6/20/2014

シンクロが続くとき


その人のことを考えていたら、久々にぽろりとメールが来たということがよくあるけれど、意外とシンクロニシティは日常茶飯事に起きているのだと思う。ただ、自身にそれを察する意識があるかどうかということだけで。

最近とみにそれが起こっているのを感じている。シンクロニシティが起きると「あぁ、全ては繋がっているんだな」とか「全ては同時に起きてるってこんな感じかな」と再度バシャール的な思想になる。以前はたまに感じるそれに気づくと、「一体これにどんな意味があるのだろう?」とか「これはきっと運命の出会いに違いない!」とかのめり込んだりしたものだけれど、今現在の私はふ~んと面白がる気持ちはあっても、それを運命づけたりしない。過去も未来も関係なく、ただ、『今それが起きている』という冷静な観察のひとつでしかなくなった。




婚活をしている友人がオンラインデーティングサイトに登録したけれど、もう数日で疲れたという報告をしてきた。期限つきだし、お金もかけて投資しているからという理由で真剣に向き合っているのかもしれないけれど、ひとつひとつのやりとりにエネルギーを費やすタイプの人には向いていないと思う。とりあえず、彼女のリクエストもあって、この先私がオンラインデーティングサイトの気づいたことなどを別記事で書いていくことになるかもしれないけれど、これにもしっかりとした『流れ』を感じる。よく書いてるけれど、美味しい男が落ちて来るのは順繰りではない。とととっと、まるでタガが外れるように一度に降ってくる感じだ。そしてオポチュニティが枯れるとまったくとして動きがなくなる。




最近、オンラインデートのサイトを通してとても良いデートをふたつした。

両方とも普通私がスルーする橋向うの東岸に住む男性だった。でも、そのアプローチの仕方にとてつもない紳士的で無視できないものを感じ、つきあう対象ではないけれど是非会ってみて一度か二度のデートだけを楽しんでみたいという欲求が募り、少々のメッセージのやりとりをした。

長いメールのやりとりをしたり、電話で話してから、コーヒーを飲むだけのちょっとのデートをしてみてから、とかぐだぐだする男はそれだけで嫌なので、直球で『会おう』という意思にすかっと乗ってくるだけの度胸のある男が私の最低条件なのかもしれない。

50歳のその彼は、まるぞりで背が高くそれなりにお洒落で、そのままゲイの街キャスロトストリートにでかけたらとてもナイスにブレンドインする感じに見受けられた。性格はとても温和で思慮深く包容力があり、二人の子供に付き添って育て上げた自信に満ちあふれていた。「君の家の近くで食事をしましょう」というアプローチが特に気にいった。私にとってちょっと受け身過ぎる物足りなさも感じたのだけれど、色気のある店で焼き鳥を食べながらあっと言う間に4時間のおしゃべりが過ぎた。クルマまで送るよ、という彼と一緒に外に出て歩き始めた。

「あなたのクルマ、どこに停めたの?」
「あぁ、これ、これが僕のクルマ」

そう、ほぼ通り過ぎるその真っ白でぴかぴかに輝く高級車に馴染みがない感じがしたので、「何のブランド?」って尋ねたら「ジャガー」とさらりと彼が応えた。決してお金持ちをひけらかす感じの人の印象がなかったので、感心した。ちなみに、私の住むコミュニティにはそれなりの高収入の人々が住んではいるけれど、メルセデスだったり、アウディだったり、ポルシェだったり、BMWだったり、そして堅実にレクサスやプリウス、MINIだったりして、ジャガーというテイストを持った人がいない。だからかなり珍しい感じがしたのだ。

私の目の前にジャガーに乗った男が落ちて来た。そう思った時に、数年前のオートショーの自身を鮮明に思い出した。他のどのクルマにも興味をそそられることのなかった私が、たった一台だけ中に座ってみてその雰囲気を感じてみたいと思い、そうしたのがジャガーだった。もちろん、それを購入して乗り回すことができるような身ではないのは承知だっし特に憧れている訳でもない。ただその頃『引き寄せの法則』を実践していたから、身の程知らずなんて思わずにクルマの中でその波動を楽しんでいた。だから、こういうことが起きると途端に嬉しくなる。バシャール曰く「偶然なんてないんですよ」だからだ。




もうひとりの彼は、私の選択範囲からかけ離れた66歳で、やはり東岸に住んでいる頻繁に会うことはないだろうと思われる地理的条件の人だった。しかし、彼のアプローチに自信と余裕、そしていくぶんかのセクシーさも感じられたので、とてもそそられた。会ってもいない男をダンカンダンスのパフォーマンスに招待したら、彼は喜んでショーを観に来ていた。自分も自転車野郎でツアーで若い人に頑張って付いて行っているので、私が30代のダンサーたちと一緒のリハーサルに付いて行く辛さを充分に理解してくれていた。観客席にいる彼の笑顔が眩しく光っていたのを発見した。その日はほんの一瞬の挨拶で彼は姿を消したけれど、それだけでも充分に好印象が残った。なのでアーティストでもある彼のスタジオを見たいとリクエストして、日を改めて他の用事も済ますついでに橋向うに出向いた私だった。

彼がどんなクルマに乗っているかを気にするのは、きっと私がバブル世代だからだと思う。自分がクルマで乗り付けたら、私がそのままMINIを運転してレストランに出向くことになるかもと思い、珍しく電車で出かけてみた。案の定、駅まで迎えに来てくれると言った男だったけれど、クルマは恐ろしく汚くてかなり驚いた。車種をチェックしたらトヨタのハイブリッドなので、いかにもその街に住む人特有のエコの姿勢を感じ取った。クルマの後部座席が倒されていて竹が数本置いてあり、ガーデニングのプロジェクトの途中なのだと悟った。66歳、初めての女を迎えに行くにも、あくまでも『普段の自分』を崩さぬ頑固さか。

「さぁて、我々はお互いを全く知らない」

そう話を切り出す男の言葉に私が大笑いすると、「少なくとも君は良い笑い声をしてるということを今学んだわけだ」と男が返した。私は『自身を取り繕う』こともできたけれど、彼の元では一瞬にして『地の私』だった。

彼の家は1951年に立てられた小さな作りのチャーミングな家だった。その家の前のガーデンからいきなり見たこともないような珍しいサボテンが溢れていたので感心した。家の横の入り口には大きな芸術的で可愛い鉄のゲートがあり、そこから中に入ると甘い香りに包まれた。キウイの樹が花を咲かせていた。庭に顔が掘ってある大きな石があり、それで私が昔彫刻のクラスをとっていて石を彫っていた一年間のことを話した。

ガーデンから家の中に入ると小さなキッチンだったけれど、白いカウンターに赤いセラミックのシンクを見て可愛いと思った。目の前の窓辺に赤いおちょこが4つ程並んでいて、そこに薔薇の花が座っていた。お茶を入れてくれるという彼が取り出した白いマグカップは、私が毎日使っているそれと同じものだし、キャビネットには私が飲むブランドのハーブティーが収まっていた。ダイニングテーブルには沢山のアート本が積み上げられ、そこにサンフランシスコバレエのカレンダーを見た。私は誕生日に観たサンフランシスコバレエ公演の話をした。恐ろしく人なつこい猫が居た。ソファに少し離れて横向きで向き合うように話していたら、猫が私の置いた腕の上でくつろいだ。

フランス語もしゃべるらしいし、どこか中東の人?とか思いながら彼のバックグラウンドを尋ねたら、NYはブルックリン生まれのユダヤ人だと知って「あぁ…」と思った。メールを交換しているときから、夫と重なるところをしっかりと感じ取っていた私だったのだ。「またかいな」という半分呆れた感覚も得た。ハーバードで法律を勉強している最中に自分の人生が決まってしまったことに絶望して、ロイヤーを6年で辞めてしまい、映像関係の学校に行き直した。だから『黒澤作品』を通して日本の知識を得ている。とにかく彼と一緒に居て居心地が良かった。最近の私の身に起きたことは正直に話せた。話している最中に「なんて高尚で深い言葉なんだ!」と彼が唸ったときが2度あった。それは「幸せの青い鳥は実家に居た」という話題と「サレンダーでいることに凄く興奮する」と私が話したときだった。

確かに爺なんだけれど、彼にはどことない色気があった。リビングのコーヒーテーブルに『レナード・コーエン』の本があった。音楽を殆ど聴かない私がマドンナと並んで良く聴くアーティストで、彼の修行僧になった事実とかにも憧れている。マントルピースの上にはメキシコはオアハカで作られるヒメネスのヘタウマアートのアニマルオブジェがあった。私もメキシコでそれを購入して家のキッチンに飾っている。彼のそれも私もそれと同様、耳と角が壊れて取れていた。

おしゃべりに夢中になっているうちに、友人が努める日本レストランの予約の時間が近づいていたので、彼のスタジオを見学しないまま慌てて家を出ることになってしまった。そのくらい、彼は自分の作品を見せることなど気にしていないようだった。ガーデニングのおっさん臭いフリースのベストの下はコットンの白シャツとジーンズだったけれど、それを脱いだ彼が壁から取ったヴィンテージものの茶色の革ジャンを見て、私は一瞬くらぁっと目眩を感じた。それは私が30代の終わりに苦しいくらいに惚れたフランス人のマッサージセラピストが愛用していたそれそのものだったから。ここでさすがに『不思議な繋がり』を意識した。

友人が努める日本レストランに落ち着き「どぉれ」と言って二人が老眼鏡を取り出してメニューを覗いたときに、熟年カップルのデートなんだなぁと思わされた。彼は私の選ぶ珍しいメニュー全部を口にし、ひとつひとつに感動してくれた。話は尽きず「あ、それ、俺、論争できるぞ」と言いながら、お互いの意見を言い合った。ロマンチックとは言い難いけど、私の好きな殿方のタイプだった。




二人とも素敵だったけれど、彼らは決して追い掛けてはこない。若い男たちと違ってがつがつしてないし、いろんな人とたまにデートできたらいいかなくらいのノリのような感じもする。婚活をしてるから時間の無駄にしたくないと考える人にはフェアでいたいと思うので、私も自分の境遇を正直に話しておいたから続かなくても当然だし、先がなくていいとも思っている。まだ離婚もしてないことだし。でも、このデートの後は数日ほわんとしていた。友人に報告をしながら、66歳の男の写真を見せたら「お宅の旦那さんそっくりじゃない」と言われた。

このふたつのデートで自分が引き寄せる男の質が凄く上がったなぁ、ということを実感した。もっともその昔の私はドレッドヘア風のアーティストを気取っていたし『引き寄せの法則』に気づいていなかったから、『ゲテモノや超貧乏男マグネット』になっていた感じはある。2000年のその頃、『ゆうきれいら』というプロフィール名でちょっとダークなSFナイトライフの話を書いていた。飲めないお酒と煙草、ハウスミュージックをBGMにSex and the Cityのノリのような女子友の繋がりがあった。あの頃、みんな一生懸命恋愛していた

と、昔をほんのり思い出す。

私は確実に進化している。



2 件のコメント:

  1. 素敵に読ませていただきました☆

    今日の内容を読みながら、安室奈美恵さんのLove Storyという歌の歌詞が頭を巡りました。

    進化し続けている雅さんに共感!

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    1. 早速YouTubeで安室奈美恵さんのLove Storyを聴いてみましたよ。
      なるほど、こんな歌詞なのですね。

      素敵な時間だけが通り過ぎていった感じです。中年以降はきっと何物にもしがみつかないのだろうなぁって思わされた出逢い。あるのは目の前の『日常』で、そこにちょっと新鮮な風が吹き込んだことで満足できるくらいの、そんな執着のなさなんだと思います。

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