12/27/2014

観音様が現れる


バシャールの言葉を日本語で伝えてくれるブログがある。毎日目を通す訳ではなくほんの時々何気に開け、必然なタイミングでメッセージを受け取っているくらいだけど、先日はそれを読んでいきなりわっと泣き出す自分がいて驚いた。


『物質世界で生活していると、自分の分身である貴方の”相方”詰まりは、ハイヤーマインドの存在を、すっかり忘れてしまいがちです。しかし、貴方には”目に見えない相方”が存在し、貴方は決して”独ぼっち”では無いという事を、絶対に覚えておいて下さいと、バシャールは話しています。 (中略) ”独ぼっち”では無く、貴方には”相棒”という助っ人が常にいてくれているという”事実”を認める事で、貴方の”恐れ”はリセットの方向へと、初めて向かう事が出来るようになるのだと、バシャールは話します』


 この文章を読んだ時に、 ふと少し前のある明け方のすっかり忘れていた出来事を思い出し、一瞬にして感動して涙があふれた。




顕在意識上では落ち着いているようでも、潜在意識ではやっぱり相当なストレスを感じているのだと思う。今年初めに目覚めの時にパニックアタックを経験していたり、最悪のときには神経性胃炎を起こしていた。その時ほどの症状ではないにせよ、ときどき目覚めの頃にそういう感覚を再度身体に感じたりすると「あ、精神的にきてるかな」とストレスコントロールに意識を向けたりしていた。

先日、目覚めの時に胃痛を覚えていた。半覚醒の状態で「あ、やばいな」と思う。今、神経性胃炎を起こしている場合ではない。朦朧とした頭でレイキを自分にかけようと、痛むところに手を当てレイキに繋がるよう意図する。その時に、私は身体の右側、ベッドの横に私に手当をする観音様を意識下に観た。とても美しい観音様だったけれど、人間的な3Dのそれではなく絵画的なイメージのそれだった。見ようとして想像したそれではなかったので、その突然の出現にちょっと驚きながらも、その存在の美しさ、エネルギーの美しさに感動した。そして胃痛は和らぎいつしか眠りに落ちたので、次に目覚めた時にはすっかりそのことも忘れていた。しかし今回、私はぼんやりとした意識の中で観音様の視線で私の身体に手をのばしているそこにいたことも思い出すことができた。




まるでスロークッカーのような離婚のプロセスで、当然そこには波があった。静かに穏やかなときもあれば、まるでスカイダイビングの飛行機の中でインストラクターから押し出されているような「あ、いや、ちょっと待って」みたいな気持ちや、10月にラスベガスで十何年ぶりかに乗ったローラーコースターの、カンカンカンという音と共に空に向かって登って行くときのあのドキドキ感、そして最後には、足場に隙間があいているような吊り橋を『泣きながら、それでも前進している』イメージを脳裏に見ていた。

むちゃくちゃ怖い。でも、それでも何故かしら背中を押してくれる存在がいるのには気づいていた。それがこの観音様であることに、バシャールのメッセージで認識できたという感じだった。




人は高尚なエネルギーを具象化する。私の顕在意識はエンジェルが好きだった。家の中には昔からコレクションしていたエンジェルの置物があったりするけれど、スピリチュアルな観点でエンジェルを信じていた訳ではない。そしていつしか私は理由なく観音様に惹かれるようになった。

2010年6月に自分の70歳は観音様のイメージなのだ、という気づきを得てそれを記事にしていた。レイキを始めてから一年後の2012年の10月に、とあるレイキマスターから「雅のレイキにKuan Yinから感じるのと同じ種類のエネルギーを覚えた」と告げられ、後ほど『Kuan Yin』が観音様のことだと知ってありがたくも驚愕したことを思い出した。仏教に関する知識はまったくないのだけれど、それから何となく観音様が身近に感じられるようになった。今年春に訪れた鞍馬山の霊宝殿の聖観音像の足元にひざまずき薄暗い部屋に浮かび上がるその美しいお姿を崇めたとき、昔の自分では感じられなかった泣きたくなるような静かな感動がそこにあった。この頃にはエネルギーをシンクロさせるということも普通にできるようになっていた。

どうやら私のハイアーセルフは観音様のイメージとその波動を持って存在しているらしい。そう理解すると、不思議に漫然とした未知の未来に対する恐怖感は薄れる。『心強い』というのはこういうことで、バシャールが言うように、私は決してひとりぼっちではない。それは『インスピレーション』という形で私にその存在を感じさせてくれる。最近のその『繋がっている感』は半端ないという感じだ。ある方向にドアが作られ、その向こうにある世界が既に半透明にかいま観られる。





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