11/06/2014

あなたは『尊厳死』を選択するか


前回の記事でお知らせした29歳の末期癌患者Britney Mayardsさんが、予告通りの11月1日の夜に自ら安楽死出来る薬物を摂り、愛する家族の腕の中でお亡くなりになった。

11月1日という予告をした後に一度「11月2日を過ぎてまだ生きていたとしてもそれもよし」という短いメッセージを発信したにもかかわらず、やはり体調の変化を意識し実行に移した。「まだ元気に生きられるような気もしたけれど、やはり毎週確実に病状は悪化していたし、一日に2度発作を起こしたこと、ある日目の前の夫の名前が解らないでいた自分がいた一瞬を意識して、やはりこの日に実行することにした」と彼女は語ってる。

彼女の死を伝えるニュースで、カリフォルニア州の彼女が実はサンフランシスコベイエリアの住人だったことを改めて知った。それでファンドを作って世界に知らしめた彼女の行為がどこか腑に落ちる気がしたのも事実だった。このリベラルな街に住んでいたからこその発想かもしれないということ。こういう『非常識な選択』は保守的な街の住民だったらまさしく考えられないことかもしれず、やはり住む環境で思想というのは大きく変わると思う。

ニュースを聞き「死ぬのは勝手だけれど、黙ってやれよ。かまってちゃんになるなよ」という不快感を表す日本語の書き込みを目にしたけれど、彼女が世に広めた影響は大きい。賛否両論の嵐の中から社会は進化していく。日本でもいつかそれを認めるべきという声も上がっている。彼女が独断の決心でひっそりと亡くなっていたら、人々は『考える機会』を失っていただろう




前回の記事で私はあまり深く考えずに『安楽死』と書いたが、後ほど多くの『尊厳死』の文字を見ることになり、この安楽死と尊厳死の違いを調べてみた。そして、その言葉の使い方と状況にアメリカと日本に若干違いがあることも知った。

米国で議論になっている『尊厳死(death with dignity)』は医師による自殺を意味し、日本ではこれを『安楽死』と意味している。では日本で言われる『尊厳死』とは何かというと『必用以上の延命行為なしで死を迎えること』であり、それは米国で『自然死』と呼ばれるものであり、殆どの州で法律で許容されているということだ。

この辺の違いについて説明している記事を見つけたので、参考にしていただきたい。そして、ブリタニーさんの選択が決して安易なものではなかったことも良く説明されている。





「もし、自分が植物人間になってしまったとしたら?」という状態になることを考えてみたことはあるだろうか。 自分の意思を伝えられない状態になっているときに、機械に繋がれて永遠と生かされ続けて生きたいのだろうか

現代医療の発達は回復する見込みがない状態になっている人でも生命維持装置によって命を保つことが可能であり、でも患者にとっては延命治療はとても大きな苦痛とストレスになる可能性がある。それを伝えられない状況でいるときにも、家族は散財してまでもあなたを生かしておこうとするだろう。




欧米では認知症と自己決定権の問題が深刻であり、リビングウィルを持つことを重要視している。夫はかねてからそれを意識していたので、彼のものと同様に私にもそれを確認しリビングウィルを残してきた。もちろん『延命拒否』でありそれを確認し合っている私たちがお互いの生命維持装置をはずす決定権を持っているということをウィルに記述してある。私が敗血症で入院した際には、病院から夫にそれを持参するようにとの要請もあった。

ところが離婚によって、それを失うことになった私たちだ。夫の決定権は彼の妹に委ねるらしいが、米国に肉親のいない私は誰の名も書けない。しぶしぶ夫が自分の名を挙げておいてもいいとは言ってくれたが「デートしてる男にでもしたらどうだ」とかありえない嫌味を言ったので、とりあえずそうしないことにした。

そして、考えた末に私の身に信用出来る少し年上の女友達がいたことに気づいた。彼女には離婚の決意を一番最初に話していたし、誰よりも心強いエモーショナルサポートも沢山もらっていた。それでそのお願いをしたところ、彼女が大切な役割に自分を考えてくれてとても光栄だと快く引き受けてくれた。これで、英語が解らない私の家族だけれど、彼女によって私の死を知るだろうし、後は彼女の手伝いでどうにかなると安心出来る訳だ。もちろん彼女に何かあった場合には、私がその計らいをする。




今回のことでその友人から、アメリカの主治医が年寄りには『POLST(Physicians Orders for Life Sustaining Treatment)』とか『Advance directive』という書類を書かせたりする、ということを初めて聞かされた。調べてみたら、なるほど便利なフォームがあって、そこにチェックしておけば延命処置や内臓ドナーなどについての希望が主治医によって保管されることになる便利なものだ。

日本では現在『終活ノート』というのがあるということも知った。さすが老齢化社会『どのように死ぬかを考える』は社会の大きなパートにもなりつつあるのだろう。なんといろんな会社が終活ノートを発行していて、個人がそれを選んで残しておくことを勧めている。


現在日本に帰国している彼女に「私も欲しいな」とメールで伝えてみたら、なんと偶然にも既に私のお土産として購入済みだとのこと。さすが私の友だけある、と感心した。





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