8/01/2014

愛の『触感』


「なんかな~」の体調が過ぎ、何もする気もなれずよくここまで眠れるな?と自分でも驚いていたのが、先日いきなり走りだす私がいた。エネルギーの『滞り』が溶け、回る、展開するそれを実感する。周りに優しさと笑顔が再び溢れ出してくる。これを感じ始めれば後にくるのは『絶好調』だ。その予感が嬉しい。

ここゲイの街だけあって、ドラッグクィーンが演じる『Sex and the City』のステージショーがちょっとの間だけあるのだけれど、おかまくんと出かけたその前にミッション地区にある『Ken Ken Ramen』でとても美味しいゆず塩ラーメンを食べたら初めて『ラーメンハイ』を経験した。そのままショーを観たんで、もう爆笑しっぱなし。セックスネタをこれだけ露骨にやってくれるサンフランシスコって、やっぱりもう大好き。





無理をしないように脚を労りながら、それでも5リズムに出かけて踊る私がいる。波長が合うダンス仲間と深く抱き合う。お互いほとばしる汗の中にいるのに、それを不快とも感じない。定期的にいっぱい汗をかいている人のそれはほとんど匂いもないようだ。そういう環境にいることを承知でシャワーを浴びてからやってくるのか、絡んだ男たちの髪からはシャンプーの匂いがちゃんとしていた。そういう愛しいダンス仲間には、自分が差し出すことのできる『愛のエネルギー』を惜しみなく伝える。愛する家族にするように、自然に頬にキスをし合う。

久々に『エンジェルワッシュ』があった。天使の洗礼ともいうべきものかしら、人々の輪の中に誕生月の人や癒されたい人が立ち、美しい音色の音楽と共に彼らに愛撫を与える儀式だ。私は以前される側になって、号泣してしまったことがある。

私は一人の女性の元にひざまずき、優しく足を愛撫した。キリスト教徒がイエス像の足元にするその気持ちが重なった。その女性にタッチする周りの人々の脚の林の中でそうしていたら、もう片方の足に同様にする人物が現れた。トムさんが私の手の動きにシンクロさせて愛撫を与え始めた。彼を見たら目が合ったので微笑み合い、私は自然に彼の頬にキスをした。彼も同様に返して来た。

グループに少なくとも二人の癌患者がいる。一人は何種かのウィッグを持っていて、毎回違う風貌で遊んでいる。沢山の人々からハグをしてもらい、時々踊るけれど普通は座って見ている。もう一人はニット帽を被った女性で力なくやせ細っている。エンジェルワッシュで長い間ハグを与えていたバートさんは耐えきれずにそのまま激しく泣いていた。それで彼の頬にも愛のタッチを与えた

以前日本に帰ってもいいかも、とか思ったりもしたけれど、こういうことができる日常に居ると、果たしてこんな愛情表現がない世界でちゃんと満たされることができる私なのだろうか、と疑問に思う。日本帰国のときは、実家に住んでいたからこそ家族の愛に満たされていたけれど、そうでない『普通の生活』が始まったときにどうなるのだろう?と。

「大丈夫?」

帰り際にバートさんに声をかけたら、その彼女に何が起こっているのか知ってるのかと私に尋ねてきた。

「大体の予想はつくけれど?」

ホスピスボランティアをしているので、エナジーの雰囲気で解ると告げると、バートさんはちょっと驚いたと同時に何か納得するような表情を見せた。その彼女はステージ4の脳腫瘍があるのだと言う。もう尽くす手はないのか、回復の救いはあるのかと尋ねたけれど、そこまでは知らないそうだ。

All she needs is LOVE

センシティヴで優しい人なんだなと思いつつ、そう告げながら再度彼を抱きしめた。ボランティアをする以前の私もそんな感じだったかもしれない。多分に死に直面する本人よりも、死を怖れる周りの人間の方が苦しみを感じている。そんなことをホスピスで学んだ。




相変わらず、ホスピスボランティアでは96歳のHを訪ねている。「あと数週間だと思うわ」と毎回言いつつ、本人はもういい加減逝きたいのだけれど、まだしつこく生きているよ、と呆れ返っている。彼女には痛みはない。その状態でも一人暮らしを普通にしている。近所の人々が毎日様子を見に来るらしい。ただ凄く疲れているから沢山眠るのだそうだ。訪問の度に、私たちは愛に満ちた素敵な時間を過ごしている。私に起こっている全てのことを報告している。

「私も最近不思議に眠ってばかりいたわ。夢を本当に沢山見るの結構目が覚めてからも覚えているの。夢もひとつの『経験』よね。つじつまが合わなくっても、別に平然としていられるもうひとつの世界」
「えぇ、私も夢を沢山見るわ。覚えているわよ」
「ねぇ、After lifeってあんな感じだと思うんだけど」
Oh Honey、オフコース、その通りよ」

Hは笑う。きっと彼女は眠っているうちに気持ち良く逝けることはよく解っている。レイキを施しながら彼女の息を確認する。逝きたいのなら今逝っても構わない、とさえ思う。死は私にとってもう怖れるものではなくなった。『全ては彼女の望むままに』と祈る。そう、彼女がもっと生きていられるように、などとは思わない。他人の人生をこうして欲しいなんて宇宙にお願いすることなんておこがましい。全ての望みは『彼女の望む、起こり得る最高のことが起こりますように』とそれだけ。

そして、私自身にも祈っている。

『何が欲しい』とか『何処に行きたい』とかエゴに頼らずして私にとってベストなこと導かれますように』と。

今日も別れ際に深い深い抱擁を交わし合う。彼女の身体は細く頼りない。自然に頬にキスをし合う。私はありのままでベストな私で居る。次に彼女に会うことがないかもしれなくても、後悔がないように。



2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    ずいぶん前と言っていいのでしょうか?いつも楽しみに、そして楽しみという表現ではピッタリとしないけど、自分では好きな感覚で拝読させていただいてます。
    こんな風に読んでいるブログ自体がなく、コメントも初めてですが、雅さんの言葉に自分を抑えきれずにコメントさせていただきます。
    『私にとってベストなことに導かれますように』、自分が思っている事とピッタリと重なりました!
    自分=愛する人と考えています。
    でも、正直なところ、今の自分はまだまだエゴに囚われているなって感じですが、いつかは自分に合った形で、小さくてもいいので誰かの手助けをしたいと思っています。
    そのためにも、『私にとってベストなことに導かれますように』。

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    1. 思いはシンクロしていましたか!
      『自分にとってベストなこと』は自身のエゴさえ知らないことです。
      エゴが想像つくことなんて、限界がありますもんね。

      「こんな展開なんて想像もしていなかった」という嬉しいサプライズを頂くのにも、宇宙に委ねるのが一番なんだと、ここ最近でようやく実感できた私です。

      Melodiaさんにとってのベストに導かれますように!

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