4/25/2014

I ♡ KANSAI


新幹線を降り、新大阪から大阪に向かう電車の中ではっとした。同じ日本でも電車の中のエネルギーが違う。混んでいないせいかなと思い直したけれど、やっぱりそれは地下鉄に乗り換えても同様に感じた。後ほど梅田の混雑した地下街を歩いても、私は東京に感じた不安を覚えなかった。人の発しているエネルギーの違いで、こんなにも自分が感じる疲労感が違うものかと可笑しくなるくらいだった。

そのエネルギーの違いを何かと考えた時に、それは人に『自分』または東京にない『余裕』があるのではないかと思えた。もちろん、東京は遥かに都会だけれど、ある地点の密度的なものは大阪でもそう変わらない。金曜の夜の梅田は、まるでお祭りかと思える程の人が歩道にあふれかえっているし、人々も同様に忙しく働いている。

「大阪でなんで『北海道郷土料理』やねん?」

そういうツッコミを入れながらも、その店を予約してくれた友人と3人で久々に飲み食いした。20年前に私が大阪に住んでいた時に働いていた会社の同僚だ。そう、『20年前』であり、私がそこに勤めていた年月は僅か3年に過ぎない。昼間に会ったもう一人の友人は先に辞めていたから、多分に一年半くらいしか一緒に仕事をしていなかったかもしれない。でも、20年間ずっと繋がっていた。あり得ない、と思う。が、もしかしたら関西人には普通のことなのかもしれない。

前回帰国したときの2年前からの流れを包み隠さずに語り、友人のそれぞれが感想を言い、悲惨さも笑いになるような感じで話してしまえば元気が出て来た。

「お茶しよか~」
「グランフロントにいこか~」
「それ何?」
「大阪駅に新しくできたビルやねん。雅さんまだ行ってないの?」

そう言われて目指してみれば、大きくサインが見えたのでそれを『グランドフロント』と私が読みあげる。

「ちゃうねん、グランフロン♪くらいに軽く言うねん。『ド』は発音したらあかんねん」
「なんでや、『ミスド』いうやん」
「ねーさん、それ、まったく関係ないって」

大阪で友人と会い始めたら、私もすっかり関西弁になってくる。それが関西のどこの地方のそれと同じか解らないけれど、大阪に住んでいた3年間のうちにしゃべるようになって、経理の人から「雅さんの関西弁、おかしいわ」と笑われた。そういう努力が実ってか土地の人からは可愛がってもらえた。今回オフ会を開催した店のママは、当時経済的にも精神的にもしんどい思いをして落ち込んでいた私に永遠とタダ飯を食べさせてくれた。私は彼女の店に行くたびに「ただいま」と言う。

ヨーロッパを思わせる路面カフェは夜遅くても満席だった。ウエイティングリストの前には誰もいないことから、ちょっと待ってみたら店内の席に直ぐ座れた。ところが落ち着いてみたら、床の通気口からの風が激しくて、友人の髪が宙に舞った。まるでマリリンモンローの映画みたいに。

ちょいイケメンのウエイターが来たので友人がその気流を弱めてくれるように頼んだけれど、ウエイターは「すいません、それ、ビル全体のものでウチが調節できるものじゃないんですよ~」と言う。

「え~、しょーもないな」
「酷いでしょ?」

そのウエイターの「酷いでしょ?」の一言ではっと思った。そう、これが大阪であり、アメリカに近い働き方なのだ、と。仕事はしてるけれど、そのパーソナリティはそのままそこに存在している。これが東京だったら、ひたすら「すみません、申し訳ありません」とこちらが申し訳なく思うくらいに低姿勢で超丁寧に謝るところだと思う。

「目が乾いてたまらんわ、じゃぁ、こっち移動しよ」

と、客も客で通気口から離れようと、3人でがたがたとテーブルを移動させてしまう。東京ならそんなこと恥ずかしくてできませんから大人しく我慢しますというところかしら。

関西人はのびのびしている。楽しんでなんぼというところがある。もちろん、個人的には東京に住む人と何変わらずに悩んだり落ち込んだりしているのだろうけれど、そういう気質の人間が多く集まっている土地に漂うエネルギーは、確かにまったくとして違うのがはっきりと感じられる。感情も表現も直接的だから、関西人が標準語でメールをしたらどきっとするくらいのキツさもあるかもしれない。音が聞こえないと解らないニュアンスが関西人の表現にあると思う。それもアメリカの直接的な表現に近いのかもしれない。解りやすいと言えば解りやすいし、短絡的でもある。そして、最終的にはとっても温かい。『人情』というものだ。それは20年という時間で私に証明してくれている。ラテン気質に近いと言ってもいい。私にとっては、日本でありながらもどこか海外の街に感じる静かな興奮を覚えられる、そんな土地が大阪だ。




レイキプラクティショナーにとってもメッカでもある鞍馬山、そして伊勢神宮への旅は、15年以上も前にアメリカのカレッジで一緒だった友人と一緒にでかけた。彼女とは暫く音信不通だったけれど、最近急に連絡を取ってきて一方的にマクロビの本を送ってくれたりしたので、こちらで電話で話したらそんな流れになった。10年ぶり近くで会ってみても違和感はまったく感じられない。あのときのままだ。

京都に生まれ育った彼女ははんなりした京都弁でのんびりしている。お互いのテンポが違っていたので、なんだか珍道中になったけれど、それでも過ぎてしまえばとても充実した旅だった。別れ際に「お伊勢参りの珍道中だったね。なんだっけ、すけさんかくさん?」と言ってしまってからそれは水戸黄門だと気づいたけれど、京都に向かう彼女を電車に残して私は慌ただしい別れを告げた。見つめ合う電車の窓を通して投げキッスを送りあう。そして彼女の乗る電車が去り、自分が乗る名古屋行きの電車を待ちながら、それは『やじさんきたさん』だったのだと思い出した。そうだ。遠い日に読んだ『やじきた珍道中』はお伊勢参りの話だった。

どれだけ自分が変わっただの進化しただの言ってはみても、それは外見だけにすぎないのかもと思わされた古い友人との再会だった。『イメージ』というのは容易く変えられる。でも、その本人の気質やエナジーというのは決して変わることもなく、その空間を共にしてしまえば外見というのはそう意識しないものなのだと思う。

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