12/08/2015

盲目の男性とデート


ウブドにやってきて一番初めに知り合った男性は、盲目の人だった。

長い散歩の後、お寺の近くの骨董屋を目にして何気にそこに入った。白髪のポニーテールにまるで仙人かと思われるような胸まで届きそうな長い髭の姿の老人が入り口に座っていたので、そこのオーナーかと思い、軽い挨拶をして中を見学した。

パペットを目にして、そうだバリにはこの人形があったのだと気付き、パペットショーはどこで見られるのかと尋ねたことから私たちの会話は始まった。

立体的なパペットは他の地方のものであり、ここウブドでは平たい皮でできた影絵用のシャドーパペットのショーを見ることができるとその老人が答え、そして彼はここのオーナーの友人であり店番をしているだけと告げてきた。話をしてみたら、サンフランシスコで骨董屋を経営していて、今は買い付けの旅の途中だということだった。

彼が白い杖を持っていたので、一瞬あれ?と思ったのだけれど、彼の瞳は私を捉えていたし、動き方も極めてスムーズだったので、彼が全盲だということを告げてくるまでそれに気づかなかった。

全盲でありながら8月以来ずっとアジアの国々を一人で旅をしているということにど肝を抜かされ、彼に対する関心が募った。彼はユーモアに満ちていて、私は何度か大笑いさせられた。だから、彼自身が私に興味を持ち、後ほど一緒の時間を過ごさないかという提案には十分に乗り気だった。




名刺をもらって、彼の名前や店を検索してみたとき、彼の存在がSF Gateという地方紙の記事になっていることが判明した。読んでみたら、なんだか数年前に癌で死に別れた女房を全盲の身で献身的に介護したというセンチメンタルな記事だったけれど、そこに本当の彼の姿を捉えていない違和感を覚えた。

後ほど彼から買い付けに同行するかという誘いを受け、専属のドライバーが運転するその車の中で、私が記事を発見したこと、そしてその内容に対する感想を述べたら、彼自身も同様に不甲斐ない気持ちを覚えたということで、私の洞察力に関心し言葉をありがたく受け取っていた。

そして、そこでなんと11年前に私が初めてアルゼンチンタンゴのレッスンを取ったインストラクターが、彼の娘だということが判明して相当にびっくりした。世界は本当に狭い。




12年前に視力を失い、それから別のセンスを発達させてきた彼の行動には驚かされるものがある。

2月にサンフランシスコで行うイカット(絣)のエグジビションのために、新しい個人のコレクターを探し求め、その場で生地に触れただけでその良さに惚れ込み鳥肌を立てていた。全盲なのに、目の前の織物の色を当てることができる。明るい色だったら、そのエネルギーでわかるのだそうだ。

ランチを一緒にしていて、私がテーブルの向こうにあるナプキンに手を伸ばすと、私よりも先に彼がそれを手に取り渡してくれた。

彼は全盲のフォトグラファーでもある。マスクとパペットの博物館に行ったときは、対象に手を伸ばすものの、その手は物の手前10cmでぴたっと止まり、そこから後ずさりしてシャッターを切る。物が持っているエナジーと温度で判るのだそうだ。

私の姿を私のiPhoneで写真を撮ってくれる。私の声の方向でしっかり私を捉える。ズームアップの私の顔でさえ、しっかり真ん中に収まっていて驚かされた。




彼はインドネシア人であるもののオランダ系の血を持ち、よって独立して政権が変わったときに家族は国を出なければなかった。オランダでも生活は厳しく、それでアメリカに移住したとのことだった。そういえば、インドネシア人と言われても周りと違った肌の色にピンと来なかった。彼はどちらかといったら色白の中国人に見える。

満月の日にティルタ・ウンプルで沐浴することを誘ってくれた。彼の手を取りながら、一緒に現地の人と沐浴をおごそかに行った。彼にとっても初めての経験だったらしく、たまたま彼と知り合ったことでそれができた私もラッキーだと言える。

彼はインドネシアに盲目の子供のためのスクールをサポートするプロジェクトを始めている。そのおかげで、二日ほどは一緒の時間を過ごしたけれど、後はかなり忙しくなっていた。一度、彼の古い友人宅でのベジタリアンディナーに紹介してもらった。アメリカ人とイギリス人の年配の女性で、25年前にウブドに住んでいた時のご近所さんだったらしい。

25年在ウブドの人から聞くローカルな話は、結構興味深い内容のものだった。やっぱり人間関係は『村』独特のものなのだなと思う。




彼から最後のテキストが届いた。音声変換機能があるので、テキスト会話が可能なのだ。

まもなくこの地を離れることを知らせてくれ、私と過ごした時間は大変楽しかったと強調した。そして、私の先の旅の行方を案じてくれた。




「君はまるでフレンチのようなストレートさがあるなぁ。いいことだ。君が社交辞令でいいことを言ってるのかどうか腹を探る必要もない

そう彼は笑って言っていた。

「日本人ぽくない」という彼の言葉に「顔もそうなのよ」と言い、私は彼の手を取り私の鼻と頬骨に触れさせた。

「これで色黒だから、会う人によっていろんな国を言われるわ。サリーを着ていた時は、インド人からネパール人かと思われたくらいよ。中東とかメキシカンとか言われたこともあるし」

「そうだな、マヤ人みたいでもあるな」

「濃いメイクしてお洒落してハイヒール履いたら、イッタリアンママ〜ンにもなれるもーん」

その時は、さらりとそんな会話をしていたのだけれど、後ほど25年来の友人宅のディナーで

「私はなるべく人に盲目の人と気遣われたくないので、相手の顔を知りたくてもその顔に触れるということはシャイでなかなかできないし、滅多にしたことがないのだよ。だけど、彼女はとてもスムースに僕の手を取って彼女の顔に導いてくれた。驚いたな。彼女にはそんな私を安心させてくれる素晴らしいストレートさがあるんだ。本当にありがたいよ」

と、語っていた。私は彼の能力を知っているので、彼が見えない人だからといって特別扱いしなかったし、全盲をジョークにさえしていた。それが嬉しかったらしい。




次回私がベイエリアに戻った時には、タイミング良く彼がサンフランシスコに住んでいたら良いのだけれど。



十分にイカットを吟味する彼
品物は100年も200年もする骨董品らしいです。



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