10/24/2014

ホスピスと安楽死


29歳の末期癌患者Britney Mayardsさんが安楽死を選択するためにカリフォルニア州からオレゴン州に引っ越し、それをYouTubeで好評して話題になったことから、ホスピス患者にのみ安楽死の選択を認めている州がアメリカに5つあるということを最近知った。その州とはオレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、そしてニューメキシコである。

私にもその選択が可能なのだと知った時に、シンプルに 『relief』という一言に尽きる感情に満たされた。

その選択を認めることをもっと世間に広めようとしてファンドを作った彼女の意図は、もちろん全米中に賛否両論の嵐を呼んだ。特に宗教上の理由があればそれは『許されないこと』の粋なのかもしれない。彼女の動画に連なって、あちこちで彼女に残したメッセージ動画の「Please don't do it」という言葉が目立つ。でも、それを目にして思ったことは「言うことは簡単だよな」ってこと。彼女の痛みどころか家族の健康を損なうほどの地獄の苦しみは、それを言う人には解らない。

私が断れきれない流れでホスピスボランティアをすることを決意したとき、面接で今までに人の死に立ち会ったことがあるかということを聞かれた。父親は突然死だったけれど、アメリカに来て一番最初の女友達を骨肉腫で亡くしている。他にこれといった友人がいなかった私は、2年間6週間毎にサンフランシスコからLAまで見舞いを続けていた。彼女と夫の友人である白人男性も舌の癌で亡くなったが、最後は喉の半分が腐り溶けているような状態で、悪臭が家中に立ちこめていた。どちらも壮絶な死だった。

去年の暮れに亡くなったホスピス患者もホスピス認定後10ヶ月まで延命を果たしたけれど、最期は正気を失い、それでも生への執着が強かったのか昼夜を問わずゾンビのように家の中を徘徊し続けた。家族はもうぼろぼろだったし、彼女にレイキをしていた私でさえ健康を損ねた。

果たしてそれらの人々に『安楽死』という希望があったかどうかは知らない。それが認められていないのなら、選択にもならないので考えることもなかっただろうか。

『安楽死』は逃げなのだろうか? 当人も家族も癌と『闘う』べきであり、それが『美徳』と思う日本人は多いのではないかと思ったりもする。




癌になって医者の言うとおりにしてたら逆に死ぬ、みたいな意図の本も沢山でているし、なんと治療放棄して13年生きているという人のブログは癌ブログ部門一位でそれが本にもなった。もちろん、それに対して「そういう本を出版して社会にばらまくのは危険」という意見もある。

有名なところではアップル創設者ジョブズ氏が、膵臓癌を放置し手術を受けるタイミングを逃して命を失った。彼は決して放置していたのではなく、西洋医学よりも代替医療でどうにかしようと思ったのだけれど、その願いは叶わなかった。彼を亡くしたことは、私たちの生活にも大きな影響があったのではないかと思う。

癌が発見された時に、抗がん剤でとりあえず腫瘍を小さくしてから手術で癌を摘出するということをした人もいるけれど、最初に摘出後、抗がん剤や放射線治療で転移可能性のある癌細胞をやっつける必用があると医者に勧められ、それに従う人もいる。その後遺症で人生の『質』を失い、半病人で数年を費やす人もいれば、抗がん剤の後遺症らしきものさえ感じない人もいるから、一概に癌治療の良し悪しを判断することは難しい。

身近なところで言えば、ハワイで出逢った男は放射線治療の後遺症で味覚と唾液の分泌を失っている。日常の生活には事欠かなくても疲れやすいから職場には復帰出来ていない。

「こんな副作用があると知っていたら、放射線治療は受けなかった」

そう彼はこぼしていたけれど、リサーチなしにして医者の言葉を丸呑みした結果だから仕方がない。それがその時の彼の選択だった。『再発』の恐怖の方が強かったのだろう。

そうかと思えば、実家の長女姉は私が知らぬうちに甲状腺癌が見つかりすぐに摘出手術を受け私には事後報告してきた。抗がん剤も放射線治療もなく甲状腺の一部を摘出のみ。だからと言って食事療法とかに気を遣っているかといったらそんなこともなくのんびりしたもの。再発の不安はないのだろうかと思ったが、「だって医者が大丈夫って言ったし?」と姉自身がその質問に驚くくらいだ。実際、癌細胞は『心配』のエナジーが好きだったりするから、姉くらい暢気なくらいが良いのだと思う。

先日大阪で仲良くしてもらっていた血液癌を煩っていた年配の知人が危篤状態だと言う連絡を受けた。彼とは春の帰国時に面会していたが、抗がん剤の治療で以前に比べて酷く痩せてはいたけれど相変わらずの洒落た老人だった。そのメールを受け取って以来私がしたことは「早く苦しみから救われますように」と祈りとレイキを送り続けたことだ。間違っても「生きながらえますように」とは思わない。ホスピスで働き体験することによって、私の気持ちはそのように早く穏やかに逝けるようにと変わって行った。




『安楽死』が問題視されるのは、それと『自殺』が混同されているからだと思う。今や日本社会では「『自殺』ではなく『自死』と言おう」とか、よく理解できない風潮があったりするけれど、それでも自ら命を絶つ人が多い社会で安楽死を認めると「精神的苦痛から逃れる為に安楽死を認めても良いのではないか」というように自殺さえも認めようという話に飛躍するのを怖れてのことなのかなと思ったりもする。

更にはやっかいな老人を早く逝かせてしまうことを危険だと声をあげる人、または延命装置に繋げておいて生かしてさえおけば政府からの年金が入るから、その収入を当てにした家族が下手に『安楽死』が出来るとなると不都合だという表ざった言葉にはならない『家族の都合』があるというのも見聞きする。

とりあえず、日本では『治療をしない』という消極的に自然死を早めることだけは認めているらしいが、果たしてその場になった本人は一体どういう処置を望む事だろうか、自分に当てはめて考えてみてもいいと思う。




Britney Mayardsさんは、旦那さんの誕生日を過ごした後11月1日に安楽死を決めていると発表。まだ残された日々がんがん旅行が出来るくらいの元気さだから、動画でその姿を目にした人は納得できないのだと思う。しかし、彼女の腫瘍は前頭葉に大きく広がっていて、いつどの瞬間に地獄のような痛みに襲われるか解らないし、人格を失うことはもう予知されている。ただ『弱り果てる』という穏やかなものではなく、人格を失い下手したら痴呆やどう猛に変貌するかもしれない本人を目にするのは、家族にとっても堪え難いことだと思う。だからこそ、彼女は日付を設定して美しくお別れを言うことにしたのだと思う。安楽死を選択した彼女の語りは死の恐怖を通り越した穏やかさに満ちている。

彼女の命はあと一週間…







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