6/22/2016

新しい時代の幕開け

ダンカンのパフォーマンスが終わってから、しばし放心してだらだらとした日々を2週間弱続けていた。

さすがに身体が鈍ってきたのを感じたので、ヨガとエクスタティックダンスを始めたけれど、それ以外は穏やかなルームメイトたちとのまったりとした日々が続いていた。自分のチョイスで少し引きこもり気味になっていたようだ。

ふとしたきっかけで去年ハワイに住んでいたときのことを思い出し、あの当時のスピリチュアルな出会いのインテンスさに今更ながら驚かされた感じがした。それと比べたら今現在の私なんて何も起こっていない極めて平凡な日々、という感じ。だからと言って『停滞』を感じているわけではない。多分これが普通なのだろうし、この静けさになんとなく展開の予感さえも覚えていた。

『スピリチュアリティ』という言葉を胡散臭いと思っていた時代があり、嫌でもその方向を学ぶ機会が訪れ、そして今はそれがディフォルトとなって、スピリチュアリティを意識しない自分になった。

驚くべきシンクロニシティにいちいち興奮していた私はそれを人に伝えたかったし、それを信じる人と一緒にいたいと思った。でも、やがてそれが『日常』になると、驚きも興奮もなくなり、シェアすることもどうでもよくなってしまった。それを否定する人といても平気だし、相手の見る世界を存在する世界を尊重する。そしてスピリチリュアリティの探求さえもなくなってきた最近だったことにふと気付いた




それでも宇宙は面白い。ぽーっとしている私にちゃんと気づきを与えてくれる。ここしばらくご無沙汰していたカナダのヒーラーからぽろりとメールが降りてきた。彼女とは去年UFOのスカイワッチングのツアーで同室になりポートランド観光を一緒にして気が合った。そして、それとシンクロするようにハワイ滞在で知り合ったヒーラーから連絡がきた。それでお互いとしばしのやりとりが合った後に、この夏至の『夜明けの晩のおわり』のことを知ることになる。

それを読んで感慨深い気持ちになった。『何が起こっているのか』はその渦中にいるときには気づきにくいけれど、振り返ってみるとあまりにもクリアなそれに唖然とするときがある。

私の『覚醒』の意識は2008年のある日クルマを運転しているときに感じることができた。それがあまりにも不思議な感覚だったので、当時書いていたミクシィにそれを記録している。その後、あまりにもイッチャッタ感じの記事が続き、書いている本人もそのコミュニティにふさわしくないような気がしたので、その気持ちを落とすための別なブログを立ち上げ、それが『引き寄せの法則って本当よ!』(後の『みんなそれぞれの宇宙』)というアメブロだった。

『引き寄せの法則のからくり』を書きながらも2012年のマヤカレンダーが終わるという12月に密かな興奮を覚えていた。『アセンション』の意味もよくわからないままにしても統合の時代への『百匹の猿現象』を予感し、自分に起こる不思議な事象に興奮しながら、宇宙に身をゆだねる決心をして、今の場所に来た。

私の住むパラレルワールドはとても穏やかで優しい。

最近感じていた大きな区切り感はこれだったのか、と大きくうなづけた感じだった。




『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる』それがこれからのあるべき生き方であるらしい。

『サレンダー』は宇宙に導かれるままの生き方。どうやら私の歩いてきた道、これからの道もこれで良いのだとお墨付きのような気分になれた。

360°自由な私。未来の計画さえもない。あるのは宇宙への信頼だけ。






2 件のコメント:

  1. こんにちは。お元気そうで何よりです。ブログ更新の際は興味深く拝読しております。ところで、”夏至の『夜明けの晩のおわり』のこと” とは何でしょうか? 気になります~

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    1. この文字のところにリンクを貼っていますので、ぜひスピリチュアル観点でこの時期を説明したものを読んでみてください。ここでは『夜明けの晩』とは「暗闇の中にある光(真実)を見出す期間」で、これまで隠されてきた真実(真我)に光が当り始める時、と説明されています。

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