6/08/2016

55歳の春

「ねぇ、おみやは誕生日どうするの?」
「なーんも考えてない」
「考えてないって、せっかくのGo Goじゃない。何かパァーっとしたことしたらいいのに」

おかまくんにそう言われるまで、実際自分の誕生日のことなど気にもしていなかった。事実誕生日の頃はその月末にあるダンスパフォーマンスのリハに追われる毎日で祝いどころじゃない状況になっているだろうと軽く予想がついていたので、自分の中で既に諦めている感じもあったかもしれない。

おかまくんはどこかに一緒に旅行でもしようと提案してきたけれど、それをやんわり断って、J姉の家でサンフランシスコの家族のような古い友人が集まってご飯でもしてもらえればそれが一番の望みだと伝えた。




この5月私は55歳になった。

45歳はお気に入りの若くて可愛い女子を集めてNYのおかまバーで破廉恥なパーティをした。あの時は22歳年下の『子犬君』と知り合ったばかりだし、人生一番美しかった時だった。50歳は仲良しの女子を誘いスカイダイビングをし、夏にインド旅行のチャレンジに挑んだ。

55歳のときに何か特別な祝い方をしようと思いながら50代の前半を過ごしてきたが、実際心の準備ができぬ間にその時がきてきてしまったという感じだ。別な言い方をすると、45歳から50歳までの5年間の体感と50歳から55歳に至るまでの5年間の体感が全く違う。まるでまだあと1年半くらい先のようにさえ感じられたくらいだ。

それだもの、きっと60になるまでの今後の5年はもっともっと短く早く感じられるのだろう。そんなことを60歳の男性に話してみたら「そうだよ。風のように時間が過ぎていく」と応えていた。

妙な感覚だけれど、「時間がない」というまんじりした気持ちがあると同時に、私にはたくさんの時間があることに気づく。自分の残された時間を自分のために使うことができるこの幸運な境遇を、無駄にすることなく最大限に活かして残りの時間を生きなければならないという強い気持ちがふつふつと湧き上がる。




何かが水面下で動き出しているのを感じることができるのに、それが何であるのかは自分でよくわからなかった。心を澄ましてそれが浮かび上がってくるのを待っていたという感じがあった。

その中のひとつの行為として、2009年から綴っていたアメーバブログをとうとう終了する告知を出した。このブロガーの『サレンダー』に逃げてきた時期はあっても落ち着いたところでまたアメーバに戻っていたけれど、自分の中で何かが違うという違和感を振り切ることができないまま、惰性で続けていた旨も承知のことだった。

2009年に天からの声を聞きブログを開設。まもなく愛犬が亡くなり夫との関係が変わっていった。自分で無意識ながらもそのブログの伏線は『離婚をしたいという欲求』だったということに今になって気づく。離婚などできる自分ではないので日常をポジティヴに描きながらそんな気持ちを振り払ってきた私だった。

改めて時間が経って振り返ってみると、やっぱり『願いは叶う』のだなと思う。私は自分の働きかけではなく、皮肉にも事件が重なり夫が離婚を運び、それもダメージを最小限に抑えた『ニコニコ離婚の実現』であり、時間をかけて別れた夫との関係も『元夫婦』というベストなものに変わっていった。離婚のストレスは相当なものだ。それが癒えるのに平均5年から6年かかるらしいと何かの本にあったと誰かが言ってたけれど、その『癒えた実感』を得ていた最近の私なのだと思う。その実感が大きな区切りとしてアメーバブログ終了に結びついたのだろう。




バリで出会った男とチェンマイで一緒に暮らすという恋愛を冬の間してきた。密接な関係は3ヶ月。遠距離はしないままも意識下に常に彼の存在がある時間をも恋愛期間とするなら5ヶ月の関係だった。4月に2度サンフランシスコで男と再会し、そして終わった。身体に染み付いた『彼恋しさ』が日ごとに薄らいでいくのを実感しながら、先日ふつりとそれが全て消え去ったのを認識した。

どんなに男が将来を語ろうとも、離婚したてで羽を生やした私が彼とずっと一緒の人生にコミットするのには余りにも早すぎた。そして最高の性的相性のまばゆさの後ろにあったモンダイは時間をおいて再会すると露骨にその姿を現した。最初から予想はできていた。彼がそれを受け入れないでいただけだった。

私は次の結婚を求めてはいない。このままずっと恋愛だけを楽しんで生きていくのでも構わない。ババアになっても恋愛はできる。80歳になったとしても。




4月からダンカンダンスのワークショップでギリシャ神話のナインミューズのリサーチをし、グリークシアターの歴史などを学んだ。ダンサーのひとりひとりがミューズを割り当てられ、私は『悲劇の女神メルポメネ』を選んだ。

メルポメネをリサーチしながらそれを舞いで表現し、やがてはショーに向けてソロを踊ることになる。

小さなプロダクションでひとつのパフォーマンスをクリエイトするというのは並大抵のものではなく、相変わらず肉体的にもしんどかったけれど、秋のパフォーマンスに続いて数をこなしながら自分の中で成長していくものをはっきりと感じ取っていた。

ダンカンダンスのナンバーの衣装は相変わらずのシルクのチュニックだけれど、ナインミューズの舞いでは身体にぴったりと張り付くロングドレスを渡された。それを怖気づくことなく受け入れて素直に着用した自身に静かに感動した。ダンサーズボディを手に入れ30代のプロダンサーと一緒にパフォーマンスできる55歳の自身が誇らしかった。力強い女神として歩き、舞う。髪を盛り上げてかんざしをつけた自身を鏡の中に見たときに、以前目にした観音像と重なった。

55歳の誕生日のイベントは自分が考え自身に与えたギフトではなく、このダンスパフォーマンスショーまでの過程での感動だった。学びがあり、人として女としてもう一段階上のレベルに上がれたたような気がした。もちろん自分の中の縦の視線で。

この歳ともなると、横の目線で他人と自分を比べることもない。だからこれ以上でも以下でもない。今現在のこの位置に到達した自身にまぎれもなく満足している。





ショーのダンカンナンバーでのモーメント


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2 件のコメント:

  1. ◆アベユウ◆2016年6月16日 3:37

    お久しぶりです。

    また雅さんの文章に触れることが出来て嬉しいです。

    お誕生日おめでとうございます!…ました?かな。^^;

    私が今の雅さんに到達する数字は、16年後…

    その時どんな自分になっているのだろうと、めまいがしなくもないですが。。一番美しかったと仰っられた45歳にも到達していない私には、ただただ、私もそう言える自分になるんだ!と、諦めないこと。

    雑誌のエッセイを読んでいるような、なんとなくの微妙な距離感•息遣いを感じれたようで、
    なんだか涙が出ちゃいました…(笑)。
    雅さんの存在が、嬉しかったのだと思います。

    また、たまには、風の便りをくださいませ☆m(_ _)m

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    1. ◆アベユウ◆さん、お久し振りです。お言葉ありがとうございます。

      気分に任せてしばらく書くことから遠ざかっていましたが、やっぱり残したい思い、記録というのはあるのですね。書くことで確認したい思いもあるようです。
      だから、ここにはまた書きますよ。
      たまに覗いてみてください。😊

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