今の自分の人生は『散歩』だ。
バリのウブドを歩いてそう思った。
目的地に行くことが意図ではなく、その歩いている道そのもの、その場、その瞬間のシーンを楽しむこと自体が意図であること。だから行くはずだったところにたどり着かなかっとしても良しとする。逆にそんなとんだハプニングこそが醍醐味と思える。
時間はたっぷりあるし、急がないし焦らない。
自分が何者かになろうかという気持ちもない。
これってもしかして、リタイアメントライフ?
そうは思っていなかったけど、もしかしたら今の私の状況はそれそのものなのかもしれない、と今更のようにそう気付いた。
自分の奔放さから「ほとんどシングルみたいなもんだよね」と友人たちに言われてきたけど、それでも自分の心に既婚者としての制約がどれだけあったのかは、正式に離婚して初めてわかったことだった。当たり前と言っちゃあ当たり前だけど、自分がその渦中にいるときには、意外と心が見えなかったりする。
「お前いいビジネスしたよな」
メディエイターを使って離婚の手続きをしていた頃、夫が皮肉でそう言ったことがある。
それを友人に漏らした時、私以上に彼女が憤慨していたけれど、それでも私は夫になにも言い返さなかった。カリフォルニアのno fault divorceをただありがたいと思い、静かに頂けるものだけを頂いた。金銭を自ら要求したことはない。
SF市内に住んでリハに明け暮れていた9月末、ダンスパフォーマンスの少し前に別れた夫がいきなりリストラされたことをメールで知らせてきた。
リストラというより、リタイアメントを促されたと言った方が正しい。本人はすでにそうするべきの年齢を超えていたからだ。
しかし異例ではあっても、本人が望むまでは仕事が続けられると思っていた彼の心境を思うと、動揺したし心配もした。仕事以外のなんの楽しみも知らない人で、趣味は持っていなかったから。
彼の心の安否を気遣い、彼の生涯をその業界に貢献したことをねぎらい、必要とあらば家に戻って側にいてもいいし、話を聞くとメールを出した。それに対して、素直に感謝する彼の言葉が返ってきたけれど、彼はまだいろいろな処理で忙しいようだった。
ビッパサナー瞑想合宿に出かける前とバリ島に発つ前、私は家に数日ステイしていた。まだ家には私の名義が残っている。
夫が会社に出かけているわけでもなく、ずっと家に居る状態で私が短期間であるにしても戻るということはどんなものかと懸念したけれど、彼はむしろ私よりも外出していることが多かったかもしれない。
新しいコンピュータを買い、今までと変わらず仕事は続けるのだそうだ。彼の職業脳は止まることを知らぬのかもしれない。
彼は穏やかで沈んでいる様子は見当たらなかった。ひとりの生活にも慣れたようだ。
「俺もお前のようにポジティヴに生きないとな」
そう彼が言ったときには耳を疑った。何年もあれだけ機嫌が悪かった夫の言葉とは思えなかった。
「お前にボーナスをやろう。家を売ったときのディールを少し変えるよ。俺が死んだときに親戚に残す遺産なんて気にしちゃいないからさ。お前の方が長く生きるんだろうし。こんな俺とよく20年もつきあってくれたよ」
アメリカの離婚が怖かった。
アメリカで離婚するということは、双方が弁護士を立て戦って戦って今後の生きる糧をゲットするものだと、周りの話や映画でそう思っていた。何年もかけて争い、弁護士代で多くのお金を失うカップルもいる。夫はそれだけはしたくないと言った。
『決して醜い感情を出さずしてプロセスを踏む』
それだけを指針に時間を経てきた。私にとっては賭けであったかもしれないけれど、アメリカでそんなの甘いと言われるかもしれないけれど、彼に要求はしなかった。結果、それが功をなしたのだと言える。
真夜中にバリ島に経つ飛行機に乗るのに、夫が空港まで送ってくれた。
「バリはいいところだぞ〜。きっとお前は気にいるだろう」
夫は昔から過去の旅をよく語っていたけれど、二人で出かけようとはしなかった。私がお願いして旅行に出かけても、結局はいつも大きな喧嘩になった。旅の伴侶にはならなかった。
「気をつけてな。近況をメールで知らせてくれ」
「送ってくれてありがとう」
離婚して以来初めて暖かいハグをしあった。彼とそんなハグをするのは一体何年ぶりなのかも思い出せない。
「いいね、アセンションの波にうまく乗っているね」
そんな報告をスピリチュアルな友人にしたら、そう返ってきた。
2015年もまもなく終わる。
バシャール曰くの電車の乗り換えは無事出来ている。世界は穏やかで、出会う人もポジティヴな人ばかりだ。
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