11/27/2015

不食の人


バリ島での滞在先を決めるとき地理的なアイデアが全くなかったので、一ヶ月のステイをホストとたいしたやりとりもせずに適当な勘で決めてしまった。

彼が外国人であったこと、エクスタティックダンスをする人、今までの自分の人生を『Nomadic』と形容したことに自分との共通点を見出したような気がしたからだ。そして、そんな彼が気に入った地域というのは、もちろん私が十分に満足できる環境で大当たりだった。

別れた夫は私を『Bohemian』と形容した。自由奔放に生きる放浪者だと。『Nomadic』とは遊牧民的で、より良い住環境や豊かな土地を求めて旅をする人を言うらしい。自分にとっては新しい単語だけれど、彼のこの言葉を見たとき、自分の状況はまさしくそれであり、今後はこの言葉を使おうと思わされた。




ホストがいない部屋に到着するという異様なシチュエーションで私のウブドの生活が始まった。着いて数日後、やっと階下のホストと顔を合わせたとき、彼のプロファイルの写真からの印象とかなり違っていたことに軽い驚きを得た。プロファイルに古い写真を使っているとしたら、それは私も同様のことなので笑い飛ばして終わりのことだけれど、感じられるエナジーそのものが違うようにも思えた。

病気とは思えないけれど、彼はかなり痩せた感じがする。そして、ゆっくり話ができたある日、彼がしばらく固形物を口にしていないことを打ち明けてきた。断食をしているのだろうかと尋ねたけれど『断食』という言葉に彼は完全な同意を示さない。

クレンズのために何日間と決めたうえでの断食をしているのではなく、彼は『不食』にトライしているのだと言う。実際3年半固形物をろくに摂取していないという女性に出会い、その彼女がとても美しく健康的であるということに驚愕したのだそうだ。

話を聞くと、そのスタートはかなり厳しい。普通の断食同様消化の良いものを少量とる準備期間があり、それからドライファスティング、水さえも飲まない3日間を過ごすのだそうだ。確かに飢餓感はあるのだけれど、身体の調子は絶好調に良いという。毎日何キロも走れるし、エネルギーに溢れていると言う。

「食べないで生きられるなんて考えられないわ」

「それはParadigm。全て頭がそう思っているだけのことなんだよ」

「じゃぁ、アフリカの子供たちをどう説明するの?」

「ふん、確かにそうだな。ちょっと考えさせてくれ」




そんな会話があったけれど、実際私がサンフランシスコを発つ少し前に紀伊国屋書店に足を運んだとき、不食についての本のタイトルが自分の目に飛び込んできたのをはっきりと覚えている。アマゾンで調べてみると不食についての本が結構あることに気づき、その中でも山田鷹夫氏の数々の著書は気になるところだ。次の帰国の際には是非何冊か読んでみたいと思う。

ささやかな知識ではあるけれど、消化にどれだけのエネルギーを消費しているかは知るところ。人は消化をするために食べているという無駄なサイクルを繰り返しているのかもしれない。実際ジュース断食やマスタークレンズを経験したことのある私は、彼がどれだけ気持ちがよくエネルギーに溢れているかを力説した時には納得するところはあった。

ジャスムヒーンという女性はほとんど食事をとらずプラーナで生きているらしい。彼女の著書も読んでみたいと思うが、本の評価では彼女の本を読んで不食を実行命を失った人がいるということも事実らしい。




日曜日にYoga Barnであるエクスタティックダンスに参加したところ、彼もやってきていた。その彼のダンスの勢いというのは、他の誰よりもエネルギッシュでまるでロケットのように飛び回っていたので驚かされた。

ホストの彼がどこまでそれを実践し続けるのか興味深いところだったけれど、ある日果物を食べ始めているのを見て安心した。なんでも視界に不審な現象を感じ、めまいを覚えたので再度食物の摂取を始めたのだそうだ。なんと17日間の不食を体験したのだそう。

今後はどんな食物が彼の身体とエネルギーにどのような影響を与えるのかを観察しながら少しずつ実験的食生活を続けるのだと。ひゃぁ




食べないことのほうがむしろ身体に良いとよいというのは感覚的に理解できる。実際私のこの地の最初の一週間はご近所の勝手がわからず食事を簡素に済ませていた。その頃の方が、今現在、土地の美味しいものを覚え始めてせっせとワルンに通い詰めている現在よりも調子が良かった。今でも夕食を食べないで寝た次の日の朝の方が、はるかに快適な目覚めだということも承知のところ。

サンフランシスコに戻れば、各友人たちとの会食に明け暮れ飽食が続く。食はカロリーや栄養を摂取する目的というよりも、社交の大切な潤滑剤になっている。たとえアクティビティーの趣味が合わなくても、美味しいものを頂きながらくったくのない話に明け暮れるという、その行為そのものが人生の大きなパートになっているのは確かなのだから。




「美味しい=幸せ、というパラダイムを抜け出すのは、相当な苦労と犠牲がいるのかもしれないわ」

彼の力説を肯定するものの、やっぱり私はこの土地ならではの食の楽しみを犠牲にする気にはならない。



ワルンお任せのおかずの盛り合わせ
ナシチャンプルをオーダーするのが楽しみ

黄色いご飯のナシク二ン




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