7/25/2014

ぼちぼち離婚


「やっと5リズムにいける!!!」

そう思って月曜日に準備をしていたときの私は、まさしく『魂のワクワク』だった。「バシャールのいうワクワクはここかなぁ、ここなんだなぁ、きっと」と思いその場に駆けつけたにもかかわらず、なんとウエーブの途中『カオス』の音楽に辿り着く前に目眩を感じて撃沈。会場の端の方に仰向けに横たわり自身にレイキをかけながらも、驚く程長く長〜くなる呼吸に「もしかしたらこのまま出てしまう?」という不安を一瞬覚えたくらいだった。ヨガのインストラクターがするように、誰かが私の肩を押してくれて第三の眼に指を当ててくれたが、目を開ける力も無くただ手を合わせただけだった。一体誰がしてくれたのだろう?

脚の手術をしてから動かなくなったのが祟ったのか、体調を崩している。一日30分のウォーキングもずっとサボりがちで、眠くてだるくてやることが先送りになっている「なんかな〜」の状態。『停滞期』を感じるまではいかないけれど、ブログに書くこともないというか書く気にならないというか。でも、そんなだらだらの生活の中でも好きなだけ布団の中ににいられる自由さに幸せを感じている。

それでも私のアンテナは『本質が見え始めている時期』を察知しているかな。自分の思考の変化や身の回りの人に起こっている事件などから、何度もそう思わされている最近だ。




特に急ぐ訳でもないし、なんだか訳の解らない書類を揃えるのが面倒臭くて先送りにしていたけれど、昨日やっと早起きをしてコートに出向きアメリカでいう離婚届けの第一歩を踏みだした。来年の税金の申告をジョイントでしたいという都合でファイリングを7月まで待っていたのもある。

『file the divorce』ーーーアメリカ映画で良く聞くこの言葉を自分がするとは夢にも思っていなかった。必用書類を揃えて435ドル払って『離婚をしたい』という片方からの意思表明をするもの。アメリカでの離婚の法律は州によって違うのでなんともいえないけれど、カリフォルニアの法律では片方がこれで離婚の意思表示を示せば、どちらの落ち度とか理由に関わらず嫌でも財産半分この離婚が成立する。これで夫との財産分与がもめなければ、暮れまでには離婚が成立するような感じだ。

机の上にあるありとあらゆる大きさのはんこを何枚もの書類にざくんさくんと押して行く窓口のおばさんは「今日一番の離婚書類ね♪」と嬉しそうに呟いた。結婚した二人に一人はこれを経験するなら、特にドラマということでもないのだろうな。

早起きをしたお陰で、パーキングの制限一時間内に処理が済んだ。窓口を離れたときには後方に長い列が出来ていた。弁護士っぽい雰囲気の人が多かった。




先日弁護士のオフィスで夫と待ち合わせして、生活費の相談に入った時にはやっぱり少し緊張するものの、夫の出方を待っているという感じだ。

「これは義務ではないのですが、旦那さんの過去二年の年収からカウンティの計算法に基づいた方法で奥さんへの生活費を計算するとこれだけになります」

そう弁護士が見せてくれた数字を見て「♪」という気持ちになった。2月の頃、何も解らずに自分の中だけで不安だけを募らせて病気になっていたのが嘘のようだ。夫は自分が考えていた金額よりも遥かに上回っているそれを見てかなり動揺していた。

「奥さんはどうしたいですか?」

という弁護士の問いにも「さぁ、一番の目的はお互いにストレスにならない離婚を成立させたいんで…」と、チラと夫を見るだけののんびりした私。お金に関しては争ったり奪うものではなく、自身に見合う額を『差し出されたい』と考えるのは甘いのかしら

「なんともまぁ、崇高なお考えですねぇ」と呆れたように弁護士が言い「じゃぁ、どれだけ必用かをちゃんと書き出してきてください」と宿題を出された。今まで生活費を全くとして見つめずに生きて来た自分を意識させられた。それもまたラッキーな生活だったのだ。

それでも夫のちょっとした感情の乱れを目の前にするのはやっぱりストレスを感じる。オフィスを出て「では家で」と別れたものの、私の身体は小刻みに震えていた。そのときに感じたのは「ホームテイストを感じたい」だった。病気のときもそうだけれど、こういうストレスを感じる状態になって一番落ち着くのが『日本の味』なのだ。ラーメンを食べたかったけれど、中途半端な時間だったので開いてる店がなく、仕方がないのでアンデルセンベーカリーでプリンアラモードを食べて気持ちを落ち着かせた。

暫くして家に帰ったら、夫はもう普通になっていて、特に機嫌が悪いとかぎこちないとかそんな雰囲気でもない。生活はまったく変わっていない。ただ離婚するという未来があり、お互いに男女としての期待がないだけ気は楽だ。こういう『ぼちぼち離婚』というのもあるんだな、って自分でも感心するくらい。




20代の前半や30代前半のOL時代の貧乏生活のトラウマがあった。トラウマと言っても今思えばそう大したことないレベルに過ぎないとは思うけど、それでも当時の自分にとっては周りの同年代が激しく羨ましかった。お小遣いとして使えるお金がほぼ無かったので、夢というか『切望』は『欲しい物が欲しい時に普通に買える金銭的余裕のある生活』だったし、実際それは実現した。それどころか、その後の自己啓発等への投資で『したいことをしたい時にできる精神的余裕のある生活』にもなった。それだけでも贅沢な話なのに、それが究極になってゆく。無理強いした訳でもなく、サレンダーで身を任せていたら流されていく方向性だ。

30代の鬱の頃、夫と一緒になったことを選んだ事は間違いだと強く思わされた。そのとき『離婚』を夢見ていたし、その後も幾度となく蘇るその気持ちはあったけれど、つきつめると激しい『恐怖』によって打ち消された。その生涯抱えていた『恐怖感』が今はない。不思議なくらいに未来に不安はない。『展開してゆく宇宙を信頼している』ということか。




この3ヶ月、SFベイエリアはからりと晴れた気持ちの良い日が続いている。でも、サンフランシスコ市内はそろそろ霧につつまれる真冬のように寒い夏に突入する。サンフランシスコの文化はとても好きなのだけれど、その寒さが辛いので市内にでてゆくのがおっくうになってくる。

静かな郊外のこの家にいられる間は、とろとろと昼寝をまどろんでいる。そんな自由な時間があることに本当に幸せを実感している。制限があるからこそ、貴重だと思える『今この時間』。これが一生続くのだと思うと、絶望さえ感じてしまうときもあったというのに。

もうよそ見もしない。自分が幸せだと感じられるのならそれで良しとする。健康が一番。




3 件のコメント:

  1. はじめまして。

    46歳、彼と別れて辛いです。そんななか、ホオポノポノに出逢い雅さんの所に辿りつきました。

    あるがままでいたら、落ち着く所に落ち着くのでしょうか…

    離婚して10年経ちました。あの葛藤の時期も今も私は何も変わってなくて、同じような別れをしてしまうのか、、

    あらがわない生き方にまだ辿りつけなくて、もがいてもがいて辛いです。

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    1. 水の中でもがくと、無駄な体力だけを使っていずれは溺れてしまいます。
      怖いけれど思い切り身体の力を抜いて身を任せると、身体は必ず浮くようになっています。

      生きることも、そんな感じだと思います。

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    2. 雅さん…
      ありがとうございます。

      焦って、悩んで、不安になってたら気持ちも身体も沈んでいました。。

      力を抜いて受け入れてみます。

      ありがとうございました。


      あさひ

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