12/24/2014

ホ・オポノポノで断捨離


捨てられなかった中学時代からの日記、放浪のジャーナルの全てのノートが詰まった重い箱を捨てることができた。モノと自分の関係はその個人にしか解らないことだけれど、とにかく出来なかったことがやましたひでこさんの動画で可能になったということは、本当に素晴らしくありがたい機会だった。それはまるで暗闇に持つフラッシュライトのような役目で、どんどん先を照らして見えなかったものを見せてくれる。展開が起こり人生のシーンが大きく変わる。

眺めているだけで幸せになるような美しい布の在庫も今まで現実逃避して近づけなかった。寄付としては受け付けてもらえず、多くのそれがゴミ行きになるのが残念で行為を渋っていた。でも、思い切ってゴミ袋に入れたときにふと「ごめんなさい使い切れなくて。許してね。私を楽しませてくれてありがとう。大好きよ!」って思いながら『ホ・オポノポノ』を唱えたら、嘘みたいにその行為が簡単にさくさくとはかどったので我ながら驚いた。

『ホ・オポノポノ』は、気持ちが絡んでいるモノを手放すときに驚くべき効果が見えるツールなることも発見した。捨てるときに発生する『罪悪感』を拭い取ってくれる。それで、断捨離が一気に加速した。




ジュエリーの引き出しを忘れていた。引き出しいっぱいに溢れている、それでもジャンクとは呼べないようなアクセサリーの数々を寄付し、運べるだけを残さなければならない。それは、未来の自分の姿をビジュアライズしてアクセサリーを厳選するモンダイとなって目の前に突き付けられる。根拠はなくとも訪れるであろう『機会』のシーンを想定してアクセサリーを選ぶということは、その時点で自分の未来を無意識に選択していることにもなる

残すモノは自分の未来像だから、それが相応しいと自分からギフトをあげるような気持ちでありたい。ここの意識の選択が『自分を大切にするとはどういうことか』が解るようにも思えた。『ホ・オポノポノ』の「許して下さい」の部分は自分に他の何ものも気にせず、自分の本心から好きなもの、やりたいことを選択することを自分に許可するということに繋がった。

気がつくと、マントラのように『ホ・オポノポノ』を唱えている。片付けては息抜きをし、淡々と用事をこなし、雨の日の渋滞でもまったくそれが気にならない。ただ人生が展開していく。

「落ち着いてるね」

そう私を観察した女友達が言う。あのおびただしい量の日記ジャーナルを捨てた後、不思議にも『見えない未来』に対する不安が激減した。漫然と抱えていた『恐怖』が消え去ったかのようにも感じられる。





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