5/06/2014

日本で社寺巡り 1


一日4時間から5時間のダンカンダンスの稽古が3日続いた。帰国直後の身体にはさすがにしんどかったけれど、ぐらぐらに疲れてバタンキューの毎日だったから、かえって強制的に時差ぼけを治せた感じもする。

ふんわりムードのクラスやワークショップと違って、月末のパフォーマンスを作り上げるリハの過程にはぴりっとしたなんともいえない緊張感があり、それが新しいスタートを意味するようで私にはありがたかった。日本で踊ったのは上京したときのみだったけれど、そうなまっていない身体を意識する。甥と何度か出かけたボルダリングのクライミングや毎朝の軽い体操、そして社寺巡りの歩行で、充分なエクササイズにはなっていたみたいだ。

誕生月の5月に入ってから、更に運気が変わった。鏡の中の自身の姿を見て絶望感を覚えた冬の私は消え失せ、今は顔の肉付きが変わり瞳には光が宿る私がいる。スピリットは高く身体が音楽に溶け込む。光が溢れるスタジオでバーエクササイズをしながら、ふと伊勢神宮のお参りの際に立ち寄った『猿田彦神社』の中の『佐留女神社(さるめじんじゃ)』を参拝したことを思い出した。天照大御神を岩戸から出すために神楽を舞った猿田彦大神の妻は芸能の神として祀られている。訪れて初めてそれを知り、充分に自身の気をそこでシンクロさせた私だった。




今回の日本帰国は、まったくとして計画外で相当な社を参拝する結果になった。『二拝二拍手一拝』これを通算何度行なったことだろう。それもひとつひとつを凛としてかなり丁寧に時間をかけて行なってきた。その度に浄化されるような気持ちになれた。

「雅さん、今度東京行ったら明治神宮行っておいでよ。あそこ気は凄くいいよ」

そんな友人の言葉を思い出し、表参道での用事のついでにふと何気に足を運んでみたときには、特に先入観もなかった。実を言うと今まで何度も原宿にでかけたことはあっても明治神宮を訪れたことがない私だったので、一度は行ってみてもいいかな、くらいの気持ちだった。そして、そのときの経験がその後の私の行動を大きく変えた。

平日の昼過ぎは参拝に訪れる人も少なかった。小砂利の参道を歩いてゆき大鳥居をくぐって御社殿が近づいてきたときのことだ。ぐわ~っとしたエネルギーを正面から感じて驚愕した。それは近づく程に強くなってゆき、心の中で「え?!何これ?何?何が起こってるの?!」って叫んでしまったほど。御社殿で賽銭を投げ入れ参拝しようとしたら、何とも言い難い高尚なエネルギーが、私の丹田、第二チャクラを目指して前から後ろから横からひゅわんひゅわんと凄い勢いで入って来たので相当にびっくりしてしまった。そのエネルギーのあまりの高尚さに思わず「お願いごとなんてそんなだいそれたこと恐れ多くてできません」という謙虚な気持ちにさせられたくらいで、ただただそのエネルギーを静かに受けるだけに留めてしばらくは身動きができない私だった。

その数日前には友人と雷門での待ち合わせのついでに浅草寺の境内まで足を運んで参拝していたけれど、そんな感覚は全くとして感じなかった。5時を過ぎていても参拝客の列は長くできていて、参拝にも時間もかけることもなく普通に軽く無病息災を願う程度。満開の桜が風に舞う仲見世通りは外国人観光客も多く、実家のお土産に『舟和』の芋ようかんとあんこ玉を購入した。友人と近場のトンカツ屋で夕食をしたけれど、あの場はお寺の凛とした雰囲気というよりはどこかお祭りを想像させるような陽気さで気が散れていたように思える。

とりあえず、明治神宮で思いもかけない体験にかなり放心してしまい、ふらふらと歩いていたら絵馬のある場所の前にお願い事を書く紙と封筒を発見した。そこで初めて神妙な気持ちになり、改めてさらさらと願い事を書いた。不思議にも全ては私の愛する人々の為の言葉で、自身の願掛けを思い出して最後の一行にちらっと入れたくらい。正月に気まぐれにおみくじをひいたりすることもあるけれど、小銭を賽銭箱に投げ入れる意外特に願掛けなんてしたこともない私だったにもかかわらず、このときは封筒にお札を入れて願い事を木箱に収めた。

そういえば、2年前に京都に行ったときに友人と阿倍清明神社を訪れたときも相当に驚かされたことを思い出す。クルマの往来が激しい高層マンションが建ち並ぶ住宅街のど真ん中にあった神社だけれど、鳥居をくぐった途端にそこの澄んだエネルギーの強さに驚かされた。まるで筒状に天に伸びてるような感じでそこの空気だけが違っていたのである。そんな風に場のエネルギーを意識したのも珍しく、ここのパワーは信じられる、と思わず普段購入しないお守りをゲットしたくらいだ。

左:浅草寺と桜 右:明治神宮





東京から実家に戻って、父の法事をした広淋寺に大きなしだれ桜があったことを思い出し、温かい春の午後自転車で運動がてらでかけてみた。ここは真言宗智山派に属するお寺で関東八十八ヵ所霊場・第25番にあたるらしい。田舎の畑の中にある小さなお寺に、しだれ桜を見にやって来た人が他に二人ほど来ていたくらいで静かだった。参拝をして心を澄ませてみたら、大変に可愛らしいほっこりしたエネルギーを喉の第五チャクラに感じてふ~んと思った。左横に小さな社があり文殊菩薩座像が祀られている。そこを参拝してみたときには、本殿とはまったく違ったシャープに放つぴりっとしたエネルギーを感じた。このときから社寺での体感を観察する面白さを覚え始めた私だった。もう願掛けの言葉なんか探す必用はない。ただ、心を澄ましてその場のエネルギーに自身のエネルギーをシンクロさせればよいのだと解った。『ご利益』なんてあまり気にしたことなかったし、社寺巡りなんてこれっぽっちも興味がなかった私がいよいよそれに楽しみを見いだしたところをみると、これも年齢を重ねたせいなのかなぁと思ったりする。




広淋寺のしだれ桜



明治神宮のギフトショップで見つけた明治の山茶は古式農法(天然日干番茶)
母の土産に購入してみたらそれは香ばしい美味しさで家族にとても喜ばれた。600円という手頃な値段も嬉しいおすすめ品。




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