4/27/2014

誰にも読まれていないかのように書く


私のオフ会での感想を書いてくれたKudoちゃんの記事を読んで、ふとそのときの会話を思い出す。

目の前には彼女と、そして役者を目指すSちゃんが居た。私はSちゃんに何かを伝えたかった。そして英語のクォートを引用した。

「英語でね、こういう言葉があるの。Sing like there's nobody listening, Dance like there's nobody watching.」

それ以上の何を説明したのか覚えていないけれど、それを聞いた彼らがそのセンテンスから何を感じるかでよいかと思った。でも、私は彼にこういうことを言いたかったのだと思う。『売れる役者を目指すな』と。受けを狙った瞬間自分を失う、それよりも地道に自分自身が何者かを知った上で自分にしかない味で演技をしよう、と。多分に。役者は演技をしたところで役者なのだろうけれど、自分でいることで役がついてくるのではないかと思う。




77歳のホスピス患者と春の日だまりの中のスイングチェアで揺れていた時、「君は何が得意なの?」というような質問を受けた。多分に仕事の話とかをしていたときだと思う。そのときに、私は躊躇せず「I can express myself」と応え、その即答に私自身が驚かされた。考えて出て来た言葉ではなかった。

こんな風に誰かとの会話の中に突然きらめく言葉が降りてくることがある。私自身、自身を表す言葉としてそう告げたのは初めてであるし、言葉を聞いてから「あぁ、そうなのか!」という気持ちになり嬉しかったし、何故かしらありがたかった。

運動がてらで始めたダンスも結局はそういうところに行き着いた。自分の踊りが人に観られる、観てもらいたいと思っていたときは苦しかったし、自分が出せなかった。正しい振り付けを覚えようとしただけで萎縮した。でも、Ecstatic danceの『5リズム』のワークショップを取った時、初めて『自分が音になった』そう『自分が消滅した』瞬間さえ感じた。まさしくDance like there's nobody watchingだった。

ダンカンダンスでどれだけのレパトワを踊れるかなどもう気にしないし、ただ女神の衣装を着て自分を表現できるその場が与えられていることだけでありがたい。アルゼンチンタンゴでどれだけの技ができるかを意識しないし、ただ相手とひとつになることだけに専念してればそれでいい。




そして今『Write like there's nobody reading』という言葉が思い浮かぶ。ブログを書くようになってから久しい。その度の気分でいろんなサイトで書いてきたけれど、読者を意識して書くと制限がかかることで自身を失うことにも気づいた。だからと言って、非公開にするまでのこともなく、読んだ人から共感を得られればそれで嬉しいことも確かだった。要は交通量の多い表通りは必要なく、知った人だけが入り込むことが出来る『裏通り店』または『奥座敷』のようなブログ構えが自分にとって居心地のよい場所なのではないかと思う。

読者を楽しませる為には書いていない。読み手の感じ方なんてさまざまなので、それを気にしたらたまったものではない。あくまでも自分自身の記録の為に書いている。気づきを書き留めておくことで自分の中に定着させたり、書くことで自身を進化させるツールにすぎない。自分の意見を認めてもらいたいという欲求は薄いけれど、共振が出来る人と出逢えるのは嬉しい。『自己満足』のレベルがどこかで役にたてばそれはナイスなプラスであり、Work like you don't need moneyなのだと思う。実際お金にならないことにそれだけ時間を使えることは、相当豊かなのだと思う。




「あなたの仕事は何ですか?」という言葉を尋ねられるのがあまり好きではなかった。『あなたは何者=それでお金を得ることができる』という普遍的な質問に同意できなかったし、仕事をしなくて済むならそれに越したことはないとも思っていた。『私=職業』ではない。『私=情熱を傾けられるもの』であってほしい。そして、そう言うなら、私は『自身を表現すること』にいつしか情熱を感じているのだと気づく最近なのだ。




4 件のコメント:

  1. こんばんは☆

    雅さんと私とSちゃんとで交わしたやり取りは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
    あの時、雅さんのお話を聞いている最中、まるで時間が止まったかのような感覚になり引き込まれるように耳を傾けていました。
    とかく自分との対話や内観を重視するヨガの世界もダンス同様、自己表現が必要なんじゃないかと思い始めた今日この頃。
    自己対話や内観によって得られたものをどう表現するか、どんな形でレッスン参加者に伝えるかも指導者には必要スキルなんだと気付いた一週間でした。
    何を今さら…って感じもしますが(笑)
    あの時の会話がいまだに頭の中でリピート再生されるほど、ディープインパクトなひと時でした

    雅さんのブログや雅さん自身との出会い、本当に感謝しています。


    あ、そして
    私の拙いブログをこの場でご紹介頂き、本当に恐縮です(^_^;)
    ありがとうございます。

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    1. 私こそ、素敵な記事を書いて下さってありがとうございます。写真も撮ってくれたのでブログに紹介することができました。

      『自分との対話や内観を重視するヨガの世界もダンス同様…』
      なるほど、そう考えれば確かにそうなんですよね。新しいヨガの世界が広がる感じがします。私も今度ヨガのレッスンをとるときに、もっと内に内にと入ってみます。オフ会でもお話したように、ここのところまったくヨガのクラスをとっていないので。

      次回お会いしてまたディープなお話ができることを楽しみにしています。

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  2. 以前一度コメントをのこさせていただいたっきりですが、私自身ヨガの練習を通して学んだことや気付いたことにたくさんのシンクロをうわーっと思いながら、こっそり読ませていただいてました。お母様をはじめとするご家族との関係やうーんと年下の彼とのことなど、心当たりのあることが赤裸裸に書かれていて、共感したり、安心したり。

    私も雅さんがここで書かれているクオートに2年くらい前に出会って、自分でポスターをデザインして部屋に飾っています。
    Dance like no one's listening, Sing like no one's listening, love like you'll never be hurt, play like there's no winners, behave like mum's watching, dream without limit, give like you have plenty, smile till your face hurtsそこに自己流にand don't worry just breatheと付け加えて。

    オフ会の記事を読んで、イギリスから私もいつか参加できたらなーとしみじみ思いました。実は、雅さんのブログに感化されて、今週末、レイキLevel 1のコースを受けることになっています。ぶっちゃけ「なんか怪しい」という気持ちはまだありますが、だからこそ自分の身体で確かめたいという感じです。

    私もWhat do you do?という質問に違和感を感じてました。それは、私が生活費を得るための仕事と情熱を傾けていることが違うということに関する引け目でもあり、生活費を得る手段=情熱ではないというアンチな思いでもあり。

    そんなことを気付かせてくれる雅さんのブログ大好きです。そしていつか実際にお会いできる日がくるといいなと願っています。

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    1. オフ会でふとこのクオートを思い出して、後で調べてみたらいろんなセンテンスがあるんですよね。『love like you've never be hurt』が出て来た時には「おぉ!」と思いましたよ。『smile till your face hurts』には出逢わなかったけれど、これ、いいなぁ。私の『雅スマイル』は確かにこの言葉とシンクロしています。笑

      イギリスですか〜。15年以上も前に一ヶ月くらい滞在したり、何度か遊びに行ってたりしたのに、最近は足が遠のいています。ロンドンに住んでいる友人とはたまぁに電話で話したりはしているのですが。いつかイギリスに出かけるときにはお知らせしますね。

      レイキ1を授霊されるのですね!ま、私も「なんだそれ!?」から入っていますからお気持ちは察します。とりあえず、自分の感覚で確かめるといいですよね。合う、合わないもあるのかもしれないし。とにかく人生経験!

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