3/31/2014

ダンスクレイビング



家族の中の集団生活にもだいぶ慣れてきた。家には暗黙のお風呂の順序があり、後がつかえるのでどんなに面白いTV番組の最中でもさくさくとお風呂に入る必用がある。最後に長女姉が風呂に向かい、TVを見ながら化粧水を顔に叩いていた私が寝室に向かう前にリビングのTVを消すことになる。そのときに誰もいないリビングでいきなりCMの音楽に合わせて踊りだす私がいた。

アメリカでの生活ではどんなに辛くてもダンスのクラスを取ることによって支えられて来たと行っても過言ではない。どうしても帰国を早めなければならない状態になっていても、ダンカンダンスのワークショップだけは全部とりたかったので、最終日の翌日に日本へと発った私だった。

このワークショップの間にスタジオでピアノリサイタルがあり、そのうちの一曲のショパンのナンバーに合わせてダンカンダンサーが踊るというコラボがあった。パフォーマンスをしたいかどうかという生徒の意思に関係なく、いつのまにかそれに出演するという流れに乗せられて「は?」みたいな感じだったけれど、それでも抵抗なく久々にパフォーマンスをした。

他のダンカンダンサーがみな若くて痩せているので、いつも一人だけ中年のおばさんが混じっているという、ちょっとだけ居心地の悪さをいつも感じていた私だった。でも、今回はすっかり痩せてしまったので、やっと他のダンサーとつりあう体型になったようだ。写真を見ても違和感を覚えない。







ワークショップの最終日には課題の発表がある。今回の課題はイサドラダンカンの自叙伝『My Life』の中から印象深かった箇所を紹介すること、そしてショパンのナンバーから自分の好きな曲を選んで創作ダンスをすることだった。

創作ダンスの発表は2013年の夏のワークショップが初めてのトライだったけれど、結構楽しくできた。ブログで紹介することがなかったのは、ぽっちゃり太めが恥ずかしかったからという理由にすぎない。今回は前回のような勢いがなくぎりぎりまで曲選びができず、最後に心境にぴったりなのが見つかったのがちょっと悲壮感を感じられる『Prelude E minor』だった。眠りにつく前にエンドレスで何度も聴きイメージを膨らませ、ダンスに『喪失』という題名をつけた。

自分がCDに焼いたMP3の録音とスタジオのデッキの相性が悪く音が飛んでしまったために、師匠のライブラリーから違うアレンジの曲で再度踊り直したから調子が狂った。まぁそれでも頭の中のイメージをインプロで表現出来たと思う。最後の部分は考えていたものと違う動きになってしまったので、中途半端に終った感じがある。これも後3回程踊り込めばまともな振り付けになることだと思う。

録音状態が良くなく、最初は音が小さいが途中で大きくなるので注意




サンフランシスコでワークショップを修了すれば、Mary Sano女史は日本でワークショップを行なう。今回は3月と4月に二日ずつあり、3月のそれは家族と過ごしていてパスしたものの、過ぎてからやっぱり参加したかったという強い渇望を意識した。次回のワークショップは4月の5日と6日秋葉原のスタジオであるけれど、それには参加表明をしている。

折角上京するのだから、他のダンスの機会もということで土曜日にはアルゼンチンタンゴのミロンガにも行ってみるし、8日に銀座で行なわれる日本唯一の5リズムのワークショップにも参加を申し込んで『ダンス上京』となる。今からもう凄くわくわくしていて、その日がとても待ち遠しい。




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