2/09/2019

雅さんに会いたい

半年も前からコミットしていたダンスマンダーラのアドバンスコースをドタキャンした。全て準備してチェンマイ入りしてからのことだった。

真面目な自分の行為としてはあり得ない話だけれど、腹でわかってしまった以上もう無理にお金と時間とエネルギーをかけて受講することに興味が持てなかった。と言うより、それ以上に取りたいコースに出会ってしまったと言う方が正しい。

先生から変更許可をもらうまではまんじりとしない時間を過ごしたし、何ヶ月も前から固めていたチェンマイでのコース期間の宿をキャンセルすることや既に購入していた帰りの飛行機のチケット、更にタイでのステイを伸ばすための新しい宿、全てをプランし直すのに神経を使いまたストレスを増やした。

あまりの情けなさについ事の起こりを嘆いてみれば、周囲の人々の状況の深刻さにも目をみはるくらいのものがある。苦しいのは自分だけではないと気づき「水星逆行してる?」と言う言葉が口をついたくらいだ。暮れから続くストレスの連鎖はどこまで?と思ったけれど、2月4日の立春のニュースに気づいた頃にはもう空気が変わっていた。露骨にもそういうのが敏感に感じられた。どうやらこの新しい始まりの時に先駆けての大きな「試されてる期間」が人々に起こっているのかもしれない。そして、私のケースでは落ちきって底に辿り着いたのか、今の時点ではもう上昇しかないようにさえ思われる。




偶然と思うには重なりすぎていることがたくさんある。今回日本を出てからの旅で知り合う人々は、皆一様にエンパスであり「憑依体質なのよ」と言う言葉が躊躇されることなく飛び出してくるような会話ばかりだ。皆、スピリチュアルな体験をしているのに、スピ系のグループが苦手な一匹狼。むしろ、痛い思いをし過ぎてもうそんな能力さえいらぬと顔を反らしている。そんな彼女たちの話を聞きながら、私も自身のインドやホスピスボランティアの経験を思い出して身震いする。一対一では話は合うが、群れないし深入りもしない。ただ私と違うのは、自分の位置をもてあますことなく既に落ち着いている感がある。それが羨ましい。

そんな人々との会話から気づくことは沢山あったし、その出会いによって私はまた新たな方向へ流されてゆく。サレンダー、それこそが自分の望みなので、大きな計画変更もしんどいことではあったけれど、その先にほのかに希望の光が見えるのがワクワクの波長を生むのでこれで良いのだと思う。




ダンスマンダーラを習得してそれぞれの国に持ち帰ったファシリテイターは、一様に打ちのめされている。チェンマイではこんなに盛り上がるそれも、母国の人々には受け入れられずここの興奮を経験することはない。そしてこのスタジオに戻ってきてホームを感じている。今回も私がチェンマイのスタジオでファシリテートする機会を与えられた時のそんな彼らの反応は実に気持ちがよかった。そしてなんとなくわかってしまったことは、この場所とこのグループであるからダンスマンダーラが存在するのではないかと言うことだった。

そう気づいた瞬間、私の気が削がれた。そして去年目もくれなかったSheDanceという別のワークショップに惹かれる自分がいた。今、やりたいのはこちらなのだ。来年に先延ばしすればと頭は自身に言い聞かせたが、腹がうんと言わなかった。私は、今、SheDanceの奥に存在する未知のそれを習得する必要があると、今回チェンマイに来て腹に知らされてしまっている。




自身でダンスマンダーラを踊っても、自分のスピリットが湧き上がらないことを実感する。身体が重い。溢れる興奮も喜びもない。でも涙は出る。

今夜先生がファシリテートするダンスマンダーラのスピリットを踊った。静かな動きではあったけれど、入った。そして、私は雅さんに出会った。脳裏に降りて来たのはこの彼女だった。

2017年2月

たった2年前なのに。私は先日、バリのシドメンのこの同じベッドにいた。それなのに、同じ魂を持っていたなかった。失われた雅。彼女はどこに行ってしまったのか。

雅さんに会いたい。彼女を取り戻したい。彼女に会う方法がSheDanceのコースなのではないかというほのかな希望。それを腹が知っているような気がする。

3月1日に始まるそのコースが始まる。それまでの日にちを持て余して、私は明日北を目指す。山奥の修道院で白い服に身を包み、1週間ビッパサナーの瞑想合宿に参加する。

瞳を閉じて、呼吸を感じてくる。

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