7/02/2014

年下彼、再び


シャスタ山にはこの正月に別れていた子犬君と出かけていた。

自身を含め「はぁぁああ?」という感じなので恥ずかしいけれど、別のバラレルワールドに移ってしまったので、何事もなかったようにメールで優しい声をかけてきた彼にあえてねちねちする気持ちも起こらなかった。もちろん、「やっと切れた状態になったのに、ここで負けるのか?」という声も聞こえなかった訳ではない。でも、それよりも「過去も未来もない。『今』だけ。さぁ、ワクワクすることをするなら何する?」とバシャールの声を勝手に再生し、自分に最もらしい言い訳を作ってしまったと言った方が早い。もちろん、バシャールの言うワクワクとはこういったものとは違うのだけれど。

父の日の日曜日にサンフランシスコの市内に出かける用事があったので、ついででランチを誘ってみたらさくっと子犬君はやって来た。半年近く会っていなかったけれど、いつもと変わらぬ適当に他人行儀な彼が居て、恋心も湧かなかったし、嫌悪感も生まれなかったから、特別な感情も覚えぬままさくさくとその週末の旅を計画した。多分に私たちはお互いがうんぬんと言うより、ただ単にシャスタ山に行きたかっただけなのだろう。少なくとも彼に一緒に旅に出るまでの新しいガールフレンドができていないことだけは確かだった。

ところが行きのクルマの中で「…」という状態がやけに意識され、ホテルに着いてからの彼の態度に私の気持ちが不安になり、やっぱりこんな遠いところに来るんじゃなかったと後悔した。そんなとき、突然遠い昔の20歳の頃の自身を思い出した。要領の悪いボーイフレンドに旅先で機嫌を悪くし、私を上手になだめることができなかった彼に更に腹が立ち、そのまま宿をキャンセルして帰路につかせるようなことをしたのだった。元来男に対しては相当にビッチな女なのだよ、私は。

ずっとそんな思いを抱えていたところで再度勘に触る所があり、夜にとうとう私はキレてしまった。そして、エネルギーの良い筈のシャスタに来てこの有様とはどういうものかと、かなり自己嫌悪に陥った。お互いの沈黙が続く中、私はひたすら『ホ・オポノポノ』の言葉を呟き続けた

「ありがとう。ごめんなさい。許して下さい。愛しています。あなたに起きている全ての事は私の責任です」

嘘でもそう呟き続けていると、気持ちは、世界は変わる。子犬君から一言が発せられ、小さなきっかけを作ってくれた彼に対してありがたさを感じたと同時に、この旅が終るまでは母親のような無償の愛を持つことにしよう、そう決めたらその後からは光に包まれたような時間だけが過ぎて行った。




恋愛はしんどい。なぜなら常に自分の醜いエゴを見せつけられるから。好きな男に対して私の心はかなり貧しくなる

「私が望むように愛してくれなきゃ嫌」

そう叫ぶ、20歳当時の私がまだ生きている。そしてそれから外れた態度を取った彼に、お姉さんぶって我慢に我慢を重ねても、やっぱりある時点でぶちりと切れて突き放す。

「姐は容赦ないねぇ」そう年下の旦那を持った友人が笑う。「でも、だから、8年経ってもちゃんとやることやってもらえるんだよね。私は最初に甘やかしてしまったから、もう取り返しがつかないんだな」とは感心していたけれど。




最初の夜にひやりとしたけれど、彼はそれを根に持つことはなく、または根に持ったとしてもそれを私に微塵に感じさせることなく、旅は充分に充実した楽しいものに終った。私たちの間には確かな距離がある。多分にそれが長続きした理由でもあるし、寂しさを感じて終わりにしてしまおうと私に常に思わせるものでもある。でも、この旅の間に私は更に彼の良さを沢山発見した。昔は頑張って頑張ったものが今はさらりと自然にできる紳士になっている。彼の話し方、声、礼儀、手にとてつもないセクシーさを感じる。彼にレイキをしながら、その彼の閉じた瞳の綺麗な肌と童顔が残る顔を見つめて静かに感動する。彼は恐ろしく年下なのに充分に私をテイクケアしてくれる。

そして、旅の間に私は自身を何度も恥じることになった。決して彼から何か嫌味を言われた訳ではないけれど、行動をしてしまってからふと自分のオバさん臭さにはっとすることが何度かあったし、彼の他人に対する態度を見て自分に足りない『思いやり』を認識することがあった。

彼には素敵な女性だと思われていたい。そういう気持ちがあるから、言われなくともそうでない自分に気づくことができる。自然な私のままでいられることは大切だけれど、雪崩のように婆臭く朽ちていかないようにするにはある程度の緊張感は必用だ。あれほど彼に合わせて3食がっつり食べて来たのに、家に帰って来たら私のウエストは信じ難いほど締まっていた。




子犬君に対する私の想いは、多分に夫が私に対するそれと酷使しているのではないかと思える。私が何をしようと何を言おうと、夫が望むように愛さなければ彼が気に入らないのは、子犬君の私に対するそれに満足しない私と同じことなのだと思う。私が結婚している以上、子犬君は心の一線を越えることはなかったし、私にも夫に対する程の甘えは起きない。夫は20年の歳月で、私に委ねるところは完全にダレきって自分で考えることさえやめてしまった。そして私も恥しらずな態度をとってしゃあしゃあとしている。だからこそ、子犬君がうっかり長年連れ添った夫婦のような『ダレ』をみせようなら、私は容赦なく突き放すということをした。『ダレた関係』は二人もいらないのだ。




二人の間の距離のほどよい案配、それがベストな関係のツボなのだろうけれど、それは個人的にも差があるし、本当に難しい。どこかで離婚した男性が言っていた言葉を思い出す。

『自分は離婚して初めて、自分のケツさえも持って歩く事さえしていなかったことに気づいた』

離婚に同意してからの私と夫は穏やかに同じ屋根の下で生活している。二人の関係に距離ができたことで、期待もなくなれば苛立つこともないし、残り少ない日々をストレスなく過ごそうとそれなりに気を使ってる感もある。そして何より、ボケが入ったと私を不安にさせていた彼が、いきなりしゃんとして生活しだしたのだ。だったら、何故ずっとこのまま一緒に暮らさないのだろうと思うのだけれど、やっぱりリセットした人生を送りたいと思う方が強いのだと思う。




旅行の後、ちょっと恋愛モードに入ったけれど、楽しかったねと別れた後はやっぱり音沙汰なしなので、物足りないまま私の気持ちも元に戻った。今度いつ会う約束もなく、またこのままお互いが積極的にならなかったら平気で半年が経ってしまうこともあり得るのかもしれない。決して私たちは恋人にならず友人にもならない。忘れた頃に一緒に旅をする『旅行友達』なのかな、と新しい関係の名前を見つけたと妄想したりもする。本当に関係が続いているのかどうかも解らないままに。

私は定義づけたり結論づけたりするのが好きなのだと友人が言う。言われてみればそうだなと思える。でも、もうここまできてしまったら『名前のない関係』があってもいいじゃないかと降参することにした。そして、「何回別れを繰り返す気?」と尋ねられ「永遠かな」と応えた私は『終らせる』ことさえも諦めたようだ。『サレンダー』、もう関係にあらがうこともしない。

もしかしたら、このまま暫く会うこともないまま思い出した時にふと巡り会うような、そういう関係でずっと続くのかもしれないし、夫もすっぱり切れることもないまま離れて暮す家族のような感覚を持ち続けるのかもしれない。とりあえず、『これっきり』というのはなさそうだ。

子犬君には私が離婚することをまだ告げていない。それが出る完璧なタイミングというのも、またあるのだと思う。



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