3/19/2014

ホスピスその後


暮れのTの葬式の後、新年に流行の酷い風邪を引き全治までに3週間かかった。そのせいで次のホスピス患者を引き受ける訳にもいかず、月末のボランティアミーティングまではのんびりすることにした。おかげで1月の第4週は疲労もかなり和らいでいて好調の兆しをみせていた。

ボランティアミーティングでの次の依頼主の内容は、朝8時から10時半までの看護の奥さんが買い出しに出かけている間の患者への付き添いだった。朝早いということで誰もボランティアを申し立てるものがいない。その中で患者をひとりも持っていないのは私だけだったので、プレッシャーに負けて私が申し入れた。

付き添いである以上は、患者の身体に触れることは禁じられている。折角出かけてもレイキ施術ができないのもつまらないので、再度オーガナイザーに確認を入れてもらい、レイキを施術してもよいという条件で引き受けることになった。

心臓病の77歳の男性はもうかなり衰弱していて、一日の殆どを眠って過ごしているとのことだった。ホスピス患者に認定され、家に毎日ナースやソーシャルワーカーが訪れるので「一体何人に会わないといけないのかね?」とちょっと困惑している様子だったけれど、素直な愛らしい感じの老人という印象を受けた。

レイキを試しに受けてもらった初日は、彼は目を閉じることもなく私の顔を見つめ続けていた。

「君はとても綺麗だなぁ」

ストレートに告げてくるその言葉に悪気は感じられない。寝返りを簡単にうつことができず、病院用ベッドの柵にしがみついてどうにか身体を横にするのがやっとらしい。彼の身体にレイキの手を当てながら、彼が老人用おむつを着用しているのに気づいた。寝たきりの身体を労るように肩甲骨のまわりをさすると、患者は「とても気持ちが良い」と喜んでいた。

彼は施術の後の私との会話をとても楽しんだ。2週目には既にエネルギーの高まりを感じさせ、第3週目にはベッドの端に腰掛けて私と向かい合って座って話を聞きたがり、その後は歩行器を使って一人でトイレに立っていた。買い物から帰って来た奥さんと話をしていると、それを横目にした彼女が「な~んだか最近やけに元気なのよ!」と目を丸くして私に告げた。4週目に訪れたときは、彼はリビングに座っていて、レイキを受けるまでもなくソファで私と会話をしたがった。小雨の降る静かな朝だったので、私のiPhoneから静かなジャズを流した。彼の手が私の膝頭に伸びたので、両手で彼の手を包んだ。

「性欲が戻って来たんだよ。こんな気持ちは久々のことだ」

彼は驚きと喜びを隠せないままに、やはりストレートにそう告げてきた。私は照れることもなく、彼の性的な質問に普通に応えた。男は「そうなんだぁ、知らなかったよ」と女性の身体の神秘に感心していた。患者は2週目までは痴呆症が既に始まったように同じ質問を何度も繰り返していたのに、その頃には彼の会話は正常に戻っていた。

働きに出ている息子が昼に戻ってきて、彼を散歩に連れ出すのが日課になってきていた。最初は2件先で戻って来たのが半ブロック歩けるようになったのだそう。私がいるので散歩にでたくないという拗ねる老人を、では私も一緒に歩きましょうと促してゆっくりと歩き出した。

「今日のダディは君がいるからいいとこみせようと頑張ってるよ」

父親の反対側を支えている息子が、彼の頭の後ろから首を伸ばして私に耳打ちする。その日、彼は歩行器を使ってワンブロック歩いて戻って来ることができた。老人の頑張りの横顔が愛しく見えた。

第5週は私の訪問を知った彼が、ベッドから歩行器を使わずにリビングまで出て来たので驚かされた。奥さんが出かけた後、あまりにも良い天気だったので家の外にあるスイングチェアでひなたぼっこをしようと私が勧めると、彼はぴんとこない表情ながらもそうすることにした。彼にジャケットとスリッパを着用させ、二人スイングチェアで揺られながら透き通るような空気の空を眺め、他愛のない話を続けた。彼は何度も呟いた。

「あぁ、なんて気持ちが良いんだ。誘ってくれてありがとう。とても気分がいい」




「まったく一ヶ月前の死のベッドが嘘のような回復よ。どうにかあなたに続けて来てもらう訳にはいかないのかしら?」

今までの例に変わりなく、家族はそう私に懇願する。ホスピス患者を訪れ元気になってゆくのを目の前にするのは喜ばしい。しかし、やはりどこか生気を失って行く自身を感じるのもいつものことだった。

「姐は今まで頑張ってきたよ。毎回のケース話で本当に頑張ってるな~って感心してた。けど、今は姐自身を救ってあげて。もう充分に人助けしたよね。みんな感謝してるよ」

ホスピスの責任を考えてなかなか日本帰国を早めずにいられなかった私に、友人がそう告げてきた。他の友人も、ホスピスを始めて以来私の体調が芳しくなく顔色が悪く生気がないのを気にして、もうやめろと警告してきていた。

ホスピスのボランティアを始めてからちょうど一年経つ。流れに任せてとりあえずどんなものだかやってみようと始めたそれだったけれど、奇跡を重ねて経験すると同時に自分には向いていないものかもしれないとやっと悟り始めている。患者がめまぐるしい回復を見せるけれど、どうも私自身のエネルギーが漏れるような感覚をいつも覚えるのだ。防御する方法をあれこれと変えてみるのだけれど、ホスピス患者に至ってはどうもそれがあまり効いていないような気がする。私のエネルギーというか感情の境界線も不明であり透明なのだと思う。次にアメリカに戻ったときにホスピスボランティアを続けるかどうかは今のところ保留状態にしている。全ては私の環境と健康状態次第なのだけれど。





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