐ろしく年下なのに充分に私をテイクケアしてくれる。

そして、旅の間に私は自身を何度も恥じることになった。決して彼から何か嫌味を言われた訳ではないけれど、行動をしてしまってからふと自分のオバさん臭さにはっとすることが何度かあったし、彼の他人に対する態度を見て自分に足りない『思いやり』を認識することがあった。

彼には素敵な女性だと思われていたい。そういう気持ちがあるから、言われなくともそうでない自分に気づくことができる。自然な私のままでいられることは大切だけれど、雪崩のように婆臭く朽ちていかないようにするにはある程度の緊張感は必用だ。あれほど彼に合わせて3食がっつり食べて来たのに、家に帰って来たら私のウエストは信じ難いほど締まっていた。




子犬君に対する私の想いは、多分に夫が私に対するそれと酷使しているのではないかと思える。私が何をしようと何を言おうと、夫が望むように愛さなければ彼が気に入らないのは、子犬君の私に対するそれに満足しない私と同じことなのだと思う。私が結婚している以上、子犬君は心の一線を越えることはなかったし、私にも夫に対する程の甘えは起きない。夫は20年の歳月で、私に委ねるところは完全にダレきって自分で考えることさえやめてしまった。そして私も恥しらずな態度をとってしゃあしゃあとしている。だからこそ、子犬君がうっかり長年連れ添った夫婦のような『ダレ』をみせようなら、私は容赦なく突き放すということをした。『ダレた関係』は二人もいらないのだ。




二人の間の距離のほどよい案配、それがベストな関係のツボなのだろうけれど、それは個人的にも差があるし、本当に難しい。どこかで離婚した男性が言っていた言葉を思い出す。

『自分は離婚して初めて、自分のケツさえも持って歩く事さえしていなかったことに気づいた』

離婚に同意してからの私と夫は穏やかに同じ屋根の下で生活している。二人の関係に距離ができたことで、期待もなくなれば苛立つこともないし、残り少ない日々をストレスなく過ごそうとそれなりに気を使ってる感もある。そして何より、ボケが入ったと私を不安にさせていた彼が、いきなりしゃんとして生活しだしたのだ。だったら、何故ずっとこのまま一緒に暮らさないのだろうと思うのだけれど、やっぱりリセットした人生を送りたいと思う方が強いのだと思う。




旅行の後、ちょっと恋愛モードに入ったけれど、楽しかったねと別れた後はやっぱり音沙汰なしなので、物足りないまま私の気持ちも元に戻った。今度いつ会う約束もなく、またこのままお互いが積極的にならなかったら平気で半年が経ってしまうこともあり得るのかもしれない。決して私たちは恋人にならず友人にもならない。忘れた頃に一緒に旅をする『旅行友達』なのかな、と新しい関係の名前を見つけたと妄想したりもする。本当に関係が続いているのかどうかも解らないままに。

私は定義づけたり結論づけたりするのが好きなのだと友人が言う。言われてみればそうだなと思える。でも、もうここまできてしまったら『名前のない関係』があってもいいじゃないかと降参することにした。そして、「何回別れを繰り返す気?」と尋ねられ「永遠かな」と応えた私は『終らせる』ことさえも諦めたようだ。『サレンダー』、もう関係にあらがうこともしない。

もしかしたら、このまま暫く会うこともないまま思い出した時にふと巡り会うような、そういう関係でずっと続くのかもしれないし、夫もすっぱり切れることもないまま離れて暮す家族のような感覚を持ち続けるのかもしれない。とりあえず、『これっきり』というのはなさそうだ。

子犬君には私が離婚することをまだ告げていない。それが出る完璧なタイミングというのも、またあるのだと思う。