姪が2歳半の息子を連れて近くに住む家に戻ると、実家には静寂が訪れた。奇声を発して構いたがる幼児を避けて2階に隠れていたラグドールの『あずき』が、洗濯物を取り込みに行った85歳の母について、ふさふさした尾っぽを優雅に振りながら階下に降りて来た。母は洗濯物をリビングでたたみ、ダイニングテーブルで今度は勤めに出ている長女姉のシャツにアイロンをかけ始める。ほぼ一日中、母は家事でなにやら動いている。
「ばぁは、本当に良く働きますね」
「そんなことないよ。動いていないとぼけちゃうからね」
「私は気が利かないから、何でも手伝って欲しいことがあったら言ってね。やるから」
「別にこれといってないよ。気にしなくていいから」
最近は膝の痛みが悪化して、とうとう近所の医者にでかけるときは歩行器を押して歩くようになったのだそうだ。歩行器なしでストレートに歩くのは、もう数件先の親戚の家に行って帰って来るのが限界らしい。それでも母は一日中家事を続けている。ちょこちょこ休みを入れて動く分には問題ないそうだ。家に住む長女姉と義兄、そして甥はみな不規則なシフト制の職についているが、そのスケジュールをカレンダーで把握し、毎日人数分の晩ご飯の仕度をしている。膝が痛むので、背の高い折りたたみの椅子に腰を下ろして料理をする。私が手伝うと言っても、特に何をやらせようとはしない。
「Y子(長女姉の名)は悪いと思うのか、週末は私に何もしなくていいと全部やるのだけれど、なんだかねぇ、それだと物足りなさを感じるのよ。やっぱり自分のやることがあるっていうのは、ありがたいことなんだわね」
私はそんな母の言葉を聞きながら、それにアメリカ生活での自身のボランティアで回る日々を重ねた。母を見つめる私の眼に涙がにじむ。どういう意味の涙なのか自分でも解せなかったけれど、私は心底この母が愛しいと思えた。
「ばぁは幸せだね」
「幸せだよぉ、本当に幸せだと思う。Y子も良くしてくれるし。ほら、そこに飴の袋が二つあるだろう?それも、Y子が老人会に持って行けって買って来てくれたんだよ。大した事ないことだろうけれど、そういうことが嬉しいね。これで膝さえ痛くなかったら申し分なしなんだけれど」
「幸せだよぉ」と母はポーズではなく心からそう言っているのが解る。果たして自分が母のこの歳のときに同様にそうつぶやくことが出来るのだろうかと懸念した。母と違って私には子供がいない。私の子供時代と母との関係を思うと、子供を持たないことが生きているうちにできる最善のことだと強く思わされてきた。そして、私は彼女に沢山の親不孝なことをしてきた。それにもかかわらず、彼女がそう先も長くない人生の終わりの頃にそうしみじみと言えるのが、私にとってせめてもの救いだった。
先日珍しく具合が悪くなって老人会の集まりに出ずに一日寝ていたらしい。
先日珍しく具合が悪くなって老人会の集まりに出ずに一日寝ていたらしい。
「そしたら、次の日に誰それさんから心配して電話がかかってきて、話をしてそれを切ったらそこの誰さんが家にやってきて暫く話をして、その人が帰ったら今度はこっちの誰さんがやってきたのよ。友達がいるっていうのは、本当にありがたいもんだねぇ。世の中には孤独な老人なんていう言葉があるくらいなのに」
85歳の母は去年初めて携帯電話を手にしてメールを打つことを姉から学んだ。その知的好奇心とバイタリティに、長女姉も驚愕し心から尊敬の念を得たとメールで知らせて来たものだ。
「友達はね、携帯は持っていても電話を使うだけで、メールまでは打たないのがつまらないけれど」
それでも母は長女姉や姪への用事に頻繁にメールを利用しているらしい。
特に何の手伝いをするまでもなく、こうしてアイロンをかける母の横で茶を飲みながら、普段遠い所に住んでいる私が話相手をしているだけでも立派な親孝行になる。そういう実感はホスピスのボランティアで得て来た。私がありのままの私でいることだけで喜んでくれる人たちがいる。実家では素直に三女のままで甘えていようと思う。
アイロンに目を落としたまま、母はついに言いづらそうに話を切り出した。
「なんでもY子に聞いたんだけれど、お前、旦那さんと離婚するとか言っているそうじゃないの。本当?しないでしょう?」
「…」
私は言葉を重くした。今の時点は自分でもはっきりしたことが言えない。長女姉がそれを母に告げていたのかどうかも定かではなかったし、年老いた母に心配させるよりは、告げることなくこの長期の滞在を穏やかに過ごすだけでもよいかと思っていた矢先のことだった。
「う~ん、今度こそしなくちゃいけない時にきてるのかもしれないけれど、本当のところ先のことはまったく解らないのよ。現状はただ、その過程のストレスですっかり身体を壊してしまったってこと」
そして、ぽつぽつこれまでのいきさつを話し始めたのだった。母はアイロンをかける手を止め、じっと話す私のことを見つめている。
雅さん お久しぶりです。
返信削除「みんなそれぞれの宇宙」でコメントをさせていただいていましたみさきです。
日本にいらしていたのですね!
きっと語り尽くせない事が精神的に色々あったのですね。
私は21歳の時に母を亡くし、父はその前に亡くなっているので
お母様の元に帰れる雅さんがとっても羨ましいです。
早くパワー溢れる雅さんに戻られる事を心からお祈りしています。
みさきさん!おっかけこちらにもコメントしてくださってありがとうございます。やっとブログが書ける状態に戻りました。これからは、こんな感じの文章で更新していきます。今後も宜しくお願いいたしますね♫
削除ようこそ日本におかえり~♪
返信削除今回は会える時間があるのでしょうか?
いずれにしても実家に甘えれるだけ甘えて、
日本を満喫してくださいね(^^♪
姐さん自身が癒される時間がもっと必要なのかもね?
新しいブログも楽しみにしてます☆
ゆきのちゃん、いつも読んでくれててありがとう〜。今回は大阪オフ会はあるのだけれど、まだその他の予定はたてていません。大阪滞在はそう長くないのでどうかな?でも、バッグは欲しいねん!笑。
削除オフ会の準備やらなにやらで忙しい滞在になりそうやねー?よければオフ会のお手伝いやりますよ(v^ー゚)
削除あらま、それは嬉しいお言葉。ということは、オフ会来てくれるってこと?だよね? わ〜い♫
削除雅さん、こんにちは。
返信削除こちらにも追いかけてきてしまいました。
いつもと違う文面に、すっかり引き込まれてしまいました。
まるで小説を読んでるみたいです。
お母様や長女姉さんとはいい関係になってきているんですね。
ご実家が疲れた心と体を癒せる場所になったみたいで、よかったです。
ボロボロなとき、シェルターになってくれる実家があるっていいですよね。
私も昔、9年同棲した彼に捨てられたとき、実家がなかったら死んでたか殺してたかしてた気がします。たぶん(^^;
それまでは母のことも実家も大嫌いだったけど、このとき初めて実家や親がいて助かったと思えました。
雅さんの新しいブログがどういう展開をしていくのか、とっても楽しみです。
またお邪魔しますね(^-^)/
若い頃は実家から逃げていたし、帰るところもないと思っていた人生が嘘のように、今は暖かく受け入れられて愛に包まれています。その分、アメリカの家が冷えてしまったのですが… 人生どうなるかほんと、解りませんよね!驚
削除雅さん
返信削除おかえりなさい!
新しいブログ、待ってました。
でも、体調崩されたと聞いて、心配です。
まだまだ寒いですから、ご自愛くださいね。
ところで
プロフィール写真の背景にかかってる絵は何ですか?
なんか気になります・・・
良ければまた教えて頂けると嬉しいです。
おやすみなさい。
お気遣いありがとうございます。
削除後ろにある絵はアメリカの家のリビングに飾ってある、チューリップの絵です。Ebayで見つけたアーティストの作品で人目惚れしたものです。いつまでたっても飽きないお気に入りです。