6/15/2014

熟年離婚


ダンスリハーサルが続いていた5月に後回しにしていた社交をこの6月に消化しながら、明るく元気なバイブレーションに満たされて、私は多分『Summer High(夏の躁状態)』に入っている。ブートキャンプに戻り、踊ってはいたけれど肩の筋力とか落ちてるな~と気づかされながら、朝一番でウエイトトレーニングや走ったり飛んだり跳ねたりして汗をかいている。




友人に会って近況報告をする度に、自分が夫に関してどういう気持ちを抱いているかが言葉となる。「彼はとてもGenerousよ。充分にしてもらっているわ」と友人に告げるそれを自身が聞くことによって、心の余裕を認識する。ホ・オポノポノは効いている。私は穏やかで落ち着いてる。

離婚の準備はスローだけれど、それでもこれは期間限定的なものと解っているので、夫と一緒に暮らしているのは苦痛ではなくなった。私たちの離婚はゆっくりと港を離れている船のようだ。お互いに『新しい人生が待ち構えている期待感』の方が『別離に対する感情』を越えているようにも思える。


『全ては完璧なタイミングで起きている』ということばを噛み締める。今までの何時ではなく、今このタイミングで『win x win シチュエーション』で離婚をする。今までこの『離婚』という文字のイメージにやられていたような気もするけれど、単にお互いが個人の生き方を選択するということだけなので、ネガティブな感情はもうどこにも発生する必用がない。





日本だったらぺらぺらの紙にサインして済むだけの簡単手続きだけれど、こちらではいろいろ複雑なので、離婚を意識して私が最初にしたことは『離婚セミナー』に参加してみることだった。親や友人に付き添われて眉間に皺を寄せた女性達がやってきていた。そして、離婚に一体いくらかかるのかと心配していた。セミナーを開催した弁護士は個人によって違うので何とも言えないと返すだけなので質問者は不満気だったけれど、場合によっては$50K(500万円くらい)かかるとも言う。弁護士の相談料が平均的なところで一時間250ドルとして、相手が意地悪して揉めたら合意するまでに数年かかる場合もある。先日会った男性は離婚に5年かかったとこぼしていた。一体彼はいくら失ったことだろう。まさしく「お金がないから離婚出来ない」という言葉の意味を深く理解させられた感じだった。

これを言うと「まるで映画みたい」と友人に笑われるが、Divorce meet upにも参加したことがある。話はこの場だけに留める安全な場所。お互いの話を聞くだけ。アドバイスはしない。ここで知り合った人同士のデートは御法度というルールがある、そんな場所に顔を出してみるのもひとつの経験だった。そりゃいろんな話があるのものだと感心するし、参考にもなる。でも、旦那のDVから逃れようとしている人がいたり、どろどろした雰囲気があまり私のタイプではなく、自身の不安を増長しそうな気もしたので一度きりでもう行きたいとは思わなかった。

いろんな離婚のケースがあるだろうし、私も不安に押しつぶされて病気にもなったけれど、夫は弁護士に払うことでお金を失うくらいだったら、『にこにこ離婚』にしてその分私に渡した方がいいと考える合理的で冷静な人だ。法的な部分はメディエイターという仲裁人を使うだけにして、自分たちだけで離婚できると信じた。もう戻れないのだと悟ったらお互いの感情は驚くべき早さで治まった。





「お前、オンラインデートしてるだろう?」

日本から帰って来て一番最初の話し合いのテーブルでそう夫は告げて来た。彼と話し合う前にDに打診していたから、彼女が夫にそう打ち明けられたと聞いていたので驚かなかったけれど、最初は「彼、私のPC覗いていた?」とか思ったりした。でも、PCは日本に持ち帰っていたし、となれば彼自身がそのデーティングサイトに登録したからに違いないだろうと思っていたら、案の定そうだった。

「どうして知ってるのよ~♪」

そうにんまり笑う私に、夫は照れくさそうに「離婚するまでは何もしないさ」と返す。

「お前が載せてる写真、綺麗だな。でも、プロフィールのステイタスに『別居中』としている女ってそういないぜ」

「だって、そうじゃない。日本には『家庭内別居』とかいう言葉があるけれど、調べたら英語でもあるのよ。『In house separation』っていうの。私たち、まさしくそれでしょ?」

「んじゃぁ、このままそうしていたら?」

え~、だって、友達とか自由に招待できないじゃない。嫌よ」

「え、おれは別にお前が友達よんでも構わないよ」

「私のボーイフレンドでも?」

「… あー、そうかー。それは嫌だなぁ。ははは~」

という感じで、以前では考えられないような次元の会話が起きた。実際に彼がオンラインしているのをちらっと見かけたりする。なんだかちょっと楽しそう。まぁ、夫も歳はいってるけれど、その辺の同じ歳の男達よりはずっとこざっぱりとしているし、年収も最高ランクで表示できるからまだまだ女性を惹くことはできるのではないだろうか。仕事もそろそろリタイアすることも考えているし、多分に彼にとって新しい人生はむしろ『楽しみなもの』にシフトしている。そう解ると、なんだかとても安心できるし罪悪感もまったく感じないで済む。ジェラシーみたいな気分はまったく発生しない。お互いにとっくにムーブオンしているのだ。

悪気なくオンラインデートができるという環境が夫を少し解放したのかもしれない。2ヶ月別居して、独り者の気軽さを実感したのかもしれないし、思っていたほど寂しくないものだと理解したのかもしれない。自分がでかけるときには説明なしのくせ私がでかけるときには相変わらず親のようにうるさいけれど、それも同じ屋根の下に住んでいるうちは心配もあるし仕方がないかな、と私も夫にイラっとこないように努めている。




家にある程度のお金があるということは知っていても、管理していたのは夫だし、細かくは言われなかったけれど、彼のお金だから彼のお金に対する価値観を尊重した使い方を私は無意識にしてきた。そこから自分の気持ちを解放するにも、セミナーとかを受けて自分のお金に対する意識を改革する必用があった。だから、離婚で財産分与をしたときに、持ち金は減っているにも関わらず、自分の頭の上に空から大きなお金がどんと降って来たような感覚がした。私がたとえ結婚せずにあのままキャリアウーマンを続けていたとしても蓄えることのできなかったであろう金額が手に入ったのだから。専業主婦という立場にあった、見えない『足かせ』がぱちんと弾けたような感じがした。

自分が今後不幸になんてなる訳がない、という根拠のない自信さえ生まれてきた。己の人生の『流れ』、お金の『回り』が肌で感じられる。宇宙が与えてくれるものを完全に信用して受け取ることができている自分がいる。それが心地よい。

『Free at last! Free at last!』とMartine Luther King Jr.の声が脳裏に響く。



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