4/14/2014

もう大都会には住めない


都心から電車で2時間の実家に戻って来た時にはほっとした。実家がある場所は主要道路から離れた閑静な住宅街で、その静けさは小鳥のさえずりだけが聞こえるアメリカの自宅と殆ど変わらない。




東京での平日の夜の予定がキャンセルになりうっかり帰宅ラッシュの地下鉄に乗ってしまった時に、そこに充満している『お疲れエナジー』にやられた。特にスーツ姿の中年の男性たちの表情には見るに辛いものがあり、そして遠い昔に自分が何故日本を離れたかったのかを思い出すきっかけにもなった。

宿泊していた銀座のホテルは新橋駅から近い。人々に押されるように電車を降りても行く先が見えないほどの真っ黒な人々の迷いのない行進に恐怖心さえ覚え、出口を見失っても立ち止まることも出来ずパニックアタックが起きてしまった。とにかく流れから逃れることはできたけれど、大きな柱に張り付いてしばらく身動きができなくなってしまった私だった。実家に帰って来て以来心身共に元気になってきたところだったし、東京でも順調に行動していたから、このときは少なからずショックだった。

とりあえずどうにか地上に出て、目の前にあったミスドに落ち着き一息つく。飲茶メニューが珍しかったのでそこで夕食をすましてしまうことにした。列に並ぶ若い女性の髪型があまりにも華やかに盛ってあるので日本人のお洒落度は凄いなぁと関心したけれど、やがてそれは『銀座の夜のお勤め』の女性なのだと理解した。そんな彼女達をぼんやり眺めながらも、永遠と響き渡るカウンターの従業員の独特の鼻にかかった、そして私には丁寧過ぎる程と思える接客言葉が気になった。そこにパーソナリティはなく、その後ろにある『私』はいつどこで目覚めるのだろう?

みんな、仕事してる。

当たり前のことなのだろうけれど、当たり前に思えなかった昔の自分を思い出した。そして、今日までの自分の生活は奇跡に近いものがあるかもしれない、とも思えた。

日本には素敵なモノが溢れていて、それもアメリカの生活では信じられない位の優れもので、美味しい食べ物も沢山あって、TVも慣れたらそれなりに面白く思える。そして決定的なのは『人生考えなくてすむ』。外にある刺激にさらされてるだけでなんとなく日々は過ぎてゆくし、それで悪いことじゃない。「もしかしたら私、日本に住めるかも」と思わされたけれど、その日初めて虚しさを感じてしまった。こうやって立ち止まってしまうから、日本で生きていけなかった私だったのだということも思い出した




そんな経験を東京に住む友人にメールで知らせたところ、帰りのラッシュよりも朝のラッシュの方がハッピーではないエナジーが強いような気がする、という応えが返って来た。帰りの方は、疲れてはいるけど家に帰れる安堵感というか開放感があるのではないかと。彼女自身がそうだからという理由でしかないけれど、それも一理あると思った。今ではすっかり忘れている事実だけれど、こんな私でも20代の前半には大手企業に勤めていたときもある。高田馬場から新宿までの山手線の混み具合といったらそれは悲惨なもので、電車から駅に押し出された時に人混みの中で片足のパンプスを失った。振り返ってもそれが見いだせる訳もなく、半泣きでオフィスまで歩いた記憶が鮮明に思い出された。あのまま大手企業に勤め続けていたら相当な安泰人生だったぞ、と、あり得もしない『もしも』を考えて一人笑った。若い頃はそんな計算もできないから、半年で辞めてしまった私だった。あの頃、ひたすらアメリカ西海岸の空気に憧れていた。

『サラリーマンの疲れた姿は、家族を養うためにそうなっているのだと思って見ると、疲れだけれはなく、愛情もどこかに感じられるような気がします』
メールのその一行に、彼女の人柄を見たようにも思える。そうやってポジティブに世界を見る事も大切なサバイバルのツールだと思う。


「東京はいかに目立たなく、自己を殺してグレーになることが大事。だからグレーじゃない、すなわち『出る杭』は東京で生活する上では必要ないのよ」
以前サンフランシスコに住んでいて、今は東横線沿いの街から代官山のアパレル会社に勤める友人に話したら、そういう言葉が帰って来た。その点では大阪は逆だと思う。私が長い海外生活の後30歳になるときに日本に戻り住んでみようと思って選んだ街は大阪だった。「大阪の方が海外には近い」とその友人も言う。
『人の行進』それがまさに大都会であり、流れが激しく、一旦そこにある大きな石の部分で休憩しようと思っても後ろから来た人に流されて結局そのまま息もつけないから、流れに乗り流されることでしか生存できない。その『流れ』が必用なときもあるし、いらないことも多い。でも、自身を放り込まなければ知らないこともあるし、忙しい波にのまれて生活することが自分にとって必要かないかそれだけだ、と。
『大都会の流れ』はアメリカだって変わらない。NYは川で、上流下流があって、流れに沿って生活し、流されたらどこかに放られてしまうから、それに耐えうる『強い自身』をもつしかないし優しくもなれない。人々の行動は「どいてよ私通るんだから」そのものだ。そのエネルギーの渦に耐えきれずにNYからカリフォルニアに移り住んで来た人々は沢山いる。そして、それに比べればサンフランシスコは流れのない湖のようなものだと。そこに生息する独特の人種があって、多くの人々が賞賛する土地ではあるけれど、そこにいたらその湖の中に浸かっている人にしか出逢えないから、再度刺激を求めて日本に帰国したりどこかに流れて行く人々もいる。


先ほど近所に住む77歳の叔父が、自分で作った野菜を配りにやってきた。プレッシャーのない生活の中で元気に生き、畑仕事を趣味にし、売るまでの量も作らないから親戚やご近所に配り歩いてみんなからありがたがれている。なんて幸せで理想的な老後なんだろうと感心してしまう。若い頃は絶対に実家のあるこんな退屈な土地に住み続けることなんて考えられない、と思っていたけれど、50歳を過ぎた今、程よい静けさと人々ののんびりした気性、そして程よい都会との距離があるこの土地の良さが解ったように思える。
帰国する前にもう一度東京に遊びに出ておいでよ、と友人に誘われたけれど、既にもう『お腹いっぱい』感が満ちていて、それに応える気力はない。エネルギーが満ちあふれ、自分の可能性にチャレンジしたいときこそ大都会で行きていくべきで、エネルギーが弱まった中年過ぎになっても住むところではないのかもしれない。もちろん、その土地しかしらない人にとっては『住めば都』でしかないのだろうけれど。

次は大阪。梅田の地下街の放射線状に行き交う人々を想像して、はやくもビビる私。



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