3/20/2014

死に行く友と過ごす時間


シニアレイキのプラクティショナー、95歳のHはいつもカラフルな色合いの服を着ている上品な老婦人だ。彼女はいつも途中で早めに帰ってしまうので、なかなか話す機会を持てなかったけれど、挨拶をすればいつも穏やかで美しい笑顔を向けてくれた。一昨年のサンクスギビングのパーティの時に、隣に座った彼女に年寄りにそうするようにゆっくりと話しかけた私だったけれど、彼女が意外にも力強いとても鮮明な言葉で返して来たので軽く驚かされた。洞察力に優れていて聡明さがあふれる感じは、私にもっと彼女を知りたいという欲求を起こさせた。

レイキを世界的に広めるきっかけになった高田ハワヨ女史から直接レイキを授霊したという彼女に対する興味は募る一方で、いつか彼女の家でも訪問してゆっくり話をしたいと思っていた。私自ら「今度お宅に遊びに行っていいですか?」と伺いを立てたにもかかわらず、彼女の電話番号を尋ねる機会を失ったままなかなか実行にいたらなかった。そしてあっという間に一年が過ぎた。この冬、レイキクリニックのボランティアのメンバーがランダムに入れ替わっていた頃、彼女の姿を見るのもまれになってきていた。

気にはしていながらも、なんとなくそのまま見送っていたままのある日、ついに心のざわつきが起きて年配のプラクティショナーに彼女の近況を確認したみた。

「彼女は最近疲れているらしいわ」

そう言われて納得はしたものの、やはりざわつきが治まらなかった。

「本当のところどうなのかしら?95歳の彼女のことだもの、ちょっと穏やかではないわ」

そうしつこく尋ねる私に、その老人は電話をしても彼女がでないのだと言い訳をした。そして、そんな翌日にホスピスから連絡が入ったのだった。

「あなたがホスピス患者を一人しか引き受けないということは承知なのだけれど、あえて尋ねるわ。あなたにレイキをしてもらいという特別リクエストが来ているの。なんでもあなたのことをとても良く知っている感じの患者なのよ」

ホスピス患者になるような人に知り合いはいないといぶかしんだ私だったが、名前を聞いて驚愕した。そして考慮することもなくその場でHを受け入れることを承諾した。




Hに電話を入れてみれば、彼女の言葉の力強さには変りがなかったのでちょっと拍子抜けした。家に訪問しても、やはり彼女の様子はまったく変りがなく、いつもの通りの一人暮らしを続けている。3時間程離れた土地に住んでいる子供二人が交代で2週間に一度ずつ訪れて来るのだと言う。後は近所の人々が夜の照明が灯る時刻を確認したり、時折様子を見にきているらしい。

白血病と診断されているけれど、痛みはまったくないそうだ。ただ、エネルギーが大変弱まっているということだけで。

「私はもう準備できているの。私の命は永遠よ。ただ、違った次元に移りゆくだけ。だから死はまったく怖くないわ。あなたのことは以前から気にしていて、ゆっくりと話をできることを楽しみにしていたのよ」

本人が年季の入ったレイキマスターだけあるから、最初の施術をするときにはちょっと躊躇したものの、とりあえず精一杯やらせてもらった。彼女は大変に喜んでくれたけれど、2度目の訪問のときに「今日のレイキはとてもスムースだったわ。前回はむりやり押し付けるようなそういうエネルギーだったのよ」と、面白そうに笑っていた。

Hへの訪問を始めた頃から私は健康を損ねていたし、離婚ワークショップにも通い始めたところだった。だから、私のレイキも決して元気を与えられるという程のものではないだろうと思ったので、彼女には正直に自分の置かれている状況を説明した。

「コートに出向くって言っていたから、なんとなくそうかなと思っていたのよ。Oh, my, are you doing all right? 何故かあなたのことが気になると思っていたらそういうことだったのね」

Hはまるで母親かのように私の身を案じ心配して話を聞きたがった。それで、彼女の毎回の訪問はまるで私にとってはカウンセリングに通うような、そんな癒しをもたらしていた。

離婚相談をする相手が離婚歴のある人だったら、離婚に踏み切るのに勇気づけてくれるし、どんなに辛くても結婚生活に留まっていた人は、留まることを奨励する。例に漏れずにHも最初は結婚生活を維持して経済的に豊かな生活を選ぶ方を勧めていたけれど、私の説明にやがては「大丈夫。あなたはちゃんと導かれているわ」とサレンダーでいくことを語り始めた。




彼女へ施術する私のレイキの評価は毎回変わっていたのが興味深かった。初回は「無理強いするような」次回は「とてもスムース」そして「とてもワパフル」から「驚くくらいディープ」と変化してゆく。彼女自身も同じ施術者でもその度に感じが違うことに感心していたくらいだった。彼女は年季の入った古いマッサージテーブルを所有していて、それは彼女の趣味の部屋に設置されていた。壁には彼女が描いた数々の水彩画が飾られている。ヨセミテを中心とした自然の風景が殆どだ。それを眺めながらレイキをしていると、絵が動き出して水の音や空気の新鮮さや風の音を感じることが容易にできた。

最初に授霊してもらったレイキマスターが言っていたことを思い出す。

「自分が完成された人間でないからといって、レイキで人を癒すことなんて出来ないのではないかと思ったりする必用はない。むしろ、自身の悩みや問題を脇に置いて人の為にレイキをしたときこそ、その力は更にパワーを増すのだよ」

あのときにHに施していたレイキはその類いだったのではないのかな、と思う。実際辛い日々だったけれど、レイキをしてるときは瞑想をしてるかのように穏やかになれるものだから、なかなかそれを中断して帰国しようという気になれなかった。

確かに暮れのTの壮絶な最期は私のトラウマになった。私の離婚劇はそれが切っ掛けになったといってもいいくらいのものはあるかもしれない。しかし、その後ホスピス患者に面しても、相手が死に行く人だからという特別な感情を抱く自分はいなかった。もちろん、情が移った相手が朽ちて行くのを見る時になったら、やっぱり酷く辛くなるのではないのかと思う。

「そう、家族の元に戻るのが一番良いことだわね。多分あなたが戻って来る頃には私は居ないのでしょうけど」

最終日、彼女の足元が不安定におぼついているのに気づいた。私の眼に涙がにじむ。それでも、やはり特に近い知り合いであるからこそ、彼女の最期を看取ることないままお別れを言う機会であってよかったのだと思う。引き継ぎはやはりシニアレイキの仲間でありホスピスボランティアを紹介してくれたジムおじいちゃんにお任せした。彼女もそれでいいと言ってくれた。

「今日、こんなことを気づいたのだけれど」
「何? 教えて頂戴」

Hが嬉しそうに話を聞きたがった。

「私、今凄く辛いんですけど、『辛い』ということは決して『不幸』とイコールではないってこと。『離婚劇がこんなに辛いのならもうしなくていいわ、今までもどうにかやってきたのだし』と思ったら、辛さはなくなったけれど、そしたら急に『不幸』な感じがしたんです。なんでしょう、辛さって何か新しいものが生まれる前の必然の感覚なのかしかね?ほら、産道を通る赤ん坊が経験するような…」

そう他愛も無く語る私に、Hはこの世で一番愛しい人を見るような目で微笑みかけるのだった。




2 件のコメント:

  1. 新しいブログのスタートを待っていました。
    ご実家で休養なさって元気に回復してきてらっしゃるようでなによりです。
    私事ですが、みんな、それぞれの宇宙 の最後に、流れにのって、タイミングをつかみたい。とコメントした直後にそのときがやってきて、主人の対応、転職、新居探し(日本でシングルマザーでパートタイマーが賃貸住宅を探すのは大変なのですね)引越し、子供達のケア、転校と怒濤の1ヶ月を過ごしてきましたが、今日の記事の『辛い』ということは決して『不幸』とイコールではない、にとても共感しました。
    本当に雅さんのおっしゃってるとうりだなぁと。
    まだまだ大変な日々は続きますが、焦らず、愚痴らず、笑顔で!進んでいきたです。

    これからもブログ楽しみにしています。

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    1. うわぁ、本当に怒濤のような一ヶ月でしたね。確かにしんどそうだけれど、新しいスタートに希望の光が輝いているようです!

      私の体調はもう母親の懐かしい味の食事でめきめき回復、なんと既に2kgも体重が増えて顔も丸くなりました!このまま滞在中にどこどこ太っていいのかしら?とかも思いますが、とにかく体力つけてまたアメリカに戻ったら精神的な辛さに立ち向かわなくてはならないのでしょうし?!

      とりあえず、家族の愛情に包まれて今は穏やかでとても幸せな毎日を送っています♪

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